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第五話 観測戦争

世界眼に入った一本の亀裂。


それは、世界中へ波紋のように広がっていった。


王都では、時計台の針が逆回転を始める。


砂漠では、一度沈んだ太陽が再び昇る。


海では、波だけが止まり、魚は空中を泳いでいた。


そして人々は、自分の名前を少しずつ忘れ始めていた。


「世界が……壊れていく……」


アリアは王都の広場で立ち尽くしていた。


隣にいた母親が、幼い息子へ尋ねる。


「あなたのお母さんは誰?」


少年は首をかしげる。


「……わからない。」


その瞬間、母親の輪郭が砂嵐のように崩れた。


名前を失えば、認識は薄れる。


認識が薄れれば、存在は揺らぐ。


この世界では、それが「死」だった。


一方、観測者の塔。


ユウは黒い鎧の青年と向かい合っていた。


「お前は世界を壊したいのか。」


青年は首を横に振る。


「違う。」


「解放したいんだ。」


「解放?」


「この世界の人間は、自分の意思で生きていると思っている。」


青年は世界眼を指さした。


「だが違う。」


「あの眼が『今日は晴れだ』と観測すれば晴れる。」


「あの眼が『お前は生きる』と決めれば生きる。」


「あの眼が『死ぬ』と決めれば死ぬ。」


「自由なんて最初から存在しない。」


ユウは言葉を失った。


青年は静かに名乗る。


「俺の名前はレギウス。」


「百五十年前、この世界へ転生した。」


「そして世界の真実を知った。」


レギウスは笑う。


「最初は英雄だった。」


「魔王も倒した。」


「国も救った。」


「だが最後に知った。」


「全部、世界眼の筋書きだった。」


「筋書き……。」


「そうだ。」


「俺たちは主人公ですらない。」


「物語の登場人物だ。」


ユウは胸がざわつく。


レギウスの言葉には、妙な説得力があった。


その時だった。


塔の壁一面に文字が浮かぶ。


【SYSTEM WARNING】


【世界観測率 62%】


【崩壊まで残り72時間】


観測者たちが騒然となる。


「速すぎる!」


「こんな速度で観測率が下がるなんて……!」


レギウスは静かに笑う。


「見せてやる。」


彼は塔の窓を開いた。


「下を見ろ。」


ユウは恐る恐る地上を見下ろす。


そこには、巨大な黒い穴が開いていた。


穴ではない。


世界そのものが消えていた。


空も、


大地も、


人も、


建物も、


何もない。


ただ黒い「未観測」が広がっている。


その中心から、何かがこちらを見上げていた。


「……あれは?」


レギウスの表情が初めて険しくなる。


「あれが本当の敵だ。」


「本当の敵?」


「あれは未観測そのもの。」


「名前はない。」


「姿もない。」


「人間が『怪物』と認識したから怪物になっただけだ。」


黒い闇が脈打つ。


鼓動のような低い音が響く。


ドクン。


ドクン。


そのたびに世界が揺れる。


突然、アリアが苦しみ始めた。


「ユウ……。」


彼女の右腕が透け始める。


「存在が……消える……。」


ユウは彼女を抱き支える。


だが、今回は触れても止まらない。


観測だけでは維持できないほど、世界そのものが壊れている。


その時、世界眼がユウを見つめた。


頭の中へ直接、声が響く。


『最後の観測者よ。選べ。』


『一人を救うか。世界を救うか。』


ユウは息をのむ。


アリアを救うには、彼女だけを完全に観測し続けなければならない。


だがその間、世界は崩壊する。


世界を救うなら、アリアの存在は失われる。


どちらも選べない。


すると、アリアがかすかに微笑んだ。


「……ユウ。」


「私はね。」


「最初から存在しなかった人間だから。」


「だから……。」


「世界を助けて。」


その言葉を最後に、彼女の身体は光の粒となって消え始める。


ユウは必死に手を伸ばす。


しかし、その手は空を切った。


銀色の髪だけが、一筋の光となって舞い上がる。


ユウは拳を握りしめ、涙をこらえた。


「……違う。」


静かに顔を上げる。


「どちらかを選ぶなんて、誰が決めた。」


世界眼を真っすぐ見据える。


「俺は両方救う。」


その瞬間、世界眼の瞳がわずかに揺れた。


まるで、初めて想定外の答えを聞いたかのように。


そして塔全体に、新たな警告が鳴り響く。


【予測不能な観測者を確認】


【シナリオを書き換える可能性:99.98%】


遠くでレギウスが笑う。


「そうだ……。」


「その答えを待っていた。」

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