第49話 遼、跪く
王との二度目の対面は、その日の夕刻に急に決まった。
王都では重要なことほど急に決まる。
手順が厳密なようでいて、実際には誰かが“今しかない”と判断した瞬間に全部がひっくり返る。
セリオが戻ってきたときの顔を見て、私はすぐにそれを悟った。
「もう一度です」
彼は言った。
「今度は短い」
「短いで済む話か」
「済まないでしょう」
「だろうな」
半身の間ではなく、その手前の低い祈祷廊だった。
王は歩いてはいない。
移動用の低い椅子に半身を預ける形で連れてこられている。
支える侍従の手が、前回より明らかに多い。
私は廊の中央で立ち止まり、すぐに膝をついた。
跪く。
命じられる前にそうしたのは、自分でも少し意外だった。
礼法というより、ここで立ったままだと何かが壊れる気がしたのだ。
石床は冷たい。
視線は自然と王の手元へ落ちる。
細い指。
その指先に、微かに白い粉のようなものが付いている。祈祷香か、それとも塔から来た何かなのかはわからない。
王が私を見る。
「また来ましたね」
「呼ばれましたので」
「そうでした」
王はかすかに笑う。
「この国では、呼ばれることと来たいことが、あまり一致しません」
私は返事をしなかった。
それは、あまりに正確すぎた。
王は少し息を整え、それから言った。
「門へ行ったそうですね」
「はい」
「王都は、あなたをまだ内と数えていない」
「そう聞きました」
「それは良いことでもあり、悪いことでもある」
「たぶん」
「ええ。たぶん」
その“たぶん”に、私は少しだけエナを思い出した。
王都では、たぶん、がいちばん誠実な言葉なのかもしれない。確定しすぎた言葉は、たいてい誰かを席へ押し込むから。
「あなたは井戸の歌を聞きました」
王が言う。
「はい」
「私は、最近それを聞けません」
その一言で、廊の空気が変わった。
王自身が、王都の底の歌を聞けなくなっている。
だから墓が鐘を受け取り、井戸が歌い、私が呼ばれたのか。
「耳が欠けている」
私は思わず言っていた。
王は目を少し細める。
「墓がそう言ったのですね」
「はい」
「正しいのでしょう」
侍従たちは顔を上げない。
王の言葉に驚いても、それを顔に出す訓練を終えている人間たちだ。
「では」
王は静かに続けた。
「あなたにひとつ、頼みがあります」
「何ですか」
「次に井戸の歌を聞いたら、私の代わりに一度、跪いてください」
私は瞬きをした。
「……え?」
「歌には、受け取る姿勢があります」
「いや、それは」
「本来は王がするべきことです」
「じゃあ自分で」
「できないから頼んでいるのです」
その言葉は、哀願ではなく、ひどく平静だった。
自分のできなくなった動作を、他人へ依頼する人間の声。
だが内容はあまりにも重い。
井戸の歌を聞いたとき、王の代わりに跪け。
それは単なる礼ではないだろう。
何かを受ける所作だ。
「それは」
私は喉を湿らせた。
「王の代わりになることじゃないのか」
王はしばらく黙った。
それから、前回より少しだけ深く私を見た。
「いいえ」
「本当に?」
「……少なくとも、私はそう願っています」
その言い回しが、一番怖かった。
本当にそうだ、と言わない。
そう願っている、としか言えない。
つまり、この国の制度は、願いと別の方向へ平気で滑るのだ。
私は膝をついたまま、視線を落とした。
王の前で跪く。
それは礼法の一部だ。
だが、井戸の前で王の代わりに跪くことは、たぶん礼法ではない。
もっと古く、もっとこの国の根に近い行為だ。
「答えは今でなくていい」
王が言った。
「あなたはまだ、王都の数えに完全には入っていない」
「……はい」
「だからこそ、まだ断れる」
私はその言葉に、少しだけ救われるのと同時に、奇妙な痛みを覚えた。
半身の君主が、まだ断れる、と言う。
自分はもう断れない位置にいるからこそ言える言葉だ。
私はゆっくり頭を下げた。
「聞きました」
王は小さく頷く。
「それでよい」
廊の向こうで鐘が鳴った。
沈まない、夕刻の普通の鐘。
だが、その音の中で私は確かに理解した。
ここへ来てから何度も膝をついたが、今の跪きは少し違う。
礼ではなく、境界の所作だった。
王の前で跪いた私が、次に井戸の前で跪くなら、その意味はもう同じでは済まない。
遼、跪く。
その事実だけが、石の冷たさよりはっきりと身体に残った。




