↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レーヴァルト戦記 ~最弱のコピー能力が別の魔法に化けるので、恩人の領主を守るために戦います~  作者: 深夜のトースト
第3章 焦土に芽吹く

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
63/73

エピローグ 芽吹いた土の上で

出立の朝、北門の外の草地は、朝露でしっとりと濡れていた。


膝の高さまで伸びた若草が、一本一本、小さな水の粒を抱えている。

風が吹くたびに、それがきらきらと揺れて、草地の端から端まで、細かな光の波が走っていった。


雷夕は、草地の縁に立って、その景色を眺めていた。


あれから、五日。


緑は、まだ、少しずつ伸び続けていた。

ロゼリアが毎日測りに来ては、帳面に数字を書き込んでいる。「止まらないわね」「止まらないな」「あんたのせいよ」「俺のせいかよ」――それが、ここ数日の、朝の挨拶になっていた。


草地の真ん中の、こんもりと盛り上がった一角には、小さな木の札が、いくつも立てられていた。


ヤンとカスパーが、二人で削って、名前を刻んだ札だった。


その一番端の札の前に、小さな石が一つ、載っていた。


*


「――坊主」


背後から、野太い声がした。


振り返ると、ガストンが、のしのしと草地を踏んで歩いてくるところだった。


左腕の吊り布は、まだ取れていない。

それでも、顔色は、だいぶ良くなっていた。髭の奥の頬に、赤みが戻っている。


右手に、大斧を担いでいた。


その刃の真ん中に、拳ほどの大きさの欠けが、くっきりと残っていた。


「……直さないのか、それ」


「直さねえよ」


ガストンは、大斧を草の上に突き立てて、その柄に、右腕をもたせかけた。


「鍛冶屋に持ってったら、打ち直せば元通りになるって言われたがな。――断った」


「なんで」


「これは、あの野郎を叩き割った欠けだ。カランドの連中の分と、ハンスたちの分と、――坊主の麦粥の分だ」


ガストンは、欠けた刃を、太い指で、こつんと叩いた。


「残しといた方が、いいだろ」


*


二人は、しばらく、黙って草地を眺めていた。


朝露が、若草の先から、ぽたりと落ちる。


遠くで、雲雀が鳴いていた。


「……なあ、おっさん」


「何だ」


「イヴァルキアに、来ないか」


ガストンが、横目で雷夕を見た。


「ロゼリアの工房、腕の立つ奴はいつでも欲しがってるし。城の兵だって、おっさんくらいの古強者がいたら、助かると思う。――アリシアなら、たぶん、二つ返事で」


「行かねえよ」


即答だった。


「……だよな」


「分かってて聞くな」


ガストンは、髭の奥で、にやりと笑った。


「俺は、ここで自警団の頭をやってる。坊ちゃん――いや、領主様が、正規の兵を立て直すまでは、俺がいねえと回らねえ。それに」


草地の向こう、丘の上の町を、顎でしゃくる。


石の城壁。赤茶けた屋根の連なり。丘の頂の館の屋根の上で、緑の旗が、朝の風に揺れていた。


「――ここが、俺の町だ」


*


雷夕は、頷いた。


分かっていた。

聞く前から、分かっていた。


「……そっか」


「そういうお前はどうなんだ」


「俺?」


「ベルリアに、戻ってくる気はねえのか。――飯炊きの席なら、いつでも空いてるぞ」


雷夕は、少しだけ考えた。


それから、首を横に振った。


「まだ、恩を返しきれてないんだ。――向こうに」


「恩、ね」


ガストンは、ふん、と鼻を鳴らした。


「あの銀髪の領主様にか」


「……なんで知ってんだよ」


「麦粥の宴の時に、お前、坊ちゃんに散々喋ってただろうが。国境の街道で庇われたとか、腕から血を流しながら退かなかったとか、例外だったとか。――隣で聞いてりゃ、嫌でも分かる」


