第33話 王都への荷馬車
午後、監査局はまたひとつ、新しい判断を下した。
私は監査局に留め置かれるのではなく、王都の北区にある記録倉へ一時的に移されることになった。理由は単純で、監査局がもはや安全ではない可能性が出てきたからだ。襲撃犯が骨灯を持ち、内部知識を持つ者の関与も疑われる以上、どこかひとつの建物へ固定しておくのは危険だという。
「安全な場所があるのか、この都に」
私が訊くと、ハルヴァは迷いなく答えた。
「ありません」
「正直すぎる」
「そのうえで、比較的ましな場所を選びます」
その結果が北区記録倉というわけだった。
移送には目立たぬ荷馬車が使われることになった。
飾りのない木の荷台に、布をかけ、書類箱と乾物の樽を積む。そのあいだへ私とエナ、ネムが紛れ込む。
王都へ入ったときは搬送物のような扱いだったが、今度は本当に荷物のふりである。
「だんだん雑になってないか」
私は幌の影で言った。
「合理化です」
ネムが答える。
「王都では、人を露骨に運ぶより荷を運ぶほうが目立ちません」
「人としての尊厳は」
「書類上は保たれています」
「最悪だな」
荷馬車は監査局の裏門から静かに出た。
表通りではなく、石造倉庫の多い細道を選んで進む。
王都の中心部とは違い、このあたりは荷運びと保管の街らしく、車輪の音と積荷の匂いが濃い。乾いた豆、塩、油、古紙、木箱、獣脂。
生活の匂いというより、備蓄の匂いだ。
「北区って何があるんだ」
私は幌の隙間から外を見ながら聞いた。
「記録倉、兵糧庫、古い巡礼宿、そして」
ネムが少し言いよどむ。
「王都でも比較的、見捨てられやすい地区です」
「何だそれ」
「中心からは遠く、だが完全な外縁ではない。異変が起きたとき、後回しにされやすい」
「安全じゃなくて忘れられやすいだけじゃないか」
「王都では、それが時に同義です」
エナが荷馬車の木枠へ手を添えたまま言った。
「荷馬車は好きではありません」
「何で」
「葬列に似ているので」
「……それは」
「比喩ではありません」
私は黙った。
たしかにこの揺れ、速度、狭さ、どこか“運ばれている”感覚は葬列に近い。
王都では生者も死者も、順番に応じて同じように運ばれるのだろう。
道の途中、馬車が一度だけ大きく揺れた。
幌の隙間から空を見ると、骨魚の影が建物の屋根を撫でるように通過している。
近い。かなり近い。
御者が小さく舌打ちしたのが聞こえた。
「また低いな」
「北区は影が落ちやすいです」
ネムが言う。
「なぜ」
「倉の屋根が広い。骨魚の影が滑りやすい」
「影にも地形があるのか」
「王都では、だいたい何にでもあります」
荷馬車は細い橋を渡り、少し開けた場所へ出た。
そこには背の低い石倉がずらりと並び、扉の上に番号と紋章が記されていた。
北区記録倉群だろう。
遠目にはただの倉庫街だが、近づくにつれ、壁に古い祈祷文や白い花の跡が見える。
倉庫というより、記憶の埋葬場に近い。
「着きました」
御者の声がした。
私たちは荷のふりをやめ、幌の下から降りた。
北区の空気は宮城や監査局とは少し違う。
重いが、中心ほど張り詰めていない。
見捨てられやすい場所の空気だ。
責任の外縁に置かれたものだけが集まる区域。
記録倉のひとつの前に、白髪交じりの女が立っていた。
灰色の作業衣に前掛け。役人というより倉番だが、目だけはやけに澄んでいる。
「遅いですよ」
彼女は挨拶もなく言った。
「北区の夕方は短い」
「道中、少し」
ネムが答える。
「襲撃?」
「ええ」
「でしょうね」
彼女は私をひと目見てから、エナに視線を移した。
「そちらが読手」
「不本意ながら」
私が言うと、彼女は少しだけ口元を動かした。
「まだ文句を言えるなら大丈夫」
この国では、それが安否確認になるらしい。
「私は北区記録倉番、サラです」
女は扉を開けながら言った。
「ここでは荷と人を同じように扱います。安心してください」
「何一つ安心できない」
「正しい反応です」
中へ入ると、乾いた紙と木の匂いが鼻を打った。
高くはない天井、番号付きの棚、封じられた帳面の束、壁際の簡易寝台。
監査局より雑然としているのに、不思議と少しだけ息がしやすい。
ここでは書類が人を縛るというより、ただ積まれている感じがあった。
「荷馬車の揺れは嫌いですが」
エナが小さく言った。
「ここは嫌いではありません」
「珍しいな」
「忘れられた場所には、まだ余白があります」
その言葉が、北区の空気をうまく言い当てている気がした。
中心ではすぐ役割が決まり、言葉が席になり、記録が人を追い越す。
だが、忘れられた場所にはまだ少しだけ、人が書式より先にいられる余白がある。
その余白がどれだけ持つのかは、わからなかったが。




