第6話 帝国の宿場町
王都を発って九日目。
四人は、地図の上の護送路に、合流した。
南のカランドの方から、真っ直ぐ北へ伸びてくる、細い線。
その線の途中に記された、小さな丸印の一つ。
宿場町だった。
*
町は、街道の両脇に、細長く伸びていた。
石と木を組み合わせた、二階建ての家々。
どの家も、屋根が急な角度で尖っている。北の雪を落とすためだろう。軒下には、薪が隙間なく積み上げられ、窓には分厚い木の鎧戸がついていた。
街道の真ん中を、荷馬車が行き交っていた。
毛皮を山と積んだ荷馬車。材木を積んだ荷馬車。麦の袋を積んだ荷馬車。
御者たちが、白い息を吐きながら、互いに大声で挨拶を交わしている。
道端で、子供たちが走り回っていた。
木の枝を剣に見立てて、打ち合っている。
「――帝国軍、突撃ーっ!」
「うわあっ、やられたー!」
「次、お前が帝国軍な!」
「えー、またあたしが敵ー?」
雷夕は、手枷を嵌めた手首を膝の上に置いたまま、その光景を、馬の上から眺めていた。
(――どこにでもある、町だ)
ベルリアとも。
イヴァルキアの城下とも。
シュテルン村とも。
ほとんど、何も変わらなかった。
*
町の真ん中に、小さな広場があった。
井戸が一つ。その脇に、掲示板が一枚。
掲示板の前に、人だかりができていた。
雷夕は、馬の上から、人々の肩越しに、掲示板を見た。
粗い紙が、一枚、貼り出されていた。
『――帝都の命により、布告す』
心臓が、どくんと跳ねた。
イヴァルキアの執務室で見た、あの写しと、同じ文面だった。
和平派と内通し。
グラウエンブルクにて。
次の新月の朝。
七つの名前。
その、四つ目。
『ヨアヒム・ガルトナー』
*
雷夕は、前を行くリヴァールの背中を見た。
リヴァールは、馬の上で、真っ直ぐ前を向いていた。
掲示板の方を、一度も見なかった。
見なかったのではないと、雷夕には分かった。
見られなかったのだ。
――見れば、顔に出るから。
*
掲示板の前の人だかりから、声が漏れ聞こえてきた。
「……七人も、か」
「和平派ってのは、要するに、帝国を裏切ろうとした連中だろう。当然だ」
「当然、ねえ」
腰の曲がった老人が、杖をつきながら、掲示板を見上げていた。
「わしの若い頃は、和平を言う者は、裏切り者とは呼ばれなかったがね」
隣にいた中年の男が、ぎょっとして、老人の袖を引いた。
「爺さん、滅多なことを言うもんじゃない。誰が聞いてるか――」
「誰が聞いてても、構わんさ。どうせ、わしは来年の冬は越せん」
老人は、掲示板の名前を、皺だらけの指でなぞった。
「――この中の一人を、知っとるよ。昔、この町の近くの砦にいた騎士様だ。ガルトナー様といった。冬の飢饉の年に、砦の蔵を開けて、町に麦を配ってくださった」
中年の男が、黙り込んだ。
「あんな方が、裏切り者かね」
老人は、それだけ言って、杖をつきながら、広場を去っていった。
*
雷夕は、手枷の嵌まった手首を、ぎゅっと握りしめていた。
リヴァールの背中は、相変わらず、真っ直ぐだった。
けれど、手綱を握るその手が――一瞬だけ、強く、握りしめられるのが見えた。
*
宿は、広場の脇の、古びた二階建ての旅籠だった。
軒先に、木彫りの熊の看板。
入り口の脇の柱に、子供の背丈を刻んだ傷が、何本も並んでいた。
リヴァールが、宿の主人と話をつけた。
護送隊の士官と兵が三人。部屋は、二階に二つ。
囚人は――。
「囚人は、厩だ」
主人が、少し申し訳なさそうに言った。
「部屋に入れるわけにはいかないんで。……藁は、たっぷり敷いておきますよ」
*
厩は、宿の裏手にあった。
馬が三頭、仕切りの中で、のんびりと飼い葉を食んでいた。
その一番奥の、空いた仕切りに、藁が、本当にたっぷりと敷かれていた。
雷夕は、手枷を嵌めたまま、藁の上に腰を下ろした。
馬の匂い。
干し草の匂い。
板の隙間から吹き込む、冷たい北の風。
(――まあ、野宿よりは、ましか)
ケインが、厩の入り口に立っていた。
囚人の見張り、という役目だった。
「……寒くはありませんか」
「平気。藁、あったかい」
「何かあれば、呼んでください」
ケインは、入り口の柱にもたれて、腕を組んだ。
外から見れば、囚人を見張る、規律正しい護送の兵。
内から見れば――仲間を一人、寒い厩に置いておくことを、どうにも気に病んでいる、生真面目な男だった。
*
夜が、更けた。
宿の母屋の窓から、灯りが漏れていた。
