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レーヴァルト戦記 ~最弱のコピー能力が別の魔法に化けるので、恩人の領主を守るために戦います~  作者: 深夜のトースト
第3章 焦土に芽吹く

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第17話 焦土に、芽吹く

カチリ、と。


乳白色の歪んだ球が、腕輪の留め具に、嵌まった。


その瞬間。


――ドクンッ。


心臓が、一つ、大きく跳ねた。


腕輪から、何かが流れ込んでくる。

熱くはない。冷たくもない。ただ、自分のものではない何かが、空っぽになった器の底に、とくとくと注がれていく。


(――ロゼリアの、魔力)


砦の時と、同じ感覚だった。


器に、他人の酒を注ぐようなもの。

量は足りる。味は、保証しない。


*


「――何だい、それは」


ディートリヒが、足を止めた。


ケインの大盾の向こうで、目を細めている。


「石? 魔道具か。……イヴァルキアの玩具だね」


煤けた籠手を、軽く振る。


「何を出す気か知らないが――出る前に、燃やせばいい」


右足が、上がった。


*


雷夕は、目を、ディートリヒの足元に向けた。


炎の海。

燃える草。

地面の隙間という隙間を、蛇のように這い回る、赤い線。


(――写せ)


――いや。


違う。


砦で、蓄魔石を最後に使った時。

狙って写したリヴァールの重撃は、重さが消えて、体が浮きかけた。

制御を超えて、暴れた。


一昨日は、狙って写した焦土が、薄い霜に化けた。

さっきは、熱のない光に化けた。


狙えば、外れる。

狙った形には、ならない。


――だったら。


(狙うな)


*


グレンタと戦った夜。


ケインがズタボロにされて、肩を斬られて、勝てる目が一つも見えなかった、あの夜。


何も考えずに、ただ、体が勝手に動いた。


シュタイン村の、魔物との死闘。


剣を捨てて、狙うことすら放棄した、あの瞬間。


劣化が一番強く牙を剥くのは、いつだって――狙うのを、やめた時だった。


(考えるな)


雷夕は、目を閉じた。


*


――瞼の裏に、浮かんだものがあった。


炎ではなかった。


焦げた旗だった。

青地に、白い紋章の端。トマスが、遠くの国の人に伝えてくれと託された、あの布。


広場の天幕の前に並んでいた、小さな石だった。

一日に一個ずつ。もうすぐ、三十個。


母親の手から、こぼれ落ちた石だった。

濡れた石畳の上で、からん、と跳ねた、最後の一個。


燃えていく町だった。

見たことのない、カランドの国境の町。粉屋の麦藁。鍛冶屋の炭の山。戸口の鉢植え。


それから――。


焚き火の上で、湯気を立てる、大きな鍋。

麦の匂い。


(――麦)


ベルリアの旗に縫い取られた、金の麦の穂。


ガストンの傭兵団の野営地で、毎朝、毎晩、炊き続けた麦粥。

三年前、酒場の裏で拾われた夜に、初めて食わされた、あの一杯。


燃やされるために、育つものなんか、一つもない。


*


ダンッ――!!


ディートリヒの足が、地面を踏み抜いた。


炎の筋が、雷夕へ向かって、一直線に走ってくる。


ケインの大盾の、脇をすり抜けて。

地面の隙間を、這うように。


雷夕は、目を閉じたまま――。


ただ、手のひらを、地面についた。


狙わなかった。

何も、考えなかった。


ただ、焼けた土に、手のひらを、そっと置いた。


*


――トクン。


土の下で、何かが、脈打った。


*


最初に気づいたのは、ケインだった。


大盾の脇をすり抜けてきた炎の筋が――雷夕の手のひらの、ほんの一歩手前で、止まった。


いや。


止まったのではない。


炎の筋が走ってきた、その地面の隙間から――。


緑色の、何かが。


ぷつり、と。


顔を、出していた。


*


芽、だった。


小さな、小さな、双葉の芽。


焼けた土の隙間から、ぷつり、ぷつりと、次々に顔を出していく。


一つ。

二つ。

十。

百。


――ザワッ。


音がした。


草が、伸びる音だった。


ザワザワザワザワザワッ――!!


