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やわらかな王の墓  作者: たむ


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53/111

第53話 署名のない命令書

 宮廷埋葬部で最初に渡された仕事は、ひどく地味で、だからこそ嫌なものだった。


 署名のない命令書の束。

 表題も宛名もない。

 ただ日付と配給先、移送先、閉鎖区画、供花数変更、井戸観測担当変更、そういった指示だけが短く書かれている。

 そしてすべてに共通しているのは、正式な署名がどこにもないことだった。


「何だこれ」

 私は一枚をめくりながら言った。

「執行はされているのに」

「ええ」

 ダフが答える。

「だから問題なのです」

「命令書なのに署名がない?」

「正確には、“署名欄が空いたまま流通している”」

 

 私は紙を光へかざした。

 たしかに下部に余白がある。

 本来なら印か名が来る位置だ。

 だが、そこだけ白い。白すぎる。

 ただの未記入ではなく、何かを待っているみたいな白だった。


「誰が出したのかわからない命令が、王都を動かしてる?」

「はい」

 リシェが会話へ加わる。

「最初は末端の書式ミスだと思われていました。ですが件数が増えた」

「内容は正しいのか」

「困ることに、半分は正しい」

「半分」

「残り半分は、早すぎるか、遅すぎるか、行き先が一つずれている」

 

 ひどく聞き覚えがある。

 現場に届くが、責任の所在だけが曖昧な指示。

 それでも内容の一部が正しいから、誰も完全には止められない。

 元の世界にもあった。

 ただしこちらは、それが王都全体の死の処理に関わっている。


「読みますか」

 リシェが言う。

「何を」

「署名のない部分を」

「また俺か」

「王命です」

 

 便利な言葉だった。

 私は紙の下部、白い余白を見た。

 何も書いていない。

 それなのに、じっと見ていると意味が浮く。

 白さそのものが、記入前の空欄ではなく、削られた跡に近い。


「……読める」

 私は言った。

「言って」

 エナがすぐに促す。


 私は一番上の一枚を読んだ。


「“王の耳を経ず、塔を経よ”」

 

 部屋が静まる。

 私は次の一枚をめくる。


「“名を伏せ、順のみ流せ”」

 

 さらに一枚。


「“空きし欄へ、墓の判断を置け”」


 ダフが低く息を呑んだ。

「やはり」

「やはり?」

 私が問う。

「署名のない命令は、未決裁のまま流れているのではない。墓の側で埋められている」

 

 私は紙束を見下ろした。

 命令書の空欄。

 そこへ墓の判断が入り込む。

 つまり、王の耳を通らない命令が、塔や墓を経由して執行され始めている。


「ひび割れた勅令と同じだな」

 私は言った。

「印はあっても、命は届かない。今度は署名欄そのものが空いて、そこへ墓が入ってる」

「ええ」

 ネムが後ろから現れ、疲れた声で言う。

「王都の命令系統が、正式な頭脳ではなく、別の器官で代行されている」

「器官って」

「墓、塔、井戸、供花の偏り、そういったものです」

 

 それはもう行政の話ではなかった。

 国そのものが別の身体へ乗っ取られかけているみたいだった。


「誰かが偽造してる可能性は?」

 私は問う。

「あります」

 リシェが即答する。

「ただし、全件を人間が偽造するのは難しい。量が多すぎる」

「じゃあ半分は人、半分は」

「墓の側」

 

 また半分。

 この国は何でも半分で壊れていく。


 私は紙束の余白へ指先を近づけた。

 触れる前から、うっすら冷たい。

 白い根に触れたときに似ている。

 完全ではないが、同じ系統の気配だ。


「止められるか」

 私は誰にともなく言った。

「今は無理です」

 リシェが答える。

「なぜなら、署名のない命令でも現場は動くから」

「役所だな」

「ええ。しかも、内容の半分が正しい」

 

 それが一番厄介だった。

 全部が誤りなら止められる。

 だが半分だけ正しい指示は、人を迷わせながら運用へ乗る。

 王都は、その半分の正しさで延命しているのかもしれない。


 エナが紙束を見ていた。

「師匠の記録に似ています」

「何が」

「“王都では、命令のほうが人より先に墓へ近づくことがある”と」

「本当に嫌な師匠だな」

「よく言われました」


 埋葬部の室内は相変わらず静かだった。

 だがその静けさの下で、署名のない命令書が王都を少しずつ動かしている。

 誰の名前も持たず、誰の責任も引き受けず、それでも配給や移送や観測変更を起こしてしまう。

 王が半分しか目を開かないあいだに、空欄へ墓が署名している。


 私は紙を机へ置いた。

 勅令が割れ、命令書は署名を失い、井戸の歌は王に届かず、墓が鐘を受け取る。

 王都は今、誰の指示で動いているのか。

 その問いの輪郭が、ようやく少しだけ見え始めていた。

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