第54話 第二王妃の指輪
署名のない命令書の束が片づけられる前に、今度は別の箱が運び込まれた。
灰白色の細長い箱。
封印は薄く、かなり古い。
埋葬部の若い補佐官が、扱いに少しだけ緊張した手つきで机へ置く。
「内廷保管庫より移送」
補佐官が言う。
「第二王妃遺物箱、照合要請」
「こんな時に?」
リシェが眉を寄せる。
「こんな時だからです」
補佐官は疲れた顔で答えた。
「保管庫の再配置中に、付属記録の一部がずれていると」
私は箱を見た。
王妃の遺物。
王だけでも十分ややこしいのに、今度は妃だ。
だが王家の“周辺”が、実は王そのものより重要な手がかりであることも、もう何となくわかってきていた。
箱の蓋には古い王章と、その下に小さな番号。
“II-Q”。
第二王妃を示す略号だろうか。
「開けます」
リシェが言い、封を切った。
中に入っていたのは、布に包まれた小さな品々だった。
乾いた花弁、銀の髪留め、短い祈祷布、そして指輪がひとつ。
細い金台に、くすんだ青い石が嵌まっている。華美ではない。王妃の指輪と聞いて想像するより、ずっと静かな造りだ。
「これが問題です」
補佐官が指輪を示した。
「付属記録には“左手第四指用、埋葬時回収”とあります。ですが、箱内の位置記録が」
「ずれている?」
ネムが問う。
「ええ。“未回収”側へ寄っている」
私は意味がわからず、顔をしかめた。
「箱の中の位置で意味が変わるのか」
「王都では、保管配置も記録です」
ダフが言う。
「回収済みの遺物、回収不能の遺物、未発見の遺物、王墓へ返還済みの遺物。それぞれ位置が違う」
「めんどくさいな」
「王家の遺物ですので」
リシェが布手袋を嵌め、指輪を持ち上げた。
そのとき、青い石の内側でほんのわずかに光が動いた。
私だけでなく、エナもそれに気づいたらしい。
「待って」
彼女が言う。
「今、光りました」
「反射では?」
補佐官が言う。
「灯りの位置は変えていません」
エナはきっぱり返した。
私は指輪へ近づいた。
近づくと、微かな冷たさがある。白い根のような湿った冷えではない。もっと乾いた、水底の石みたいな冷たさだ。
「読めるかもしれない」
私が言うと、リシェは指輪を机へ置いたまま少し身を引いた。
「どうぞ。ただし触る前に言って」
「何で」
「王家遺物は、たまに触った人間の記憶を持っていきます」
「先に言えよ」
私は深呼吸し、まず触れずに石を見た。
青い石の奥に、糸のようなひびが一本走っている。
いや、ひびではない。
細い刻線だ。文字に近い。
「……見える」
私は低く言った。
「何が」
エナが問う。
「“返されなかった指輪”」
読み上げた瞬間、部屋の空気が少し冷えた気がした。
ネムが素早く記録を取る。
「続きは」
「待て、薄い」
私は石の奥をさらに凝視した。
意味がゆっくり立ち上がる。
今までの墓標や勅令ほど強くない。
だが、そのぶん妙に個人的な感じがあった。
「“王妃は埋まる前に外した”」
私は言った。
「“返還されず、誰かが預かる”」
「誰かって誰だ」
ダフが身を乗り出す。
「そこまでは……まだ」
エナが指輪の輪の内側を見ていた。
「内側に刻印があります」
「読めるか」
「普通の字ではないです」
「じゃあ俺か」
私は意を決して、指輪の輪へ触れた。
冷たい。
その瞬間、短い像が頭へ流れ込んだ。
細い女の指。
白い花。
暗い部屋。
指輪を外す手。
そして、誰か別の人間の掌へそれを押し込む仕草。
「……」
私は思わず手を離した。
「何を見た」
リシェの声が鋭い。
「女の人」
「王妃?」
「たぶん」
「誰に渡した」
「わからない。顔は見えなかった」
私は息を整えながら続けた。
「でも、埋葬の直前だ」
「直前」
エナが繰り返す。
「つまり、埋葬記録の“回収”より前」
「そうだと思う」
「なら記録は最初から嘘か、途中で塗り替えられた」
ネムが言う。
リシェは指輪を見つめたまま、低く呟いた。
「第二王妃は、海を鎮める第二王の系統に連なる最後の妃でした」
「何か意味が?」
私が問うと、彼女は答える。
「第二王家系の遺物は、水脈とよく結びつく」
「また水か」
「ええ」
王の井戸、地方の井戸、渇き、そして王妃の指輪。
点だったものが、また水脈でつながり始める。
「この指輪」
エナが静かに言う。
「王妃のものというより、王都のどこかへ“流された”ものかもしれません」
「流された?」
「返還されなかったなら」
彼女は私を見た。
「水の系統に残っている可能性があります」
私は指輪の青い石を見た。
底の見えない小さな井戸みたいな色だった。
第二王妃の指輪。
返されなかった遺物。
そして今、王都の水の話が動き始めている。
偶然で済ませるには、そろそろ材料が多すぎた。




