第三話 神は観測している
「見てはいけない。」
その言葉が脳裏をよぎった。
しかし、もう遅かった。
ユウは見てしまった。
夜空のさらに向こう。
星々の外側。
世界を覆うほど巨大な、一つの眼。
瞳孔の中には、銀河ではなく、無数の数字が流れていた。
0
1
0
1
011001...
瞬間、世界から音が消えた。
「……ユウ!」
アリアの叫びが遠く聞こえる。
彼女の声だけが、かろうじて現実につながっていた。
だがユウの意識は、すでに別の場所へ引き込まれていた。
そこは白い空間、上下も左右もない。
床も天井も存在しない。
あるのは、無限に並ぶ光の糸だけだった。
一本一本が、人間だった。
赤ん坊。
老人。
兵士。
王。
誰もが一本の糸として吊るされている。
「これは……」
すると背後から声がした。
「生命観測層へようこそ。」
振り返る。
黒いローブをまとった老人。
しかし、その顔はノイズで塗り潰されていた。
「誰だ。」
「名前は意味を失った。」
老人は微笑む。
「私は、この世界で最初に観測魔術を完成させた者。」
「初代観測師だ。」
老人は一本の光の糸へ触れた。
糸が震える。
遠くの村で、一人の老人が息を引き取った。
「……!」
「これが生命情報。」
「この世界の人間は、肉体ではない。」
「情報だ。」
ユウは息を飲む。
「じゃあ……」
「そう。」
老人は頷く。
「人は死ぬのではない。」
「削除される。」
ユウの世界観が音を立てて崩れていく。
「では魂は?」
「バックアップ。」
「記憶は?」
「ログ。」
「運命は?」
「処理待ち。」
老人の声には感情がなかった。
「神は奇跡を起こさない。」
「ただ再計算しているだけだ。」
その時だった。
世界全体が激しく震えた。
警告音のような音が鳴り響く。
ピッ――
ピッ――
ピッ――
老人の表情が初めて変わる。
「まずい。」
「管理者が来る。」
空間の彼方から巨大な影が近づいてくる。
いや。
影ではない。
人型でもない。
それは黒い立方体だった。
完全な立方体。
表面には無数の文字が流れている。
ERROR
UNKNOWN OBSERVER
RECALCULATING...
「管理者……?」
老人は苦々しく言った。
「世界修復装置。」
「世界に矛盾が生じると現れる。」
立方体がユウへ向く。
すると機械のような声が響いた。
【異常観測者を確認】
【存在確率:測定不能】
【世界法則との不整合を検出】
【削除処理を開始】
空間が赤く染まる。
ユウの身体が透け始めた。
存在そのものが削除されようとしている。
アリアの声が聞こえる。
「ユウ!!」
しかし届かない。
世界そのものが、彼を「いなかったこと」にしようとしている。
老人が叫ぶ。
「戦うな!」
「管理者は倒せない!」
「観測するな!」
「見るな!!」
ユウは理解した。
立方体は「見れば見るほど確定する存在」だ。
完全に認識した瞬間、絶対的な現実となり、誰にも干渉できなくなる。
逆に、認識を保留すれば――。
ユウは静かに目を閉じた。
「……存在しない。」
そう心の中で定義する。
立方体の輪郭が揺らぐ。
ノイズが走る。
【ERROR】
【ERROR】
【ERROR】
世界が悲鳴を上げる。
管理者が初めて後退した。
老人は目を見開く。
「そんな馬鹿な……。」
「管理者を……未観測状態へ戻した……?」
ユウは静かに息を吐いた。
だが、その代償は大きかった。
彼の右腕が、肘から先だけ、ノイズとなって消え始めていた。
「世界は、矛盾を許さない。」
老人が静かに告げる。
「お前は世界を書き換えた。」
「だから今度は、お前自身が世界から修正される。」
ユウは消えゆく右手を見つめながら、小さく呟いた。
「なら……。」
「世界のルールごと、書き換えるしかない。」
その瞬間、白い空間の最奥で、誰かが静かに拍手をした。
「素晴らしい。」
男とも女ともつかない声。
「ようやく一人目が、ここまで来た。」
ユウが振り向く。
そこには、人の姿をしているのに、顔だけが見えない存在が立っていた。
その存在はゆっくりと告げる。
「ようこそ、観測者。」
「君はこれから、本当の世界を見ることになる。」
――第四話へ続く。




