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レーヴァルト戦記 ~最弱のコピー能力が別の魔法に化けるので、恩人の領主を守るために戦います~  作者: 深夜のトースト
第4章 灰色の城の囚われ人

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第2話 鍋を買う

翌朝、中庭で、オズワルドが仁王立ちしていた。


楡の木の根元。


そこに、昨日までなかったものが、生えていた。


若草だった。

膝の高さほどの、瑞々しい緑の草が、楡の根元をぐるりと取り囲むように、こんもりと茂っている。その間から、細い蔓が這い出し、小さな白い花が、ぽつぽつと咲いていた。


――一晩で、だった。


「……誰だ」


オズワルドの声が、地の底から響くように低かった。


「誰が、中庭を掘った」


*


中庭の隅で、ロゼリアが、そっと柱の陰に隠れようとしていた。


その腕を、雷夕が掴んだ。


「――お前だろ」


「しっ! 声が大きい!」


「昨日の夜、見てたぞ。窓から」


「見てたなら止めなさいよ!」


「止めても植えるだろ、お前」


「植えるわよ!」


「――ガルシア殿」


背後から、氷のような声がした。


二人が、ぎぎぎ、と首を回すと、オズワルドが、すぐ後ろに立っていた。


しかめ面。鋭い目。腕を組んだまま、ロゼリアを見下ろしている。


「……おはようございます、オズワルド様」


「おはよう。――あれは、何だ」


*


ロゼリアは、観念したように、肩を落とした。


「ベルリアで、雷夕の劣化が化けた草です。焦土っていう固有スキルを写したら、芽吹きになって。その草が、イヴァルキアの土でも育つかどうか、確かめたくて」


「工房の前ではなく、中庭に植えた理由は」


「……工房の前の土が、硬すぎて」


「中庭の土は、先代が南から取り寄せた、上等な土だ」


「知ってます。だから、植えました」


オズワルドの眉間の皺が、一本、増えた。


それから、楡の根元の若草を、もう一度見た。


一晩で、膝の高さまで伸びた草。

朝露を抱えて、きらきらと光っている。


白い花が、一輪、風に揺れた。


「……一晩で、これか」


「はい」


「――止まるのか」


「分かりません」


ロゼリアは、正直に答えた。


「ベルリアでは、五日経っても、まだ少しずつ伸びてました」


*


オズワルドは、しばらく黙っていた。


それから、ふん、と鼻を鳴らした。


「楡の根を、絞め殺さんようにしておけ。――あの木は、アリシア様が幼い頃、寝台の窓から毎日眺めておられた木だ」


「……はい」


「毎朝、測れ。伸びすぎたら、刈れ。刈った分は、工房へ持っていけ」


「――はい!」


ロゼリアの顔が、ぱっと明るくなった。


オズワルドは、踵を返して、城の中へ歩いていった。


その背中に、雷夕は、思わず声をかけた。


「……いいのか、オズワルドさん」


老人は、振り返らずに答えた。


「劣化の記念碑なのだろう。――傭兵殿が、ベルリアで何を守ってきたのか、毎朝目に入る場所にあって、悪いことはない」


それだけ言って、扉の向こうへ消えた。


ロゼリアが、雷夕の脇腹を、肘で小突いた。


「……記念碑って、言っちゃった」


「お前が言いふらしたんだろ!」


*


午前中は、執務室での報告だった。


四人揃って、アリシアとオズワルドの前に並んだ。

雷夕が昨夜話したことを、今度は四人で、順番に、もう一度。


ロゼリアの帳面が、何度も開かれた。ケインの報告は、簡潔で正確だった。リヴァールは、最後に、懐からあの地図を取り出した。


広げられた地図の上の、北の端の、赤い印。


アリシアとオズワルドは、長い間、それを見つめていた。


「――この話は、もう少し、時間をちょうだい」


アリシアは、地図から目を上げて、リヴァールに言った。


「あなたが、すぐには行かないつもりなのは、分かってる。でも、行く時が来たら、その時は――」


「その時は、俺一人の用件だ」


「その時に、決めるわ」


アリシアは、きっぱりと言った。


リヴァールは、何か言い返そうとして――口を閉じた。


それから、小さく、頭を下げた。


*


昼過ぎ。


雷夕は、一人で、市場に出かけた。


用事は、一つだった。


(――鍋、買わなきゃな)


懐の中の、使い込まれた木の杓子。

ガストンに渡された、傭兵団の鍋の杓子。


鍋がないと、意味がない。


*


イヴァルキアの市場は、相変わらず賑やかだった。


石畳の通りの両脇に、ずらりと並ぶ露店と店舗。

農具を扱う店。装身具を扱う店。子供の玩具を並べた店。薬草と薬瓶を山と積んだ店。


その一角に、厨房道具を扱う店が、何軒か軒を連ねていた。


雷夕は、一番手前の店の前で、足を止めた。


軒先に、大小さまざまな鍋が、ずらりと吊るされていた。


銅の鍋。鉄の鍋。素焼きの土鍋。

片手で持てる小さなものから、子供が一人すっぽり入りそうな大きなものまで。


その中に――妙なものが、混じっていた。


鍋の底に、細かな紋様が刻まれている。

取っ手の付け根に、小さな水晶が嵌め込まれている。


(――魔道具の、鍋?)


