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仮面の女(後編)

時々、信じられないほどの強さでお腹を蹴る命に感動しながら、

私は隙間風が吹く大きな家でジャガイモの皮をむく。

今日は肉じゃがにしよう。

祖母から教わった、素朴なレシピで。


あなたが生まれてきたら、一緒につくろうねと、私は大きなお腹を静かに撫でた。


結婚したばかりで、離婚を決めたのは銀座のカフェの前で立ちすくむ彼を見たからだった。


崇は携帯電話を握りしめ、柔らかな髪の男性店員と楽しそうに笑う智子をじっと見つめていた。


そんな崇を見て、崇の心がここにない事を改めて実感したのだ。


そんな崇を見つめて絶望的な気持ちになった時、初めて私は胎動を感じた。

銀座の大通りで私は絶望と、泣きそうなくらいの嬉しさを両方味わった。


私はこの子を幸せにしよう。

両親のような親にはならない。

この子がいるから夫婦をやっている、そんな風にはなりたくない。


歩き出した私は、両親から逃げ出した子供ではなかった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



崇と初めて寝たのは、アルコールの匂いが充満した祖母の古い家でだった。

その時祖母は敬老会で熱海に旅行に行っていて、久しぶりに大きな家で1人本を読んでいたのだ。


崇はひどく酔っ払っていて、いっぱいにチューハイが入ったコンビニ袋を私に押し付けた。


崇が買ってきてくれた、ぶどう味のジュースのようなアルコールを私も飲んだ。


崇は笑ったり泣いたりしながら、智子にプロポーズしたこと。

指輪を買ったことを話した。

そしてほとんどすすり泣くようにして、プロポーズしたが保留にされたこと、

東京で智子が正社員になることの憤りを話した。


ー悔しいんだ。いっぱい好きになった方が、負けなんだな。

早く智子と結婚して家庭を作りたいのに、智子が自由に楽しんでいるのを邪魔もしたくないんだ。


ーそうね。いっぱい好きになった方が負けなのよね。

突っ伏した崇のセットされた髪を思わず撫でながら、私は誰に言うでもなくつぶやく。


崇は髪を触る私の手を強く握った。

男の人のゴツゴツした手だった。


不愉快だったかもしれないと手を引こうとすると、

思わぬ強さで逆に手を持って行かれる。


バランスが取れなくて畳に倒れた私に覆い被さる崇に、私は抵抗しなかった。


田舎の家は隙間風が吹いていて、お酒と崇に火照った身体にちょうど良かった。

机の上に溢れたチューハイの香りだけが時々私を現実に戻し、どうしようにもないほど涙が出た。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


崇は昼過ぎに起きて、二日酔いで頭を抱えながら枯れた声で謝った。


ごめん、めいわくをかけた、と。


私は何事もなかったように笑って、味噌汁飲む?ときいた。


翌日、智子にあった。

私は屈託なく笑う智子の前で罪悪感に苛まれた。


崇はあの夜のことを覚えていないと言った。

しこたま飲んでいたから、仕方がないと思う。

反面、本当は覚えていて、なかったことにしようとしているのかとも思った。


智子は仕事の楽しさ、やりがいについて熱心に話した。

罪悪感を感じていたはずの私の心は、智子の言葉にだんだんと麻痺をしだす。


ーだって、崇とならいつでも結婚できるけど、広告業界でデザイナーとして就業するのって

このチャンスを逃したら一生ないかもしれないんだよ。


私は初めて智子の意見に反発した。


ーでも、同級生もどんどん結婚していっているし。

それに、結婚だって人生を左右する大きい出来事だと思うよ。

その言い方、一生懸命プロポーズした崇君に失礼じゃない?


ああ、智子はなんて傲慢なんだろう。

愛され、愛して結婚することの奇跡を当たり前に思っている。


両親に愛され、崇に愛されてきたからこその傲慢に、私はひどく傷つき、

そんな自分の身勝手さを呪った。


親友の彼氏を好きになった私にふさわしい罰として、

神様はこの時間を与えたのだろうか。


ー同級生も結婚しているって、結婚ってそんなに焦ってするもの?

結婚って皆に急かされてするもんじゃないじゃない。

それにゆかりだってまだ結婚してないじゃん。


そうだ。

家庭に焦がれている私は、もう、本当に愛する人と結婚できないことに気がついた。

崇はいずれ智子と結婚するのだから。


そう、神様はきちんと私を罰した。

好きな人に忘れられて目の前で、その人が幸せになることを見届けるという罰を。


それでも、私は崇のことを知れたことを神様に感謝した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


智子と崇の結婚はじんわりと進んだ。

田舎では28を過ぎて結婚していないと変な目で見られる。

私も、いろいろな人を紹介されたが、誰もピンとこなくて、断った。

幸い役所勤めなので生活には困らない。


めっきり身体が弱くなった祖母の面倒を見ながら、静かに生活した。


ーゆかりちゃんが崇の嫁だったらねぇ。


崇の家に出来すぎてしまった庭のナスをおすそ分けに行った日だった。

崇のお母さんは口にした瞬間、しまったという顔をした。

私は胸の奥を見られたと思い、どきりとした。


ーごめんねぇ、変なこと言って、ゆかりちゃんみたいな美人が崇なんかじゃねぇ。

崇のお母さんはなんとも言えないフォローをした。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


崇に2度目に抱かれたのは、祖母の葬儀が終わった日だった。

智子からは心配するメールがたくさん来ていたが、私は短く返事をするだけだった。


葬儀のために出入りが激しかった家は、小さな骨となった祖母と私だけで静まり返っていた。


私は祖母の遺骨の前でぼおっとしていた。


崇はいつの間にか、私の隣にいた。

庭からまわって来て、縁側に腰掛けてただそばにいてくれた。


どうしてそうなったのか覚えていないけど、崇はやっぱりあったかくて、私は崇にすがった。

帰らないで、側にいてと。



私を愛してくれる人がいなくなった絶望が、私をズルくした。

崇に智子を裏切らせた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


大好きな祖母と、ほとんど顔を合わせたことのない祖父の遺影に、

炊きたてのご飯と、肉じゃがを備える。


しばらく空けていた家は少し埃っぽいが、明日掃除をすればいい。


「半年もしないで出戻っちゃった。やっぱりおばあちゃんちが大好きよ。」


離婚しようと話した時、崇は渋った。

でも、少しホッとした顔をしていた。


崇は智子とよりを戻せるかしら。

智子はカフェの店員さんと、ずいぶん親しそうだった。


まぁ、どちらでもいい。

私はグニュっとお腹を蹴る子供を感じて笑みが漏れた。



我ながら、歪んでるなぁ、、、、

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