第55話 王城の地下庭園
第二王妃の指輪が運び込まれてから一刻も経たないうちに、私たちはまた宮城の下へ降りることになった。
行き先は「地下庭園」。
その名前だけ聞けば、王城の秘密めいた美しい場所を想像する。
実際には、王都の“庭”はたいてい死や祈祷や保管のための空間だ。
美しさは結果として付いてくるだけで、目的はもっと陰気で実務的だ。
「なぜ庭園?」
私は階段を下りながら聞いた。
「第二王妃の系統遺物は、水脈保管区に移されていた時期があります」
リシェが答える。
「水脈保管区?」
「王城地下庭園の一部です」
「王都、何でも地下にあるな」
「上に置くと骨魚の影を受けるので」
なるほど最悪だった。
階段を降りるにつれ、空気が湿っていく。
墓廊の湿りとは違う。もっと生の匂いが混じっている。
土、水、葉の青さ、石の冷たさ。
宮城の下に、土の匂いがあること自体が少し異様だった。
やがて回廊が開けた。
そこには本当に庭園があった。
ただし地上の庭ではない。
低い石天井の下、幾筋もの水路が走り、その間に白い花と深緑の草が植えられている。背の高い木はない。かわりに、根の浅い草花と水を好む低木だけが静かに繁っていた。
水面は黒く、灯りを吸っている。
庭園というより、眠らない湿地に近い。
「うわ」
私は素直に言った。
「きれいだけど、気持ち悪いな」
「正しい感想です」
エナが小さく言う。
地下庭園には人もいた。
宮廷庭師らしき灰衣の者、水路番、そして黒衣の埋葬官。
皆、声をひそめている。
ここでは水が音を拾うのかもしれなかった。
庭園の中央近くに、小さな石堂があった。
そこが水脈保管区らしい。扉は低く、水滴のような紋章が刻まれている。
扉の上の文字を見た瞬間、私はまた読めるのだとわかった。
――流れしものを留めるな。
――ただし、名なきものはここにしばし置け。
「留めるな、なのに保管区なのか」
私が言うと、リシェが答えた。
「王都では、保管とは一時的に流れを遅らせることです」
「本当に何でも言い換えるな」
「そうしないと、すぐ壊れます」
石堂の中は狭かった。
棚と水盤と小箱。
第二王妃の指輪と同じ系列の遺物が、いくつか番号付きで並んでいる。どれも水に縁のある妃や王子の品らしい。
「ここに、指輪の対になる記録があったはずです」
リシェが棚を見回す。
「対?」
「保管移送票。遺物がどこを通ったか」
「今ない?」
「見当たりません」
私は石堂の奥、水盤の縁に目を留めた。
浅い。だが、その底に青い光がひと筋だけ残っている。
指輪の石と同じ色だ。
「こっち」
私は言った。
「水盤、何かある」
エナが隣へ来る。
「見えます」
「読めるかもしれない」
私は水盤の縁へ手をかざした。冷たい。
水面は静かだが、その静けさの中に細かな揺れがある。
意味が立つ。
「“返されぬ指輪は、水路を遡る”」
私は読んだ。
「“妃の手を離れ、王の耳を避け、庭へ沈む”」
リシェが顔を上げる。
「王の耳を避ける」
「またそれだな」
私は言った。
「最近、何でも王の耳を避けてる」
「ええ。異常です」
私は続ける。
「“石に沈めず、水に預けよ”」
「つまり、墓ではなく庭園側に隠された」
エナが言う。
「誰かが意図的に」
「そして、その経路の記録が抜かれている」
ネムが低く補った。
地下庭園の水路は静かだった。
だが静かすぎて、どこか息をひそめているようでもある。
王城の地下に、墓とは別の“生きた保管場所”があり、そこを水がつないでいる。
第二王妃の指輪は、そこへ一度流された。
返還されず。
王の耳を避けて。
「どうして隠す」
私は問う。
「妃の個人的な遺品だからじゃないだろ」
「ええ」
リシェは言う。
「王家遺物が隠されるときは、大抵“系統”を動かすためです」
「系統?」
「血、継承、水脈、祈祷権。どれか一つ、あるいは複数」
王妃は飾りではない。
王権の周辺を安定させるための接続点でもある。
その遺物が水路へ隠されたなら、単なる恋情や私物の話では終わらない。
石堂の外で、水路が小さく鳴った。
水が動いたわけではない。
どこか遠くで水面が共鳴したみたいな音だ。
私は反射的に振り返る。
「今の」
「地下庭園の水路は、古井とつながっています」
エナが答えた。
「王都の井戸の系統と」
「はい」
井戸。
王が聞けなくなった歌。
私が跪けと頼まれた場所。
第二王妃の指輪も、その歌のほうへ流れているのかもしれない。
地下庭園は、墓と井戸の中間にあるもうひとつの接点だった。




