第46話 第十三の王
半身の間へ入る前、私はもう一度だけ自分の名前を心の中で確かめた。
真柴遼。
異邦人。読手。物証。
この数日のあいだに、いくつもの呼ばれ方をした。
だが、王の前へ立つ前に自分で自分を呼ばないと、たぶんそのまま役だけが残る気がした。
半身の間は、宮城の奥でも特に静かな場所にあった。
大広間ではない。
天井は低く、部屋の幅もそう広くない。
けれど狭さより、均衡のための設計が目についた。左右対称すぎるのだ。柱も、灯りも、敷かれた布も、置かれた水差しも、すべてがぴたりと対になっている。
中央にだけ、低い座がひとつ。
王座というより、安置台みたいな形だった。
「目を上げるのは、許されてから」
セリオが低く告げる。
「返答は短く。聞かれたことだけ」
「知ってる」
「今日は特に」
私は膝をついた。
石の床が冷たい。
隣でエナも膝をつく。セリオとネムは少し後ろ。
部屋の空気は乾いているのに、どこか水底みたいな圧があった。
しばらくして、足音がした。
多くない。三人か四人。
衣擦れ。低い咳。
そして、何か重たいものを支える気配。
「顔を上げてよい」
知らない声が言った。
私はゆっくり顔を上げた。
そこにいたのが、第十三の王だった。
年は三十代半ばに見えた。
痩せている。
ただし、病的に衰弱しているというより、余分なものを削ぎ落とされすぎた人間の痩せ方だ。
顔立ちは端正だった。整っているのに、印象がひどく薄い。目立つ特徴が何もない。
それなのに、目だけが妙に深く沈んでいた。
半分眠っていて、半分だけ起きているような目だ。
王は低い座に半身を預けるように座っていた。
背後に二人の侍従。片方は支えるため、もう片方は記録のためだろう。
玉座にふんぞり返る王ではない。
座らされている人間。
その第一印象に、私は危うく同情へ引かれかけた。
だが、埋葬塔の箱を思い出す。
髪、布、花びら。
生きたまま外へ分散された半分。
私は意識して、その記憶を胸へ押し戻した。
王がこちらを見た。
いや、私を見た。
その瞬間、背筋に冷たいものが走る。
目が合った、というより、どこかで先に読まれていたものへ視線が重なった感じだ。
「あなたが」
王は言った。
声は小さい。だが不思議と部屋全体へ届く。
「外から来た人ですね」
私は喉を整えた。
「真柴遼と申します」
「そう呼ばれているのですか」
その返しに、私は一瞬、言葉を失った。
王は疲れているのに、感覚の鋭いところだけが異様に残っている。
名が薄くなる国の王らしい問い方だ。
「はい」
私は答える。
「今は」
「今は」
王はその音を小さく反復した。
「いい言葉です。今は、というのは」
侍従のひとりが少し身じろぎした。
王の話がどこへ流れるかわからず、周囲が緊張しているのがわかる。
王は私から視線を外さず、続けた。
「墓が、あなたに問うたのでしょう」
「はい」
「誰を王と読むかと」
「はい」
部屋の空気がさらに静かになる。
誰も動かない。
王自身がその問いを口にした。
もはや取り繕いようがない。
「それで」
王は言った。
「あなたは、私をどう見ましたか」
真正面から来た。
聞かれたことだけ答えろと言われていたのに、聞かれたことがこれでは逃げ場がない。
私は一拍だけ考えた。
かわいそうな人。
削られた人。
制度に食われた人。
だが、それだけではない。
王墓は問い、塔は保管し、勅令は割れ、供花は二列に分かれ、鐘は墓へ沈む。
その中心にいるのが、この男だ。
「……生きている墓に見えます」
私は言った。
侍従が息を呑む気配がした。
セリオも何か言いかけたが、王が手をわずかに上げて制した。
「ひどい言い方ですね」
王は言った。
笑っているのか、疲れているのか分からない口元だった。
「でも、たぶん正しい」
その返答に、私の背中にまた冷たい汗が流れる。
王が否定しない。
否定どころか、自分でも知っている顔だ。
「では」
王は今度は少しだけ身を起こした。
「私の墓は、誰を待っていると思いますか」
その問いで、私は初めて本気で逃げたくなった。
王墓が私へ投げた問いを、生きた王がそのまま返してくる。
この部屋は謁見の場であると同時に、裁きの前段みたいな場所だった。
私は答えなかった。
答えられなかったとも言う。
短く、聞かれたことだけ。
その条件に従うなら、沈黙もまた返答のひとつだろう。
王はしばらく私を見ていた。
やがて、目を少し伏せる。
「まだ、そこまでは読まれていない」
「……はい」
「よかった」
その“よかった”が、誰に向けたものなのかはわからなかった。
自分にか、私にか、それともまだ口を開き切らない墓にか。
侍従のひとりが、王の耳元へ何かを囁く。
王は頷き、しかしすぐには立たない。
代わりに、もう一度だけ私へ視線を向けた。
「外から来た人」
「はい」
「墓より先に、井戸を見ましたか」
私は心臓がひとつ、重く鳴るのを感じた。
「村の井戸は、遠くから」
「王都の井戸は」
「近くで」
王は少しだけ笑った。
笑いというより、口元の形がそう見えただけかもしれない。
「では、次は水の話をしましょう」
彼は言った。
「今日はここまでです」
それで謁見は終わった。
終わったはずなのに、私は少しも終わった気がしなかった。
王は第十三の王だった。
人であり、墓であり、まだ半分だけこちら側に残っている器だった。
そして私は、その器に直接見つめ返されてしまった。