*


緑が、走った。


雷夕の手のひらを中心に、放射状に。


焼けた草地を、炎の筋が這った跡を、地面の隙間という隙間を――ディートリヒの炎が走ったのと、そっくり同じ道筋を辿って。


ただし、赤ではなく、緑で。


炎ではなく、芽吹きで。


焦げた土の隙間から、草が噴き出す。

石の継ぎ目から、蔓が這い上がる。

轍の溝から、根が、ぐねぐねと地表を突き破って、盛り上がっていく。


炎の筋の上を、緑が、塗り潰していった。


じゅうっ――と。


炎が、瑞々しい若草に触れて、湯気を立てて消えていく。

樹液をたっぷりと孕んだ若い茎は、燃えなかった。燃えようとした炎を、その水気で、逆に呑み込んでいった。


*


「――な」


ディートリヒの声が、初めて、上擦った。


「何だ、これは――!」


足元を、見下ろす。


炎の海が、消えていた。


いや、消えていくのが、見えていた。

彼の周り、半径十歩の、燃え盛っていた地面。その縁から、緑の波が、ザワザワと音を立てて押し寄せてくる。燃える草の根元から、新しい草が噴き出し、燃える草ごと、炎を、緑の中に呑み込んでいく。


「――燃えろ!」


ディートリヒが、地面を踏んだ。


ダンッ!


炎の筋が、噴き出す。


噴き出した、その瞬間に――炎が走ろうとした地面の隙間から、根が、噴き出した。


隙間が、ない。


炎が這うための隙間を、根が、全部、塞いでいた。


行き場を失った炎が、ディートリヒの足元で、ぶすぶすと燻って、消えた。


*


(――隙間を、塞いでる)


雷夕は、目を開けていた。


地面についた手のひらの下から、温かい何かが、脈打ちながら、どこまでも広がっていくのを感じていた。


ロゼリアの言葉が、頭の奥で蘇った。


――あの炎はね、地面の隙間を伝ってる。


炎は、隙間を伝う。

なら、隙間が、全部、根で埋まっていたら。


(――これ、俺が狙ったわけじゃねえからな)


笑いそうになった。


狙ってない。

考えてもいない。


ただ、焼けた土に、手を置いただけだ。


それなのに――劣化は、焼き尽くす力を、芽吹かせる力に、変えていた。


*


「――燃えろ、燃えろ、燃えろォッ!!」


ディートリヒが、狂ったように、地面を踏み続けていた。


ダンッ! ダンッ! ダダンッ!


