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やわらかな王の墓  作者: たむ


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62/95

第62話 王都の市場と欠けた貨幣

 埋葬部の廊下で増えた墓標を見たあと、私はようやく少しだけ外の空気を吸うことを許された。


 許された、と言っても自由行動ではない。

 リシェが「市場の状況も見ておくべき」と判断し、ダフとエナ、それに私の三人で、宮城の南寄りにある王都の市場へ向かうことになっただけだ。

 王都では散歩すら理由が要る。


 市場は、昼を過ぎても賑わっていた。

 賑わいというより、切実さの密度が高い。

 露店、荷車、塩を量る女、干魚を並べる男、葬花を束ねる子ども、骨片の護符を売る老婆。

 人の声は多い。

 だが笑い声は少ない。

 生活のための場所であって、気晴らしのための場所ではないと、ひと目でわかる。


「王都の市場って」

 私は歩きながら言った。

「活気があるのに、明るくないな」

「王都ですので」

 ダフが答える。

「便利な言葉だな」

「便利なものは長生きします」


 市場の一角では、貨幣を秤にかけている商人たちがいた。

 不思議に思って近づくと、銀貨や銅貨の端が少し削れているものが混じっている。

 完全な偽金ではない。

 だが、正規の丸い形からどこか欠けている。


「何だあれ」

 私が問うと、エナが答えた。

「欠け貨です」

「そのままだな」

「最近増えています」

「偽造?」

「半分は」

「残り半分は」

「自然に欠ける、と言う人がいます」

 

 私は思わず立ち止まった。

「自然に貨幣が欠けるわけないだろ」

「王都では、そういう噂があります」

 ダフが言う。

「井戸の歌が強まると、王の貨が少しずつ削られる」

「迷信だな」

「市場では、迷信と相場は近いものです」

 

 商人の一人がこちらの会話を聞きつけたのか、欠けた銀貨を見せてきた。

「旦那方、見ますか」

 年配の男だ。指先が黒ずんでいる。金属を長く扱ってきた手。

「これ、昨日まで普通だったんです。今朝見たら、端がこう」

 

 たしかに欠けている。

 刃物で削ったというより、丸い輪郭の一部だけが、うまく“減った”感じだった。

 しかも、欠けた部分の縁はざらついていない。妙に滑らかだ。


「読めたりします?」

 エナが小声で言う。

「貨幣までか」

「王都ですので」

「本当に何でも読む役になってきたな」


 私は銀貨を受け取った。

 冷たい。

 金属の冷たさのはずなのに、ほんの少しだけ井戸水の冷たさに似ている。

 嫌な予感しかしない。


「……あるな」

 私は言った。

「何が」

 ダフが身を乗り出す。


 欠けた部分の縁、その丸みに沿って、細い意味が浮く。


「“王の耳に届かぬ貨は、端から減る”」

 

 商人が顔をしかめた。

「何です、それ」

「嫌なやつだ」

 私は返した。


 もう一枚、別の欠け貨を受け取る。

 今度は銅貨だ。

 読む。


「“井戸を経た値は、丸く保たれぬ”」

「値、だと」

 ダフが言う。

「市場の価格そのもの?」

「あるいは、貨幣の価値」

 エナが答える。


 私は市場を見回した。

 塩を量る秤。干魚。白花。骨片の護符。

 王都の市場は、いつもどおり動いているように見える。

 だが、貨幣の端が欠け始めている。

 それは単なる偽造ではなく、王都の“届かなさ”が貨幣へまで波及している印なのかもしれない。


「王の耳に届かぬ貨、か」

 私は呟く。

「また耳だな」

「はい」

 エナが頷く。

「水、井戸、命令、そして貨幣」

「全部、王の受け取り損ねたものが端から欠けてく」

「かもしれません」


 商人は不安そうな顔で銀貨を見た。

「これ、使えます?」

「今のところは」

 ダフが答える。

「ただし、量り直しになる」

「面倒だなあ」

「王都ですから」

 

 商人はそれ以上文句を言わず、貨幣を布袋へ戻した。

 文句を言っても相場は戻らないと知っている顔だった。


 市場の中央では、白花を売る少女が花束の本数を数えていた。

 その数え方が妙に丁寧で、ひと束ごとに一拍遅れている。

 まるで、花の数さえ今は少し信用できないみたいに。

 私はその様子を見ながら思った。

 墓標が増え、貨幣が欠け、命令書は署名を失う。

 王都の異常は、ついに王宮の奥だけではなく、市場の秤と財布の端にまで降りてきている。


「いよいよ都全体だな」

 私は言った。

「ええ」

 エナが答える。

「王都の市場が欠け始めたなら、もう宮城だけの病ではありません」

 

 灰色の空の下、誰も見上げないまま売り買いを続ける。

 それでも、欠けた貨幣は手から手へ渡る。

 届かぬものの端から減る。

 その仕組みを、市場の人々は理屈ではなく指先で知り始めているのかもしれなかった。

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