第44話 王宮の埋葬塔
翌朝、私は北区記録倉から宮城へ戻る荷車の中で、ほとんど口を利かなかった。
眠れなかったわけではない。
少しは眠った。
だが眠りの中でまで、井戸と墓標と門が重なっていた。王都の夢は、景色を変えずに意味だけをずらす。気づけば自分がどこにいるのかわからなくなる。目を覚ましたとき、まず名前を思い出す習慣がつき始めていることに、自分で少し驚いた。
宮城へ戻る道は、前より静かに感じられた。
街の音が減ったわけではない。
むしろ荷車も兵も人も、いつも通り動いている。
ただ、そのすべてが今日のために少しだけ息を潜めている気がした。王に会うから、と言えばそれまでだが、それだけではない。王都そのものが、何かの判定を待っているような沈黙だった。
セリオは荷台の前方で目を閉じていた。祈っているようにも、単に何も見たくないだけにも見える。ネムは朝からすでに紙束をめくっている。王に会う前ですら書類を手放せないのは、もはや職業病というより信仰だ。
エナだけが、ずっと私の向かいに座っていた。何かを言うでもなく、ただこちらの顔色を見ている。
ああいう視線はありがたい。ありがたいが、同時に逃げ場もなくなる。
「顔が悪いです」
宮城の外門が見えたころ、エナが言った。
「知ってる」
「眠れませんでしたか」
「少しは」
「少しでは足りません」
「今それ言う?」
「今だからです」
私は小さく息を吐いた。
「君は?」
「私もです」
「じゃあお互い様だな」
「はい。でも私は慣れています」
「嫌な慣れ方だ」
宮城へ入ると、今朝は正門ではなく東側の回廊へ回された。
王への謁見と聞いて想像するような華やかさは一切ない。石、灰、低い天井、静かな足音。王都の中心は、威光より先に冷気で人を従わせる。
半身の間へ向かう前に、私たちはひとつの塔の前で止められた。
塔、といっても空へ伸びる高塔ではない。
王都らしく、幅の太い、ずんぐりした建物だ。四角く、窓は少なく、石壁のあちこちに細い白い筋が入っている。遠目にはひびに見えたが、近づくとそうではなかった。石の継ぎ目から、白い根がごく薄く露出している。
「これが?」
私は問う。
「王宮の埋葬塔です」
セリオが答えた。
「塔というより……」
「墓と記録と安置の中間です」
妙に納得できる説明だった。
この国では何もかもが中間にある。
塔の入口の上には、古い王章と、その下に刻文があった。
私は目を上げ、読めることに少しうんざりしながらも読んだ。
――ここに王の終わりを置き、まだ終わらぬものを待つ。
――塔は埋めず、墓は隠さず、記録は赦さず。
「最後がきついな」
私が言うと、セリオはわずかに頷いた。
「王都の本音です」
「王宮の入口に本音を彫るなよ」
「長く使われる言葉は、だいたい隠しきれなくなります」
中へ入る。
空気が乾いていた。
墓廊の湿った冷たさとも、監査局の紙臭い冷たさとも違う。香と石灰と、乾いた布の匂いがする。
内部は吹き抜けになっており、中央に太い柱のような空洞があった。各階の回廊がその空洞を囲み、下まで見下ろせる。だが底は暗く、何があるのかはわからない。
「何をここに置くんだ」
私は声を落として訊いた。
「死にきらぬ王の一部」
エナが答えた。
私は返事を飲み込んだ。
冗談ではないと、彼女の顔が告げている。
「どういう意味だ」
結局、訊く。
「即位後、王は半分死にます」
セリオが言う。
「その“半分”を、すべて身体の内部だけで支え続けることは難しい。だから、王宮埋葬塔では、王の名、記録、遺髪、血、祈祷の残滓、そうしたものを分散して保持する」
「分散バックアップみたいだな」
ネムが小さく咳払いした。
「ひどく現代的な言い方ですが、概ね」
「やめてくれ」
回廊の壁龕には、小さな箱や封じられた筒が並んでいた。
どれも番号だけが振られ、個人名は見当たらない。
王の何かを保管しているのだろう。
王は一人ではなく、身体の外にも分散して存在する。
ここまで来ると、人間というより制度の部品だ。
「何でここへ」
私は問う。
「半身の間の前に見るべき場所だからです」
セリオが答える。
「あなたは、生きた王だけを見ると判断を誤る」
「誤る?」
「王は、会った者に同情を強いる顔をしていることがある」
「……そんなに?」
「ええ。だから先に、塔を見る」
その忠告は、驚くほど率直だった。
王を人として見すぎるな。
制度の器としての側面を先に見ろ。
セリオはおそらく、私が“かわいそうな人間”へ寄りすぎることを警戒しているのだろう。
塔の最上層近くで、私たちは一度立ち止まった。
空洞の中央、下のほうから低い音がする。鐘ではない。呼吸にも似た、ごく静かな上下動の気配。
「塔も息をしてるのか」
私が呟くと、エナが言った。
「王の半分に近いので」
「この国、息をしてるものが多すぎる」
「本当にそうです」
私は回廊の縁へ手を置き、暗い底を見下ろした。
見えないものがある。
王が外へ預けた半分。
その残滓の集積。
半身の王に会う前に、私はすでに王というものが一人で完結していないことを、塔の形で見せられていた。




