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第二話:未観測領域

夜は静かだった。


だが、静かすぎた。

酒場の喧騒すら、どこか“薄い”。

まるで背景音だけを貼り付けた、偽物の世界。


ユウは窓の外を見ていた。


闇。


その奥。


何かが“読み込み途中”のように揺れている。


ノイズ。

歪み。

ビット落ち。


世界が、完全に固定されていない。

「見えるの?」

銀髪の少女が言った。


ユウは視線を向ける。


彼女は、今にも消えそうだった。

視線を外すたび、輪郭が曖昧になる。


存在確率が低い。


この世界に、定着できていない。

「……お前、名前は」


少女は少し黙った。

「わからない」


「?」


「忘れられたの。全部」


静かだった。


だがその言葉は、妙に重い。

この世界では、“認識”が存在を固定する。


逆に言えば。


誰にも覚えられていない人間は、存在を維持できない。

少女は、崩壊しかけていた。


「じゃあ」


ユウは言う。


「俺が付ける」


少女が顔を上げる。


「……名前?」


「必要なんだろ。存在固定に」


ユウは少し考えたあと、呟く。


「アリア」


その瞬間。


空間が震えた。


ジジ――ッ。


少女の身体へ、情報が流れ込む。


名前。


定義。


識別。


世界が、彼女を“個体”として認識し始める。


銀髪の少女――アリアは、呆然と目を見開いた。


「……あ」


涙が零れる。


「私……今、“いる”……」


その直後だった。


酒場の灯りが、突然すべて消えた。


闇。


完全な暗闇。


同時に。


世界のノイズが増大する。


ガガガガガガガ――


客たちが悲鳴を上げる。


「な、なんだ!?」


「見えない!」


「火を!火をつけろ!」


だが。


誰かが灯そうとしたランプは、点火しなかった。


違う。


火が存在を確定できていない。

世界が揺らいでいる。

ユウは理解した。


「……未観測領域が近い」


空気が変質する。

空間の奥行きが崩れる。


壁が、時々ノイズ化する。

まるで、世界そのものの読み込みが外れている。


そして。


暗闇の奥から、足音がした。


ぐちゃ。


ぐちゃ。


液体を踏むような音。


誰かが震える声で言う。


「……なんだ、あれ」


闇の中。


“何か”が生成され始めていた。


最初に現れたのは、

目だった。


大量の目。


次に歯。


骨。


肉。


人間。


獣。


虫。


無数の情報が混ざり合い、定義不能な怪物が形成されていく。


まだ確定していない。


だから姿が定まらない。


見る者によって形が変わる。


ある者には竜。


ある者には亡霊。


ある者には、死んだ家族に見えていた。

酒場の客たちが恐怖するたび、怪物は巨大化していく。

観測が、化け物を固定している。


「見るな!!」


ユウが叫ぶ。だが遅かった。


誰かが怪物を直視した瞬間、世界が“それ”を確定する。


ガガガッ!!


怪物の輪郭が固定された。


巨大な腕。


裂けた口。


全身に並ぶ眼球。


空間が震える。


確定完了。


怪物が咆哮した。


その音だけで、酒場の窓ガラスが砕け散る。


「ひっ……!」


「魔物だぁぁ!!」


人々が逃げ惑う。


しかし。


怪物は、ユウだけを見ていた。

大量の眼球が、一斉に向く。


そして。


声が聞こえた。


頭の中へ直接。


《観測者》


ユウの背筋が凍る。


怪物は、言葉を続ける。

《お前は、こちら側だ》


世界が揺れる。

ノイズが増える。

空間の端が崩れ始める。


酒場の壁が、0と1へ分解される。


客たちが叫ぶ。


だがユウだけは、別の恐怖を感じていた。


怪物が。


自分を知っている。


《なぜ、お前だけが理解している》


《なぜ、お前だけが未確定を維持できる》


《なぜ》


《なぜ》


《なぜ》


ユウの脳裏に、転生前の記憶が走る。


パソコン画面。


量子論。


シュレーディンガーの猫。


「観測されるまで世界は――」


その瞬間。


怪物が笑った。


口が裂ける。


無数の歯。


ノイズ。


そして。


《気づいたか》


《この世界は、“誰か”の観測実験場だ》


空間が崩壊する。


世界が、バグる。


そしてユウは見てしまう。


酒場の天井の向こう。


夜空のさらに奥。


巨大な“眼”が、世界全体を覗き込んでいることを。

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