↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レーヴァルト戦記 ~最弱のコピー能力が別の魔法に化けるので、恩人の領主を守るために戦います~  作者: 深夜のトースト
第4章 灰色の城の囚われ人

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
72/73

第8話 鍵の間

グラウエンブルクは、山の上にあった。


針葉樹の森が途切れた先。

灰色の岩肌が剥き出しになった、切り立った山の中腹に、張りつくように。


石の城だった。


いや――城、と呼ぶには、あまりに飾り気がなかった。


塔も、尖塔も、旗竿すらない。

ただ、山の岩と同じ灰色の石を、四角く、高く、隙間なく積み上げただけの、巨大な箱。


窓は、ほとんどなかった。

壁の高いところに、拳一つ分ほどの細い穴が、等間隔に並んでいるだけだった。


「――あれが」


ロゼリアが、馬の上で、小さく呟いた。


「グラウエンブルク、ね」


誰も、答えなかった。


山肌を吹き下ろしてくる風が、雪の匂いを運んできた。


*


要塞へ続く道は、一本しかなかった。


山肌を削って作られた、細い、つづら折りの坂道。

片側は、岩の壁。もう片側は、底の見えない谷。


馬一頭が、やっと通れる幅だった。


雷夕は、手枷を嵌めた両手で、手綱を握りしめていた。


(――逃げ道が、ない)


上るのも、一本。

下るのも、一本。


要塞の上から見下ろせば、この坂道の全てが、丸見えになる。


(入ったら、出られない場所――ってのは、こういうことか)


*


坂道を上りきった所に、門があった。


分厚い鉄の扉。

その上に、灰色の石の櫓が一つ、突き出している。


櫓の上から、看守が二人、こちらを見下ろしていた。


「――止まれ! 何者だ!」


リヴァールが、馬を止めた。


懐から、命令書を取り出して、高く掲げる。


「南より、護送隊! ヴァイス閣下の命により、囚人一名を引き渡しに参った!」


櫓の上の看守が、顔を見合わせた。


それから、一人が、櫓の奥へ引っ込んだ。


しばらくして、門が、軋みを上げて、ゆっくりと開き始めた。


ギィィィィィ――。


*


門の内側は、薄暗い石の通路だった。


天井が低い。

壁の松明が、湿った空気の中で、ぼんやりと煤けた光を放っている。


通路の先に、老人が一人、立っていた。


背が、高い。

白く長い髪を、首の後ろで一つに束ねている。灰色の外套。深い皺に埋もれた、落ち窪んだ目。


腰に、錆びた鍵束を下げていた。


「――グラウエンブルク典獄長、ゲルト・フォルクマーだ」


嗄れた声が、石の通路に、低く響いた。


「命令書を、検めさせてもらおう」


*


リヴァールが、馬から降りた。


命令書を、ゲルトに差し出す。


ゲルトは、それを受け取ると、通路の松明の下まで持っていって、ゆっくりと広げた。


目が、文字を追う。


一行。

一行。

一行。


関所の若い兵とは、まるで違った。


急がない。

慌てない。

一文字一文字を、まるで帳簿の数字を検めるように、確かめていく。


雷夕は、馬の上で、手枷の嵌まった手首を、膝の上で握りしめていた。


心臓の音が、うるさかった。


*


「――ヴァイス殿の、印だな」


ゲルトが、ぽつりと言った。


「そうだ」


「十日前にも、ヴァイス殿の護送隊が来た。カランドの議員を、五人」


「聞いている」


「その時の隊長は、何という名だった」


雷夕の背筋が、凍りついた。


(――知らねえよ、そんなの)


リヴァールも、知るはずがない。

ディートリヒの陣にいたわけではないのだ。


一拍。


リヴァールは、表情一つ変えずに、答えた。


「知らん」


*


ゲルトの、落ち窪んだ目が、ゆっくりと、リヴァールの顔に向いた。


「……知らん、とは」


「ヴァイス閣下の下には、護送隊が三つある。俺の隊は、カランドの国境から西を受け持っている。カランドの都の議員を運んだのは、都を受け持つ隊だ。――顔を合わせたこともない」