雷夕の顔が、熱くなった。


「……そんなに喋ってたか、俺」


「喋ってた。三回くらい」


「三回!?」


「酔ってたからな、お前」


ガストンは、がっはっは、と笑った。


草地の上の雲雀が、驚いて、ぱっと飛び立った。


*


「――ほらよ」


笑いが収まると、ガストンは、腰の袋から、何かを取り出して、雷夕の胸に押しつけた。


木の杓子だった。


柄が長く、使い込まれて、黒光りしている。

先端の丸い部分の縁が、少しだけ欠けていた。


雷夕は、それを見下ろして、目を見開いた。


「……これ」


「団の、鍋の杓子だ」


ガストンは、そっぽを向いていた。


「団を畳んだ時に、鍋は売っ払ったがな。そいつだけは、なんとなく、捨てられなかった。――三年間、お前が毎朝毎晩、握ってた杓子だ」


雷夕は、杓子の柄を、ぎゅっと握った。


手のひらに、馴染んだ感触があった。


三年間、毎朝、毎晩。

湯気の向こうで、仲間たちが、椀を突き出して待っていた。


「……おっさん」


「何だ」


「これ、鍋がないと、意味ないだろ」


「向こうで買え。鍋くらい」


「……ああ」


雷夕は、杓子を、懐にしまった。


焦げた旗と、アリシアの手紙の、すぐ隣に。


*


南門の前には、トマスの隊商が、荷馬車を連ねて待っていた。


六台のうち、二台は、門を塞いだ時に車軸が歪んでしまったらしい。町の鍛冶屋が、夜通し打ち直してくれたのだと、トマスが嬉しそうに話していた。


荷台には、ベルリアの品が積まれていた。


干した魚。南の果物の砂糖漬け。カランドの人々が、礼にと織った布。

それから、金の麦の穂の封蝋を押した、一通の書簡。


門の前に、人が集まっていた。


フェリクスがいた。

父親の緑の上着。大きすぎる金の指輪。その横に、バルトロメウス。


ボリスがいた。欠けた前歯を剥き出しにして、大きく手を振っている。


ヤンと、エマと、その母親がいた。

カスパーと、その母親がいた。


*


「――霧島殿」


フェリクスが、一歩前に出た。


「アリシア殿に、よろしくお伝えください。それから――」


少年は、少しだけ迷ってから、続けた。


「いつか、イヴァルキアにも、麦粥を食べに行きます。……使者を立てて、ちゃんと」


雷夕は、笑った。


「待ってます。――鍋、買っときますから」


「鍋?」


「こっちの話です」


フェリクスは、きょとんとしていた。

その横で、ガストンが、髭の奥で、くつくつと笑っていた。


*


エマが、母親の手を離れて、雷夕の前に駆けてきた。


大きすぎる上着の袖は、もう、折り返していなかった。

母親が、袖を詰め直してくれたらしい。


「――西から来たおじさん」


「おじさんはやめてくれって」


「はい、これ」


小さな手が、雷夕の手のひらに、何かを載せた。


石だった。


丸くて、すべすべした、白い小石。

草地のどこかで拾ってきたのだろう。土の匂いが、少しだけ残っていた。


「お守り。――お兄ちゃんの分の石は、もう要らないから。だから、今度は、おじさんの分」


雷夕は、手のひらの上の石を、見下ろした。


「……俺の分?」


「おじさんが、ちゃんとおうちに帰れるように。一日一個じゃなくて、一個だけ」


エマは、にっこりと笑った。


「一個で、帰れるでしょ?」


*


雷夕は、しばらく、何も言えなかった。


それから、しゃがみ込んで、エマの頭を、そっと撫でた。


「……ああ。帰れる」


石を、握りしめる。


「ありがとな」


エマの後ろで、ヤンが、深く頭を下げていた。

その隣で、母親も。


カスパーが、鼻を啜りながら、袖で目元を拭っていた。


*


「――雷夕、そろそろよ!」


荷馬車の上から、ロゼリアの声が飛んできた。


帳面を胸に抱えている。その横に、若草の束が、根っこごと、布に包まれて積まれていた。


「……何持って帰ってんだ、お前」


「研究材料よ! イヴァルキアの土で育つかどうか、確かめるの!」


「育ったらどうすんだよ」


「工房の前に植えるわ。あんたの劣化の記念碑」


「やめろ!」


その隣の荷馬車で、ケインが、真顔で手綱を握っていた。


胴には、相変わらず、布紐が襷掛けにされている。

いや――よく見ると、一本、増えていた。


「……ケイン、それ」


「草地で、征用兵を担いだ件で、ロゼリア殿に。――安静を三度破ったと」


「四度目は?」


「宴の夜に、皿を運びました」


「……律儀だな、相変わらず」


最後尾の馬の上で、リヴァールが、北の空を、じっと見上げていた。


懐に、焼け焦げた紙の束と、畳んだ地図。


雷夕が馬に跨ると、リヴァールは、北の空から目を外して、こちらを見た。


それから、何も言わずに、小さく頷いた。


*


隊商が、動き出した。


荷馬車の車輪が、轍を噛んで、ごとん、と揺れる。


雷夕は、馬上で、一度だけ振り返った。


南門の前で、人々が手を振っていた。


フェリクスが。

バルトロメウスが。

ボリスが。

ヤンとエマと、その母親が。

カスパーと、その母親が。


その一番後ろに、ガストンが立っていた。


大斧を肩に担いで。

左腕を、吊ったまま。


手は、振っていなかった。


ただ、髭の奥で、にやりと笑って――大きな声で、叫んだ。


「――坊主ッ!!」


雷夕は、手綱を引いた。


「――生きてろよッ!!」


*


三年前は、「生きてるか」だった。


酒場の裏で、残飯を漁っていた自分に、初めて掛けられた言葉。


五日前は、「生きてるか」だった。


詰所の扉の前で、三年ぶりに掛けられた言葉。


今度は、違った。


「生きてろよ」。


問いではなかった。


雷夕は、喉の奥が、ぎゅっと詰まるのを感じた。


それでも、精一杯、声を張り上げた。


「――おっさんこそッ!!」


ガストンが、がっはっは、と笑った。


その馬鹿でかい笑い声は、隊商が丘を下りきるまで、ずっと、背中に届いていた。


*


丘を下り、街道に出て、最初の峠を越える頃。


雷夕は、懐に手を入れた。


指先に触れるものが、増えていた。


焦げた旗。

アリシアの手紙。

使い込まれた、木の杓子。

すべすべした、白い小石。


それから――金の麦の穂の封蝋を押した、一通の書簡。


(――十日、か)


南回りの道で、十日。


十日経てば、あの城の中庭に着く。


楡の木の下で、銀の髪の領主が、両手を体の前で重ねて、待っているだろう。

指先で、衣装の布地を、皺が寄るほど握りしめて。


それから、領主の声で「よく戻りました」と言って。

報告書がどうの、怪我がどうのと、一通り叱って。


最後に、年相応の娘の顔で――。


雷夕は、一人で、小さく笑った。


「……鍋、買わなきゃな」


隣で馬を並べていたロゼリアが、怪訝そうにこちらを見た。


「何よ、急に」


「いや、こっちの話」


雷夕は、手綱を握り直した。


西へ向かう街道の上を、朝の風が、若草の匂いを運んで、吹き抜けていった。


――第3章 了


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。