*


「――お目が高い」


店の奥から、声がした。


小柄な老婆が、前掛けで手を拭きながら、のそのそと出てきた。

白髪を手拭いで包み、腰には、大きな木の匙を何本も、刀のように差している。


「そいつは、焦げ付かずの鍋だよ。底に、熱を均す紋様が刻んである。水晶に指を当てりゃ、火加減が勝手に一定になる」


「……焦げ付かない?」


「焦げ付かない。どんな下手くそが炊いてもね」


老婆は、にやりと笑った。


「粥でも、煮込みでも。底にこびりつかないから、鍋を洗うのも楽ちんさ」


雷夕は、その鍋を、まじまじと見つめた。


三年間、毎朝、毎晩。

焚き火の上で、焦げ付かないように、杓子で鍋の底を必死に掻き回し続けた日々。


それが――指一本で、要らなくなる。


(――イヴァルキア、すげえな)


この国に来て、もう、ずいぶん経つ。

魔道具には、とっくに驚かなくなったつもりだった。


それでも、これには、素直に感心した。


*


雷夕は、焦げ付かずの鍋を、手に取った。


取っ手を握る。

ずしりと、程よい重さ。


それから――少し考えて、その鍋を、元の場所に戻した。


老婆が、片眉を上げた。


「おや。買わないのかい」


「いや、買う」


雷夕は、その隣に吊るされていた、何の変哲もない、鉄の大鍋を指差した。


紋様も、水晶も、何もない。

ただの、黒い鉄の鍋。ベルリアの傭兵団の野営地で使っていたのと、ほとんど同じ形の。


「――こっちを」


*


老婆は、怪訝そうに、雷夕と鉄の鍋とを見比べた。


「焦げ付くよ、それは」


「知ってる」


「底を、ずっと掻き回してなきゃならないよ」


「知ってる」


雷夕は、懐から、木の杓子を取り出した。


使い込まれて、黒光りする柄。

先端の丸い部分の、少しだけ欠けた縁。


「こいつで、掻き回すんだ。――焦げ付かない鍋じゃ、こいつの出番がなくなるだろ」


老婆は、しばらく、杓子を見つめていた。


それから、顔中の皺を寄せて、笑った。


「――なるほどねえ。そいつの相棒を探してたのかい」


「そういうこと」


「なら、売ってやるよ。そいつに似合うのを」


老婆は、鉄の大鍋を、軒先から外してくれた。


*


両腕に大鍋を抱えて、市場の通りを歩く。


重い。

けれど、悪くない重さだった。


ハンナの店の前を通りかかると、店先で、リタが大きな樽を転がしていた。


「――あっ、雷夕さん! お帰りなさーい!」


樽を放り出して、手を振ってくる。


樽が、坂道を、ごろごろと転がり始めた。


「リタ、樽!」


「えっ? ――あーっ!」


リタが、慌てて樽を追いかけていく。

その背中に、店の奥から、ハンナの怒鳴り声が飛んだ。


「リタ! また粗相か!」


「すみませーん!」


(――帰ってきたなあ)


雷夕は、大鍋を抱えたまま、一人で、笑った。


*


その夜。


ハンナの店の厨房を、少しだけ借りた。


新しい鉄の大鍋に、麦と、干し肉の切れ端と、イヴァルキアの香草を。

それから、ベルリアの南の村の人たちが礼にとくれた、干した魚を、少しだけ。


杓子で、底を掻き回す。


焦げ付かないように。

ゆっくりと、ずっと。


湯気が、立ち上った。


麦の匂い。香草の匂い。それから、ほんの少しだけ、海の匂い。


*


店の長卓に、いつもの顔が揃っていた。


ロゼリア。ケイン。リヴァール。

ハンナと、リタと、ミラと、ネルバと、フィオナ。


それから――。


「……なぜ、私まで」


オズワルドが、卓の端で、しかめ面をしていた。


「アリシア様に、言われたのだ。傭兵殿が麦粥を炊くから、味見をしてこい、と」


「アリシアは?」


「公務だ。――後で、感想を報告しろとのことだ」


雷夕は、笑いを噛み殺して、オズワルドの椀に、一番具の多いところをすくってやった。


*


全員の椀に、麦粥が行き渡った。


ロゼリアが、一口すすって、目を丸くした。


「――あ、美味しい」


「だろ」


「魚、入れたの?」


「ベルリアの南の村の人たちに、もらった」


ケインが、無言で、二口目、三口目と匙を運んでいる。

リヴァールは、黙って椀を傾けていた。その椀は、気づけば、もう空になっていた。


フィオナが、丁寧な口調で、悪戯っぽく微笑んだ。


「霧島様は、お料理もなさるのですね。存じ上げませんでした」


「飯炊きだったんだ、昔」


「まあ。では、うちの厨房に雇われては? リタより、よほど粗相が少なそうです」


「フィオナさん、ひどいー!」


店中に、笑い声が上がった。


*


オズワルドは、黙って、麦粥を啜っていた。


一口。二口。


やがて、椀を卓の上に置いて、ぼそりと言った。


「――アリシア様に、何と報告すればいい」


「美味かった、でいいだろ」


「わしは、そういう軽々しい言葉は使わん」


「じゃあ、何て言うんだよ」


オズワルドは、しばらく、空になった椀を見下ろしていた。


それから、咳払いを一つ落とした。


「……及第点、と」


雷夕は、吹き出した。


「またそれかよ!」


「最大級だ。文句を言うな」


ロゼリアが、隣で、腹を抱えて笑っていた。


*


鍋の底が見えた頃、雷夕は、木の杓子を、鍋の縁にかけた。


ふと、懐に手を入れる。


焦げた旗。

アリシアの手紙。

すべすべした、白い小石。


一個で、帰れるでしょ――と、エマは言った。


(――帰ってきたよ、ちゃんと)


雷夕は、白い小石を、指先でそっと撫でた。


それから、空になった鍋に、水を張った。


鍋は、少しだけ、底が焦げ付いていた。


それでいい、と思った。


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