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やわらかな王の墓  作者: たむ


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67/99

第67話 石壁の耳

 ヴァルド伯が帰ったあと、埋葬部の空気は少しだけざらついたままだった。


 貴族が自分の死期観測に抗議しに来る。

 しかも“自分は生きている”ことを証明しようとする。

 王都に来てから何度も思ったが、この都は人間へ向ける言葉の順番がずれている。

 本来なら、生きていることは証明するものではなく、死んだときにだけ証明が要るはずなのに。


「背後が空いてる、か」

 ダフが私の横で言った。

「変な見え方をしますね」

「自分でも嫌だよ」

「でも正確かもしれません」

 

 その“かもしれません”が、この国ではだいぶ重い。


 午後、私は埋葬部の記録廊で、ひとりの書記役に小さく呼び止められた。

 十代の終わりか二十そこそこ。

 痩せていて、目の下に濃い隈がある。

 彼は周囲を気にしながら言った。


「こっちへ」

「何だ」

「壁が」

「壁?」

「聞いてるんです」


 王都の人間からそう言われても、もう前ほど驚かない自分が嫌だった。


 連れていかれたのは、埋葬部と古記録庫をつなぐ細い通路だ。

 窓はなく、片側が全面石壁。

 人ひとり通れる幅しかない。

 普段ならただの連絡路だろう。

 だが、その日は妙に空気が籠もっていた。


「ここです」

 書記役が壁際で立ち止まる。

「朝から、ときどき」


 私は耳を澄ませた。

 最初は何も聞こえない。

 だが、しばらくすると、石の内側でかすかな擦れ音がした。

 誰かが、壁の向こう側で低く話しているようにも聞こえる。

 言葉までは取れない。

 だが、“耳”をこちらへ向けている気配だけがある。


「……うわ」

 私は率直に言った。

「気持ち悪いな」

「正しい感想です」

 後ろから来たエナが言う。

 

 いつの間にかついてきていたらしい。


「何なんだ、これ」

 私が問うと、彼女は石壁へ手を近づけた。

「耳です」

「そのままだな」

「石壁の耳」

「比喩じゃなく?」

「今回は」

 彼女は少しだけ目を細める。

「ほとんど本当です」


 リシェも呼ばれ、すぐに通路へ来た。

 彼女は壁を見るなり、露骨に嫌そうな顔をした。


「よりによってここ」

「知ってる場所か」

 私が訊くと、彼女は頷いた。

「古記録庫へつながる通路です。昔から“壁が聞く”と言われていた」

「それが今は?」

「本当に拾い始めている」


 私は石壁の表面を見た。

 ただの灰色の石だ。

 だが、ところどころの継ぎ目が、耳介のひだみたいな形に見えてくる。

 見る角度によっては、壁そのものが巨大な耳の断面に見えた。


「また読めるか」

 リシェが言う。

「やるしかないか」


 私は壁へ近づき、継ぎ目の一番深いところを見た。

 音が先に来る。

 意味が遅れて来る。

 これは文字というより、聞き取る類の“読む”だった。


「……“通る声を置いていけ”」

 私は言った。

「“王へ届かぬものは壁が拾う”」

 

 ダフが小さく息を呑む。

「井戸と同じ」

「受け取られなかったものの別の行き先だな」

 私が答える。


 さらに、壁の奥から別の擦れ音がする。

 今度はもっと近い。

 私は思わず壁から少し身を離した。


「まだある」

 私は低く言った。

「“名を呼ぶな”」

「何で」

 書記役が震えた声で言う。

「わからない」

「続けて」

 リシェが促す。


 私は石の継ぎ目を見つめた。

「“呼ばれた名は壁が覚える”」

 

 その一文で、通路の空気がひどく冷えた気がした。

 エナがすぐ私を見た。

「ここでは、あまり名を呼ばないで」

「本当に?」

「たぶん」

「たぶん、が重いな」


 リシェは通路の入口と出口を見て、短く命じた。

「今日からここは通行制限。必要最小限。会話禁止。壁面記録は布で覆う」

「そんなことで」

 書記役が言いかける。

「持つだけましです」

 彼女は言い切った。


 石壁の耳。

 王へ届かない声を拾う壁。

 そして、呼ばれた名を覚える壁。

 王都はついに、井戸や墓や鐘だけでなく、建物そのものが“受け取り損ねたもの”を拾い始めているのかもしれない。


 私は通路を出るとき、無意識に自分の名前を口の中でだけ確かめた。

 声にしないように。

 石壁へ預けないように。

 王都では、名を呼ぶことすら、もう少し慎重でなければならないらしかった。

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