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レーヴァルト戦記 ~最弱のコピー能力が別の魔法に化けるので、恩人の領主を守るために戦います~  作者: 深夜のトースト
第4章 灰色の城の囚われ人

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第1話 夜更けの執務室

王都の南門をくぐったのは、夜も更けた頃だった。


予定より、半日遅れていた。

最後の峠の手前で、荷馬車の車軸が一本、また歪んだのだ。ベルリアの鍛冶屋が夜通し打ち直してくれた、あの車軸だった。


「――打ち直した所とは、別の所が歪みましたな」


トマスが、のんびりとそう言って、隊の者たちと一緒に、街道の脇で半日かけて車軸を直した。


結果、凱旋の群衆も、ハンナの平手打ちも、なかった。


南門の門番が、松明を掲げて、眠そうな目で四人の顔を確かめただけだった。


「……あ、劣化の」

「ああ」

「お、お帰りなさい」

「ただいま」


それで、おしまいだった。


(――静かな帰りってのも、悪くないな)


雷夕は、夜の石畳に響く蹄の音を聞きながら、小さく欠伸をした。


*


城の中庭は、真っ暗だった。


楡の木の影が、篝火の灯りの中で、ゆらゆらと揺れている。

衛兵が二人、門の脇で、槍に寄りかかってうつらうつらしていた。


雷夕たちが馬を降りると、一人がはっと目を覚まして、慌てて背筋を伸ばした。


「――お、お帰りなさいませ! す、すぐにお嬢様に――いえ、領主様に――」


「いい、いい。もう遅いだろ。報告は明日の朝に――」


「いえ、それが」


衛兵は、城の上の方を、ちらりと見上げた。


雷夕も、つられて見上げた。


城の二階の、一番奥の窓。


そこだけ、灯りが点いていた。


*


「……まだ、起きてるのか」


「このところ、毎晩です」


衛兵が、声を落とした。


「トマス殿の隊商が、南の道のどこかで足止めを食っているらしい、という報せが昼に入りまして。それから、ずっと」


雷夕は、黙って、その窓を見上げていた。


隣で、ロゼリアが、小さく溜め息をついた。


「――行ってきなさいよ」


「は?」


「親書の返事、預かってるのはあんたでしょう。使者の仕事は、親書を届けるまで、よ。まだ終わってないわ」


「明日でいいだろ」


「明日まで、あの窓の灯りを点けさせとくつもり?」


ぐうの音も出なかった。


ケインが、無言で、雷夕の馬の手綱を受け取った。

リヴァールは、もう、厩の方へ歩き出していた。


*


執務室の扉の前で、雷夕は、一度だけ深呼吸をした。


叩く。


コン、コン。


一拍。


「――入って」


扉の向こうから、声がした。


眠そうな声ではなかった。


*


執務室は、ランプ一つの灯りで、薄暗かった。


机の上に、書類の山。

その向こうで、アリシアが、羽根ペンを持ったまま、顔を上げていた。


上質な衣装ではなかった。

生成りの簡素な上衣に、肩から薄手の外套を一枚。銀の髪は、寝る前に梳かしたのか、背中で緩く一つに編まれている。


目の下に、うっすらと、隈があった。


「――雷夕」


羽根ペンが、机の上に、ことりと置かれた。


*


「夜分に、悪い」


雷夕は、懐から、一通の書簡を取り出した。


金の麦の穂の封蝋。


机の前まで歩み寄り、両手で差し出す。


「ベルリア領主、フェリクス殿より。――イヴァルキアとの同盟を、謹んでお受けする、と」


アリシアは、しばらく、その書簡を見下ろしていた。


それから、両手で、受け取った。


封蝋の金の麦の穂を、指の腹で、そっと撫でる。

レーヴァルト家の紋章を受け取ったフェリクスが、同じように撫でていたのを、雷夕は思い出した。


「……確かに」


アリシアは、書簡を、机の上に置いた。


それから、立ち上がった。


*


机を回り込んで、雷夕の前に立つ。


ランプの灯りの中で、アリシアの目が、雷夕の顔を、上から下まで、ゆっくりとなぞっていった。


頬の、薄くなりかけた火傷の痕。

少し伸びた髪。

旅の埃をかぶった外套。


「――怪我は」


「ない。……いや、ちょっと焦げたくらい」


「焦げた」


「焦げた。かすっただけ」


「かすっただけで、焦げるの?」


「焦げるんだよ、相手が相手だったから」


アリシアは、じっと、雷夕の頬の火傷の痕を見つめていた。


それから――ふっと、息を吐いた。


「……前にも、こういう会話をした気がするわ」


「した。中庭で」


「そうね」


アリシアは、小さく笑った。


目の下の隈が、笑うと、少しだけ薄くなったように見えた。


*


「――座って」


アリシアに促されて、雷夕は、机の前の椅子に腰を下ろした。


アリシアも、自分の椅子に戻る。

けれど、羽根ペンには、手を伸ばさなかった。


「全部、聞かせて。――明日の朝、改めて皆で報告してもらうけど。その前に、あなたの口から」


雷夕は、少し迷った。


全部、と言われても、どこから話せばいいのか。


「……長くなるぞ」


「構わないわ。どうせ、今夜はもう眠れないもの」


*


雷夕は、話した。


トマスの隊商での十日の旅。

峠から見下ろしたベルリア。