酒場になっている一階から、笑い声と、調子外れの歌が聞こえてくる。
雷夕は、藁の上に寝転がって、厩の天井の梁を見上げていた。
(――ガルトナー様、か)
あの老人の言葉が、頭の中で、繰り返されていた。
冬の飢饉の年に、砦の蔵を開けて、町に麦を配った騎士。
リヴァールの話と、同じだった。
村の蓄えを、半分、返しに行かせた騎士。
(そういう人を、殺すのか。帝国は)
*
――ことり、と。
厩の入り口の方で、小さな音がした。
雷夕は、身を起こした。
ケインが、入り口の柱の脇で、何かを見下ろしていた。
ケインの足元に――小さな影があった。
子供だった。
七つか、八つ。
大人の厚い上着を羽織って、頭から毛糸の帽子を目深に被っている。両手で、何かを、大事そうに抱えていた。
昼間、広場で、帝国軍ごっこをしていた子供たちの一人だと、雷夕は気づいた。
「――何の用だ」
ケインが、できる限り柔らかい声で、言った。
それでも、子供は、びくりと肩を震わせた。
「……あの」
子供の目が、ケインの脇をすり抜けて、厩の奥の、雷夕の方を見た。
「あのおじさんに、これ」
*
子供が、抱えていたものを、差し出した。
布に包まれた、パンだった。
まだ、ほんのりと温かかった。
ケインが、困ったように、振り返って雷夕を見た。
雷夕は、藁の上から、ゆっくりと立ち上がった。
手枷の鎖が、ちゃり、と鳴った。
子供が、その音に、また肩を震わせた。
「……俺に?」
「うん」
「なんで」
子供は、もじもじと、帽子の縁を握った。
「――だって、おじさん、悪い人なんでしょ。悪い人は、北の灰色のお城に連れて行かれるって、お母さんが言ってた。灰色のお城に行った人は、帰ってこないって」
「……」
「帰ってこないなら、最後に、美味しいもの、食べたいかなって」
*
雷夕は、何も言えなかった。
子供は、パンを、ケインの手に押しつけた。
「お母さんには、内緒ね。台所から、取ってきたから」
それだけ言うと、くるりと背を向けて、宿の母屋の方へ駆けていった。
毛糸の帽子が、闇の中で、ぴょこぴょこと揺れていた。
母屋の裏口の戸が、そっと開いて、また閉まった。
*
ケインが、手の中のパンを、雷夕に差し出した。
雷夕は、手枷の嵌まった両手で、それを受け取った。
温かかった。
布の包みを、そっと開く。
丸い、小さなパンだった。
表面に、木の実が、いくつか埋め込まれている。
「……ケイン」
「はい」
「帝国の子供も、パン、くれるんだな」
ケインは、しばらく黙っていた。
「――カランドの子供も、ベルリアの子供も、きっと、同じことをしたでしょう」
「……ああ」
雷夕は、パンを、半分に割った。
半分を、ケインに差し出す。
ケインは、首を横に振ろうとして――それから、黙って、受け取った。
*
二人で、厩の入り口に並んで座って、パンを齧った。
木の実の香ばしさ。
ほんのりとした甘さ。
酒場の窓から、笑い声と、調子外れの歌が、まだ聞こえていた。
北の風が、板の隙間から、ひゅうひゅうと吹き込んでくる。
「――なあ、ケイン」
「はい」
「あの子、たぶん、帝国軍ごっこで、いつも敵の役なんだよ。昼間、言ってた。『またあたしが敵ー?』って」
「……聞こえていました」
「敵の役ばっかりやらされてる子が、悪い人にパンくれるんだ」
雷夕は、最後の一口を、ゆっくりと噛みしめた。
「……変な話だよな」
ケインは、何も答えなかった。
ただ、パンの最後の一欠片を、丁寧に口に運んでいた。
*
翌朝、宿を発つ時。
宿の母屋の二階の窓から、小さな顔が、こちらを覗いていた。
毛糸の帽子。
雷夕は、馬の上で、手枷の嵌まった両手を、ほんの少しだけ、持ち上げた。
鎖が、ちゃり、と鳴った。
窓の中の小さな顔が、慌てて引っ込んだ。
それから、もう一度、そっと覗いた。
小さな手が、窓硝子の向こうで、ひらひらと振られていた。
*
宿場町を出て、街道が北へ曲がる所で、リヴァールが、初めて口を開いた。
「――昨夜、厩に、誰か来たか」
「ああ。子供が、パンをくれた」
リヴァールは、前を向いたまま、しばらく黙っていた。
「……そうか」
それだけ言って、馬の腹を、軽く蹴った。
雷夕は、その背中を見ていた。
昨日、広場の掲示板の前を通り過ぎた時と、同じ背中だった。
真っ直ぐで。
一度も、振り返らない。
――けれど、その背中が、ほんの少しだけ、軽くなったように見えた。