そのたびに、足元から、ぶすぶすと、白い煙が上がるだけだった。


炎は、走らなかった。


走るはずの道が、緑に、塞がれていた。


そして――。


ディートリヒの足首に、何かが、絡みついた。


*


根だった。


地面から噴き出した、太い根。


それが、彼の足首に、ぐるりと巻きついていた。


「――ッ!?」


足を、引き抜こうとする。


抜けない。


根が、締まる。

もう一本。もう一本。


脛へ。膝へ。


地面を踏み鳴らすたびに、その振動に応えるように、新しい根が噴き出して、彼の足に絡みついていく。


「離せ――離せッ! 何だ、これは!! 私の、私の炎が――!」


*


「――お前の炎だよ」


雷夕は、地面に手をついたまま、言った。


声が、掠れていた。


蓄魔石から流れ込んでくる魔力が、手のひらから、とめどなく地面へ流れ出していく。止められない。止め方も、分からない。


それでも、言わずにはいられなかった。


「お前の焦土を写して、劣化させた。――劣化すると、どうなるか、俺にも分かんねえんだよ。だから」


雷夕は、ディートリヒを見上げた。


「焼き尽くす力が、劣化したら――育てる力になった。ただ、それだけだ」


*


ディートリヒの顔が、歪んだ。


初めて見る顔だった。


軽くも、明るくも、愉しげでもない。


ただ、理解できないものを前にした、子供のような顔だった。


「……そんな、馬鹿な」


根が、腰まで這い上がっていた。


「焦土が、草に……? 私の、炎が……そんな、馬鹿な、ことが……!」


両の籠手で、絡みつく根を、引き千切ろうとする。


煤けた籠手が、根を掴む。


――その籠手の指の間からも、ぷつり、と。


小さな、双葉の芽が、顔を出した。


*


「――坊主」


声が、した。


炎の海の縁――今は、緑の草地の縁で。


ガストンが、立ち上がっていた。


左腕は、だらりと垂れ下がっている。袖は焼け落ち、その下の皮膚は、赤黒く焼けただれている。


右手一本で、大斧を、肩に担いでいた。


「――品切れじゃ、なくなったなあ」


髭の奥で、にやりと笑っていた。


*


ガストンが、歩き出した。


緑の草地を、一歩、一歩。


その足元で、草が、さわさわと揺れる。

燃え残りの煙が、緑の中で、細く立ち上っている。


ディートリヒが、ガストンに気づいた。


根に絡め取られたまま、顔を上げる。


「――待て」


その声が、震えていた。


「待て。降伏する。降伏しよう。私は帝国の将だ。捕虜にすれば、身代金が――ヴォルフガング様に掛け合えば、いくらでも――」


ガストンは、足を止めなかった。


「――カランドの連中もな」


低い声だった。


「降伏の鐘を、鳴らしたそうだぜ」


*


ディートリヒの顔から、血の気が引いた。


根が絡みついた右足を、渾身の力で、地面に叩きつける。


ダンッ――!!


最後の炎が、噴き上がった。


ガストンの目の前に。


炎の壁が、立ち上がる――。


――ドゴォォォッ!!


炎の壁が、横から、真っ二つに叩き割られた。


リヴァールだった。


焼け焦げた右腕で、剣を振り抜いた姿勢のまま、草地の上に、片膝をついていた。


「――行け」


短く、言った。


*


ガストンが、炎の壁の裂け目を、くぐった。


右手一本で、大斧を、高く振りかぶる。


ディートリヒの目が、見開かれた。


根に絡め取られた体は、もう、一歩も動かない。


「――やめ」


ブォンッ――!!


大斧が、振り下ろされた。


*


――静かだった。


ディートリヒ・ヴァイスの体が、緑の草の上に、崩れ落ちていた。


煤けた籠手が、草の中に、投げ出されている。


その指の間から顔を出した、小さな双葉の芽が。

朝の風に、そよそよと揺れていた。


ガストンは、大斧を地面に突き立てて、それに縋るように、立っていた。


荒い息を、吐いている。


しばらく、何も言わなかった。


それから、ぼそりと呟いた。


「――斧の刃が、欠けちまった」


*


雷夕は、まだ、地面に手をついていた。


手のひらの下から、温かい何かが、まだ流れ出していた。


止まらない。


緑が、広がっていく。


ディートリヒが倒れた場所を越えて。

帝国の正規兵の槍衾の足元まで。


燃え残っていた草地が、次々と、若草に塗り替えられていく。焼け焦げた征用兵たちの――黒い塊の上にも、草が、そっと覆い被さっていく。


まるで、毛布を掛けるように。


(――止まらねえ)


腕輪の留め具が、軋んだ。


ピシッ――。


蓄魔石に、罅が入る音がした。


ピシピシッ、ピシピシピシッ――!


*


「――雷夕!!」


ロゼリアが、草地を駆けてくる。


雷夕は、顔を上げようとした。


上がらなかった。


視界の端が、ぐらぐらと揺れていた。

草の緑と、空の青と、誰かの影が、ぐちゃぐちゃに混ざり合っていく。


――パキンッ。


腕輪の上で、蓄魔石が、砕けた。


手のひらの下の脈動が、ふっと、途切れた。


*


体が、傾いた。


草の上に、倒れ込む。


柔らかかった。


焼けた土の上に倒れたはずなのに、頬に触れたのは、若草の、ひんやりとした柔らかさだった。


青臭い、草の匂いがした。


(――ああ)


遠くで、誰かが、叫んでいた。


帝国の兵の声だった。

「閣下が――!」「退け、退け!」と、ばらばらに叫ぶ声。整然としていた足音が、乱れ、崩れ、遠ざかっていく。


荷馬車の壁の向こうから、歓声が上がっていた。


ボリスの声。カスパーの声。

それから――ヤンの母親の、泣き声。


(――勝った、のか)


分からなかった。


確かめる前に、瞼が、重くなった。


*


最後に見えたのは、ロゼリアの顔だった。


雷夕の顔を覗き込んで、煤だらけの顔で、何かを怒鳴っている。


たぶん、「生きてる!?」とか、「返事!」とか、そういうことだ。


それから、たぶん――。


「何をどう写したの。全部、見てたけど、全部、意味が分からなかった」とか。


(――今、それ、聞くか)


雷夕は、笑おうとした。


笑う前に、意識が、すとんと落ちた。


若草の匂いの中で。


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