第7話 品切れの男と、写せない男
「――構えろ、坊主」
翌朝。
北門の内側の、踏み固められた土の広場に、ガストンの野太い声が響き渡った。
広場の周りには、自警団の若い連中が、ぐるりと輪を作っていた。
朝の見回りから戻ったばかりの者。これから見張り台に上がる者。槍の手入れの途中で、穂先に布を巻いたまま駆けつけてきた者。誰も彼もが、興味津々という顔で、広場の真ん中を見つめている。
その真ん中に、雷夕と、ガストンが向かい合っていた。
ガストンは、例の大斧を、片手で軽々と肩に担いでいる。
刃には、革の覆いが被せてあった。手合わせ用だ。それでも、あの質量で殴られれば、骨の一本や二本では済まない。
「……なあ、おっさん。本当にやるのか」
「何だ、怖気づいたか」
「怖気づくだろ、普通。それ、覆いかけてても鈍器だぞ」
「鈍器で死んだ奴はいねえ。たぶんな」
「たぶんって何だよ!」
輪の中から、どっと笑い声が上がった。
*
事の起こりは、朝飯の席だった。
詰所の狭い卓で、雷夕が炊いた麦粥を啜りながら、ガストンが言い出したのだ。
「――で、坊主。品切れじゃなくなったってのは、どういう具合だ」
「どういうって」
「見せてみろ。この目で見なきゃ、信じられん」
それで、こうなった。
「――いいか、坊主」
ガストンは、大斧を肩から下ろして、その柄を、地面にどすんと突き立てた。
「三年前のお前は、俺の前に立ったら、三つ数える間に尻餅をついてた。剣を構えるのが遅い。足が止まる。目を瞑る。――その三つが、ちったぁ直ったかどうか、見てやる」
「目は瞑らなかっただろ、さすがに」
「瞑ってた。毎回だ」
「……毎回?」
「毎回」
輪の中から、またどっと笑い声が上がった。
壁際で腕を組んで見物していたロゼリアが、肩を震わせていた。
*
「――始め」
ボリスが、手を叩いた。
ガストンが、動いた。
――速い。
あの巨体からは信じられないほど、初動が速かった。
大斧の柄を地面から引き抜く動きが、そのまま横薙ぎの一撃に繋がっている。溜めも予備動作もない。踏み込みと振り抜きが、一つの動作に溶け合っていた。
ブォンッ――!
空気が、唸った。
雷夕は、後ろへ跳んだ。
鼻先を、革の覆いが掠めていく。風圧だけで、前髪が逆立った。
(――あっぶね!)
着地。
足は止めない。止めたら、次が来る。
案の定、来た。
振り抜いた大斧の勢いを殺さずに、ガストンの体が、くるりと一回転する。遠心力を乗せた二撃目が、今度は斜め上から、唸りを上げて落ちてきた。
雷夕は、剣を抜いた。
受けない。
受けたら、剣ごと腕が持っていかれる。
――流す。
ギャリィッ――!
刃と刃が擦れ合う、耳障りな音。
剣の腹で、大斧の軌道を、ほんの僅かだけ横へ逸らした。逸れた刃が、雷夕の肩のすぐ脇の地面に、どごん、と深くめり込む。土くれが弾け飛んだ。
(――重っ!)
剣を握る両手が、じんと痺れた。
流しただけで、これだ。
まともに受けていたら、どうなっていたか。
*
ガストンの目が、ほんの少しだけ、見開かれた。
「――ほう」
地面から大斧を引き抜きながら、髭の奥で、にやりと笑う。
「流しやがった」
「……三年前のままだと思うなよ」
「三年前のお前なら、今ので尻餅ついて、目ぇ瞑ってた」
「瞑ってない!」
「瞑ってた」
ガストンは、大斧を構え直した。
今度は、両手で。
その瞬間、空気が、変わった。
さっきまでの、遊び半分の気配が、すっと消えた。代わりに、巨体の重心が、ずしりと地面に沈み込む。肩から力が抜け、肘が緩み、斧の刃先が、ぴたりと雷夕の喉元の高さで止まった。
(――あ、これ、本気のやつだ)
背筋に、冷たいものが走った。
三年間、ガストンがこの構えを取るのを、雷夕は何度か見たことがあった。
魔物の群れに囲まれた時。盗賊の頭目と斬り合った時。
自分に向けられるのは、初めてだった。
*
「――坊主」
ガストンが、低く言った。
「劣化とやら、使ってみろ」
雷夕は、剣を構えたまま、固まった。
「……おっさん」
「何だ」
「それ、無理だ」
「あぁ? 品切れじゃなくなったんだろうが」
「いや、そうじゃなくて」
雷夕は、ガストンの大斧を、顎でしゃくった。
「劣化ってのは、相手のスキルとか魔法を写す力なんだよ。――おっさん、スキルも魔法も、何も使ってないだろ」
一拍。
ガストンの太い眉が、ぴくりと動いた。
「……つまり」
「写すもんが、ない」
*
広場が、静まり返った。
それから。
――ぶはっ、と。
