第7話
リナ・クロスに初めて会ったのは、水祭りの翌日だった。
市場の路地で、俺の財布がなくなった。
気づいたのは屋台で代金を払おうとしたときで、ポケットに手を入れたら空だった。
「……スリか」
隣のアルマが静かに言った。
「たぶん」
「なぜ防がなかった」
「嘘看破スキルは、手の動きまでは見えないんですよ」
アルマが俺を見た。呆れと、何かもう一つ別のものが混じった目だった。
「……追えるか」
「人混みの中だったので」
「私が追う」
「え、待って——」
アルマがすでに歩き出していた。
◇ ◇ ◇
五分後、アルマが路地の角から戻ってきた。
隣に、誰かを連れていた。
二十代前半くらいの女だった。赤茶色のショートヘア、フード付きのマント、左手に古い傷。俺の財布を右手に持っていた。
「放せ、放せって。痛い痛い!」
アルマが女の手首を掴んでいた。女が暴れても、微動だにしなかった。
「これはあなたのものか」
俺に財布を差し出した。
「そうです、ありがとうございます」
「礼には及ばない」
赤く光った。
女——あとでリナと名乗った——が俺を見た。
「なんなんだ、この黒髪の嬢ちゃん。人間じゃないぞ、この力」
「……私のことを正確に言い当てたな」
アルマが女を見た。
「……どこで気づいた」
「気配が違う。あんた、魔族だろ」
アルマが少し間を置いた。
「……耳がいい」
「商売柄ね」
女がにやりと笑った。怖がっていない。それどころか、面白そうにしていた。
◇ ◇ ◇
結局、三人で近くの茶屋に入った。
経緯はよくわからないが、リナが「事情を話せ、話したら財布のことは不問にする」と言って、俺が「逆じゃないですか」と突っ込んだら「細かいことを気にするな」と返ってきた。
「盗賊ギルドの首領が、なぜスリを自分でやってるんですか」
「現場感覚を忘れたくないんでね。で、あんたたち、何者?」
「便利屋です」
「こっちは?」と視線がアルマに向いた。
「……旅人だ」
眩しいくらいに光った。
リナが俺を見た。
「今、あんた何か感じたろ。顔が少し動いた」
鋭い。俺は表情を動かさないようにしているつもりだったが、この人には見えたらしい。
「気のせいですよ」
我ながら、苦しい誤魔化しだった。
リナが笑った。
「面白いな、あんたたち。旅人でもないし、普通の便利屋でもない。ついでに言うと、その黒髪の嬢ちゃんは魔族で、あんたは何かのスキル持ちだ」
「……なぜそう思う」とアルマが言った。
「何度か視線が合った。あんたを見るたびに、こいつの目が少し変わる。何かを確認する目だ。スキルかなって」
俺はお茶を一口飲んだ。
「参考までに聞きますが、それを知って、どうするつもりですか」
「別に。面白い人間を見つけたら、知り合いになっておくのが主義でね」
光らなかった。本当のことだった。
◇ ◇ ◇
リナが名刺代わりとして、盗賊ギルドの紋章が入った木札を出してきた。
「王都のギルドの首領をやってる、リナ・クロスだ。困ったことがあったら言いな。情報なら大抵揃う」
「便利屋とギルドが手を組むと、面白いことになりそうですね」
「そう言うと思った。あんた、名前は」
「カイト。アベ・カイト」
「カイトね。こっちは」
アルマを見た。アルマが少し間を置いた。
「……アルマだ」
「アルマ。よし」
リナがお茶を一気に飲み干した。
「じゃあよろしく。今日のスリは帳消しだ。俺の商売の邪魔をしない限り、あんたたちとは仲良くしたい」
「こちらもよろしくお願いします」
「……」
アルマが俺を見た。俺がこうなるだろうと思っていた、という顔だった。
◇ ◇ ◇
茶屋を出て、三人で少し歩いた。
リナが「あんたたちは何を探してるんだ」と聞いた。
「建国期の歴史文書です。特に、改ざんされた可能性のある記録を」
リナが足を止めた。
「……改ざん?」
「そう思う理由があって」
リナが考えた。三秒くらい、何かを整理するような間があった。
「一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「あんたのスキル、嘘を見破るやつだろ」
俺は少し驚いた。
「……なぜ」
「さっきから、私が言ったことに対して光らないやつと光るやつで反応が違う。嘘だと光って見えるんだろ、何かが」
アルマが俺を見た。
俺は少し考えて、「そうです」と答えた。
「で、建国期の文書が光ったと」
「はい」
リナがまた考えた。
「……それ、うちのギルドにも関係するかもしれない。情報を持ってる人間を一人知ってる」
「誰ですか」
「王都一の古書商だ。百年以上続いている店で、主人が変わっても代々、建国期の記録を集めている。ただ——」
リナが少し声を落とした。
「——その店、最近おかしい。仕入れを急に止めた。人が変わった、っていう話もある」
「それは」
「興味があるなら案内する。ただし、俺も同行する」
「なぜですか」
「怖いから」
光らなかった。
本当のことだった。
◇ ◇ ◇
別れ際、リナがアルマを見た。
「一個だけ聞いていいか、魔族の嬢ちゃん」
「……何だ」
「こいつのこと、好きか」
アルマが固まった。
俺も固まった。
「……はっ。何を言っている」
眩しいくらいに光った。今日最強だった。
リナが満足そうに笑った。
「そっか。じゃあまた明日。古書商のことは調べておく」
手を振って、路地に消えていった。
しばらく二人で立っていた。
「……あの人間は」とアルマが言った。
「面白い人ですね」
「……面白いとは思わない」
嘘の色が、滲んだ。