城門で、飯炊きの坊主と呼ばれたこと。

詰所の扉の前で、ガストンに「生きてるか」と言われたこと。


十七歳の領主。

降伏を迫る重臣たち。

難民の天幕の前に並べられた、小さな石。


北門を舐め上げた炎。

城壁の上で燃えた、四人の自警団。


荷馬車の上で叫んだ、少年の声。

母親の声に、槍を捨てて駆けてきた若者。


それから――焼けた土に、手を置いたこと。


アリシアは、一度も、口を挟まなかった。


ただ、ランプの灯りの中で、じっと、雷夕の顔を見つめていた。


*


「――芽吹いた?」


最後の話を聞いて、アリシアが、ようやく口を開いた。


「焦土が、草に?」


「ああ。……俺も、よく分かってない。狙ってないから」


「ロゼリアは、何て」


「呆れてた。あと、草を根っこごと持って帰ってきた。工房の前に植えるって」


「植えるの?」


「劣化の記念碑だってさ」


アリシアが、ぷっ、と噴き出した。


口元を手で押さえて、肩を震わせる。


「……ご、ごめんなさい。でも、記念碑って」


「笑うなよ。俺、止めたんだからな」


「止まらなかったのね」


「止まるわけないだろ、ロゼリアだぞ」


アリシアは、しばらく笑っていた。


それから、目尻を指で拭って、ふう、と息を吐いた。


「――よかった」


小さな声だった。


「無事に、帰ってきてくれて」


*


雷夕は、何と返せばいいか分からなくて、頭を掻いた。


「……あ、そうだ。伝言がある」


「伝言?」


「フェリクス殿から。書簡には書けなかったからって、口で」


雷夕は、少しだけ、背筋を伸ばした。


「いつか、アリシア殿にお会いしてみたいです。国を空にして飛び出すのは、例外にしなければいけないそうなので――いつか、ちゃんと、使者を立てて。……だってさ」


アリシアの目が、丸くなった。


「――国を空にして飛び出すのは、例外」


「ああ」


「……雷夕。あなた、その話、フェリクス殿にしたの?」


「した」


「どこまで」


雷夕は、目を逸らした。


「……国境の街道で、帝国の幹部の魔法から、銀の髪の女の人に庇われた、とか。腕から血を流しながら退かなかった、とか。あれは例外だったって後で聞いた、とか」


アリシアの頬が、ランプの灯りの中で、見る間に赤くなっていった。


「――なんで、そんな話を」


「聞かれたんだよ。なんで他国のために戦えるのかって。……それに答えたら、そうなった」


「…………」


「あと、ガストンのおっさんにも、宴の時に三回くらい話したらしい。酔ってて覚えてないけど」


「三回!?」


アリシアが、両手で顔を覆った。


*


しばらく、執務室に、沈黙が落ちた。


ランプの芯が、じじ、と小さく鳴る。


アリシアは、両手で顔を覆ったまま、指の隙間から、くぐもった声を漏らした。


「……ベルリアで、私、どういう人だと思われてるの」


「たぶん、すごい人」


「すごい人」


「見ず知らずの傭兵のために、帝国の幹部の前に飛び出した、すごい領主様」


「――やめて」


「あと、フェリクス殿は、たぶん、ちょっと憧れてる」


「やめてってば!」


アリシアが、机の上の羽根ペンを、雷夕に向かって投げつけた。


羽根ペンは、ひらひらと宙を舞って、雷夕の膝の上に、ぽとりと落ちた。


雷夕は、それを拾い上げて、堪えきれずに笑った。


*


「――それと、もう一つ」


笑いが収まってから、雷夕は、少しだけ声を落とした。


アリシアも、顔から手を下ろした。

雷夕の声の調子が変わったのに、気づいたのだろう。


「リヴァールが、向こうで手に入れたものがある。……明日、本人から話すと思うけど」


「何を」


「地図だ。帝国の強硬派が、政敵を北へ送る時に使う道の。――北の要塞の場所が、分かった」


アリシアの目が、すっと細まった。


領主の目だった。


「……そう」


それだけ言って、しばらく、ランプの炎を見つめていた。


「明日、聞くわ。リヴァールから、直接」


「ああ」


*


雷夕は、立ち上がった。


「じゃあ、俺はこれで。――あ、羽根ペン」


膝の上に乗せたままだった羽根ペンを、机の上に戻す。


アリシアは、それを受け取らなかった。


代わりに、雷夕の顔を、見上げた。


「雷夕」


「ん」


一拍。


アリシアは、何かを言いかけて――少しだけ、迷うように、唇を結んだ。


それから、ほどいた。


「――おかえりなさい」


前と、同じ言葉だった。


けれど、前よりも、少しだけ、声が柔らかかった。


「……ただいま」


雷夕も、前と同じ言葉で返した。


*


扉を閉めて、廊下に出る。


振り返ると、扉の下の隙間から、まだ、ランプの灯りが漏れていた。


(――寝ろよ、早く)


心の中でそう呟いてから、雷夕は、自分の部屋へ向かって歩き出した。


廊下の窓から、中庭の楡の木が見えた。


その木の下に、何か、小さな影が動いていた。


目を凝らすと、ロゼリアだった。


月明かりの下で、しゃがみ込んで、地面を掘っている。


傍らに、布に包まれた、若草の束。


(――もう植えてんのかよ)


雷夕は、窓枠に額をつけて、声を殺して笑った。


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