「三つ」


「そうだ」


リヴァールは、平然と、ゲルトの目を見返した。


「閣下は、一つの隊に、多くを任せない方だ。任せた隊が、しくじった時のために」


*


ゲルトは、しばらく、リヴァールの顔を見つめていた。


長い、長い沈黙だった。


通路の松明が、じじ、と鳴った。


やがて、ゲルトは、命令書を畳んだ。


「――なるほど」


それだけ言って、命令書を、自分の外套の内側にしまった。


リヴァールに、返さなかった。


「命令書は、預かる。帳簿に写してから、返す」


「……構わん」


「それと」


ゲルトは、通路の奥を、顎でしゃくった。


「護送隊の方々には、新月の刑が終わるまで、要塞に留まってもらう」


*


リヴァールの肩が、ほんの僅かに、動いた。


「……なぜだ」


「帝都の立会人が、三日後に来る。新月の刑は、その方の立ち会いのもとで行う。刑が終わるまでは、要塞の門は、誰も通さん。――入る者も、出る者も」


ゲルトの声は、淡々としていた。


「規則だ」


「俺の隊は、すぐに南へ戻らねばならん。閣下が――」


「ヴァイス殿の機嫌は、わしの知ったことではない」


ゲルトは、そう言って、腰の鍵束を、チャリ、と鳴らした。


「この要塞の中では、わしの規則が、全てだ」


*


関所で、あれほど効いたディートリヒの名前が。


この老人の前では、まるで、ただの埃のように、軽く払われた。


リヴァールは、しばらく黙っていた。


それから、小さく、頭を下げた。


「――承知した」


「兵舎に部屋を用意させる。――では」


ゲルトの落ち窪んだ目が、ゆっくりと、馬の上の雷夕に向いた。


「囚人を、こちらへ」


*


ケインが、雷夕の馬の手綱を引いた。


雷夕は、馬から降りた。


手枷の鎖が、ちゃり、と鳴る。


ゲルトが、近づいてきた。


背の高い老人だった。雷夕より、頭一つ分高い。

近くで見ると、その顔の皺は、まるで、灰色の石を刃物で刻んだように、深かった。


「――番号は、七十四番」


ゲルトは、雷夕を見下ろして、言った。


「名前は、聞かん。この要塞では、番号が全てだ」


雷夕は、黙って、頷いた。


(――七十四番)


自分の名前を、捨てさせられる。


それが、どういうことなのか――この瞬間、初めて、肌で分かった気がした。


*


「鍵の間へ」


ゲルトが、看守に命じた。


看守が二人、雷夕の両脇を挟んだ。


背中を押される。


通路の奥へ。地下へ続く、石の階段へ。


雷夕は、一度だけ、振り返った。


リヴァールが、通路の入り口に立っていた。

ケインが、その隣に。ロゼリアが、帝国の兵の外套の前を、ぎゅっと握りしめて。


三人とも、表情一つ、変えていなかった。


護送隊の士官と、兵の顔だった。


――ただ、ロゼリアの唇が、ほんの僅かに動いた。


声には、ならなかった。


けれど、その形は、確かに、こう言っていた。


(二回押して、一回引く)


雷夕は、前を向いた。


階段を、下りていった。


*


鍵の間は、窓のない、小さな石の部屋だった。


壁に、松明が一本。

床の真ん中に、低い石の台。


その台の上に、雷夕は座らされた。


ゲルトが、部屋に入ってきた。


扉が、閉まる。


ガチャン。


*


「――手を、出せ」


ゲルトが、言った。


雷夕は、手枷の嵌まった両手を、前に差し出した。


ゲルトは、腰の鍵束に、手をかけた。


チャリ、チャリ、チャリ。


数十本の鍵の中から、一本を、選び出す。


小さな鍵だった。

他のどの鍵よりも錆が深く、赤茶けて、ほとんど黒に近い色をしていた。


ゲルトは、その鍵の先を、雷夕の手首――手枷と手枷の間の、むき出しの肌に、そっと当てた。


冷たかった。


「――鍵を、掛ける」


*


その瞬間。


――カチリ、と。


音が、した。


耳で聞いた音ではなかった。


体の、ずっと奥の方で。

心臓よりも、もっと深い所で。


何かの錠が、閉まる音がした。


(――――)


雷夕は、息を呑んだ。


消えた。


何かが。


この三年と少し、ずっと体の奥にあった何か。

使えるのか使えないのか分からなくて、使えるようになってからも、どう化けるのか分からなくて――それでも、確かに、そこにあった何か。


『劣化』が。


消えた。


いや――消えたのではない。


閉じ込められた。


体の奥の、深い深い所に、分厚い錠を掛けられて。


*


雷夕は、自分の手のひらを見下ろした。


何も、変わっていない。


手枷の鉄の輪。

その間の、むき出しの手首。

指。手のひら。


けれど、分かった。


この手は、今――何も、写せない。


「……っ」


喉の奥が、ひくりと引き攣った。


怖い、と思った。


劣化が使えなかった三年間よりも、ずっと。


使えなかった頃は、最初から、何もなかった。

今は――あったものを、奪われたのだ。


*


「――感じたか」


ゲルトの声が、頭の上から降ってきた。


雷夕は、顔を上げた。


老人は、鍵を鍵束に戻しながら、雷夕を見下ろしていた。


「この要塞の壁の内側では、わし以外の者の魔法も、固有スキルも、使えん。――お前のような囚人には、それに加えて、鍵を掛ける。壁の外に出ても、わしが鍵を開けない限り、その錠は開かん」


雷夕の背筋が、冷たくなった。


(――壁の外に出ても)


それは、聞いていなかった。


リヴァールも、知らなかったはずだ。


「お前が何の力を持っているのかは、知らん。帳簿にも書かれていなかった。――知る必要もない。ここでは、全ての力が、等しく、無だ」


ゲルトは、腰の鍵束を、チャリ、と鳴らした。


「立て、七十四番。牢へ行く」


*


――その時。


鍵の間の、ずっと上の方。


いくつもの階段と、石の廊下と、鉄格子の向こう側で。


一人の少女が、牢の壁際で、膝を抱えたまま、目を開けていた。


(――来た)


胸の奥で、何かが、ほんの一瞬だけ、身じろぎした。


八年間、冷たい石の下に押し込められていたものが。


瞬き一つほどの間だけ、息を吹き返して――。


そして、また、押し潰された。


(……新しい人が、来た)


少女は、自分の手のひらを、じっと見下ろしていた。


細い指。汚れた爪。ささくれた指先。


その手の中に、まだ、それがあることを――確かめるように。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。