第57話 眠り姫ではない亡骸
死に遅れる者たちの行列を見た日の夕方、宮廷埋葬部へひとつの棺が運び込まれた。
特別製の棺だった。
黒でも灰でもなく、薄く青みがかった白木で作られている。金具は少なく、装飾もない。だが、その簡素さがかえって異様だった。
棺のまわりには埋葬官が四人、兵が二人、そして祈祷院の女官がひとり付いている。
扱いが丁寧すぎる。
宮城にいるうちに、私はもうその時点で嫌な予感しかしなくなっていた。
「誰だ」
私が問うと、リシェが短く答えた。
「王妃候補の一人です」
「候補?」
「正式な王妃ではない。ですが、内廷記録上はそれに準ずる」
「死んだのか」
「記録上は」
その言い回しを聞いた瞬間、私は本気で帰りたくなった。
記録上は死んだ。
実際に死んでいるかどうかすら、まず文書の側から確認しなければならない国なのだ。
棺は埋葬部の検分室へ運ばれた。
石の床、白布の台、香の薄い匂い。
室内には最低限の人間しか入れないらしく、私とエナ、リシェ、ダフ、祈祷院の女官だけが立ち会うことになった。
女官は若く、肌の色が悪かった。
昨夜から眠っていないのだろう。
だが目だけは妙に固い。何かを言わないと決めている人間の目だ。
「開けます」
リシェが告げた。
棺の蓋が持ち上がる。
中にいたのは、二十歳前後に見える若い女だった。
長い髪を丁寧に整えられ、薄い衣を着せられている。肌は青白いが、腐敗の色ではない。
ただ眠っているようにも見える。
だが私は、その印象をすぐ打ち消した。
眠り姫だとか、そういう言葉をここで使うのは間違っている気がした。
「……死んでるのか」
私が低く言うと、リシェは答えた。
「脈はありません」
「でも」
「そう見えますね」
「眠ってるみたいだ」
「ええ。でも、それは言わないほうがいい」
彼女の声音は静かだが、はっきりしていた。
エナが棺に近づき、白い花の有無を見た。
「口には葬花なし」
「胸には?」
ダフが問う。
「一輪」
「王妃候補なら通常どおりですね」
私は棺の中の女の手元を見た。
細い指。
右手の薬指だけ、妙に白い。指輪を外した跡だろうか。
第二王妃の指輪を思い出して、背筋が少し寒くなる。
「名前は」
私は祈祷院の女官へ問うた。
彼女は一瞬だけためらった。
「ユレナ」
「王妃候補?」
「はい」
「死因は」
「井戸前にて昏倒。起き上がらず」
「井戸」
私は顔を上げた。
「どこの」
「宮城内、小祈祷庭の浅井戸」
また井戸だ。
王都の異変は結局、そこへ戻る。
リシェが淡々と検分を進める。
「瞼の色、薄い。爪、変色なし。喉、外傷なし。胸骨、異常なし……」
ダフが記録する。
エナは棺の縁を見て、低く言った。
「ここ」
「何だ」
私は近づく。
棺の内側の縁に、細い傷がいくつも残っている。
内側から引っかいたような痕ではない。
もっと規則的で、爪ではなく細い金具か石で刻んだような線。
「文字か」
私が言うと、リシェが頷いた。
「あなたに見せるべきだと思いました」
「先に言えよ」
「今見ているので同じです」
私は傷の列を追った。
細い。浅い。
だが読める。
「……“眠るな”」
私は言った。
「“埋めるな”」
部屋の空気が変わる。
祈祷院の女官がわずかに顔を上げた。
「まだある」
私は続ける。
「“わたしは返されていない”」
「返されていない?」
エナが反応する。
「何が」
「そこまでは……」
私は傷をさらに追う。
「“指に戻せ”」
第二王妃の指輪の記憶が、唐突に脳裏へ重なった。
返されなかった指輪。
王妃候補の指の白い跡。
棺の内側に刻まれた、眠るな、埋めるな、指に戻せ。
「これ、誰が刻んだ」
私が問うと、祈祷院の女官が唇を噛んだ。
「運び込みの時点でありました」
「本当に?」
「……本当に」
リシェは女官を見たが、追及しなかった。
今は優先順位が違うのだろう。
「眠り姫ではない亡骸、ですね」
ダフが記録しながら低く言った。
「何だその言い方」
私が顔をしかめると、彼はすぐに訂正した。
「失礼。童話めいた見た目に引かれるな、という自戒です」
「正しいな」
リシェが言う。
「この女は、きれいに置かれているだけです。穏やかに眠っているのではない」
私は棺の中のユレナを見た。
確かにそうだった。
美しく死んでいるように見える。
だが、それは他人がそう見えるよう整えた結果であって、本人の意志ではない。
棺の内側に刻まれた文字が、それを否定している。
「埋めるな」
私はもう一度呟いた。
「死んでるのに?」
「あるいは」
エナが言う。
「死んでいるからこそ、まだ埋めてはいけない種類の死なのかもしれません」
王都では、死に遅れる者たちがいる。
なら、死んでいてもなお、埋葬の順に入れてはいけない死があってもおかしくない。
この国は、そういうふうにしかもう考えられなくなっていた。