輪のどこかで、誰かが噴き出した。
それが合図だった。
自警団の若い連中が、腹を抱えて、地面を転げ回って笑い出した。ボリスが、欠けた前歯を剥き出しにして、膝を叩いている。
「写すもんがねえって!」
「ガストンさん、空っぽだってよ!」
「品切れはガストンさんの方だったのか!」
ガストンの顔が、見る間に赤くなっていった。
「――うるせえッ!」
大斧の柄で、地面をどんと突く。
それでも、笑い声は止まなかった。
壁際では、ロゼリアが、とうとう堪えきれずに壁に額を押しつけて、肩を激しく震わせていた。その隣で、ケインが、真顔のまま、ほんの僅かに口の端を引き攣らせている。
*
「……ちっ」
ガストンは、大斧を肩に担ぎ直して、髭を掻いた。
「なら、剣だけで来い。劣化抜きでどこまでやれるか、見てやる」
「最初からそう言えよ」
「言わせたのはお前だ!」
それから、四半刻。
雷夕は、ガストンに、八回、地面に転がされた。
一回目は、足を払われた。
二回目は、斧の柄で胸を突かれた。
三回目は、流したと思った斧の軌道が、途中で変わった。
四回目から八回目までは、何をされたのか、よく分からなかった。
それでも――。
一度も、目は瞑らなかった。
一度も、三つ数える間に尻餅はつかなかった。
八回目に転がされて、空を見上げながら荒い息を吐いている雷夕を、ガストンが、大斧を肩に担いで見下ろしていた。
「――まあ」
髭の奥で、ガストンが、ぼそりと言った。
「ちったぁ、マシになったな」
雷夕は、地面に大の字になったまま、笑った。
息が切れて、うまく笑えなかった。
*
「――次は、俺が相手をしよう」
輪の外から、低い声がした。
笑い声が、ぴたりと止んだ。
リヴァールだった。
壁際から離れて、ゆっくりと広場の中へ歩み出てくる。
腰の長剣は、鞘に収めたまま。抜く気配もなく、ただ、ガストンの正面に立った。
ガストンの目が、すっと細まった。
「……元騎士か」
「元、だ」
「坊主の仲間なら、遠慮はいらねえな」
「いらん」
二人の間の空気が、ぴんと張り詰めた。
輪の中の若い連中が、ごくりと唾を呑む音が聞こえた気がした。
*
ロゼリアが、慌てて壁際から駆け寄ってきた。
「――ちょっと、リヴァール! あんた、ここで重撃使ったら――」
「使わん」
リヴァールは、ガストンから目を離さずに言った。
「秤を壊したのを、まだ根に持っているのか」
「持ってるわよ! 二台目、まだ作ってないんだから!」
「作るな」
二人のやり取りに、ガストンが、怪訝そうに眉を寄せた。
「……重撃?」
「固有スキルだ」
リヴァールは、ようやく鞘ごと剣を腰から外して、両手で握った。
「一撃に、重さが乗る。――手合わせで使えば、あんたの斧が折れる」
ガストンの眉が、ぴくりと跳ね上がった。
それから、髭の奥で、にやりと笑った。
「――言うじゃねえか」
*
二人がぶつかったのは、ボリスが手を叩いた、その瞬間だった。
ガツンッ――!!
鞘に収まったままの長剣と、革の覆いをかけた大斧が、真正面から噛み合った。
鈍い音だった。
金属と金属が打ち合う音ではない。重いものと重いものが、ただ真っ向からぶつかり合う音。
二人の足元の土が、同時に、ずり、と沈んだ。
どちらも、退かなかった。
ガストンの太い腕に、血管が浮き上がる。
リヴァールの、普段は動かない表情が、ほんの僅かに、引き締まる。
刃と刃が、噛み合ったまま、震えていた。
「――重撃なしで、これか」
ガストンが、歯を剥き出しにして笑った。
「元騎士ってのは、化け物揃いか」
「あんたこそ」
リヴァールが、低く返した。
「固有スキルなしで、これか」
*
ふっ、と。
二人が、同時に、力を抜いた。
噛み合っていた刃が離れる。
二人とも、一歩ずつ、後ろへ下がった。
それきりだった。
ガストンが、大斧を肩に担ぎ直す。
リヴァールが、鞘ごとの剣を、腰に戻す。
輪の中の若い連中が、ぽかんと口を開けて、二人を見比べていた。
「……終わり?」
ボリスが、恐る恐る聞いた。
「終わりだ」
ガストンが、あっさりと答えた。
「これ以上やったら、どっちかが怪我をする。――怪我人を出してる場合じゃねえだろ、今は」
リヴァールも、小さく頷いた。
「同感だ」
二人は、それ以上、何も言わなかった。
ただ、すれ違いざまに、ガストンが、リヴァールの肩を、ばしんと一度だけ叩いた。
リヴァールは、それを、避けなかった。
(――あ、今、通じたな、あの二人)
地面に座り込んだまま、雷夕は、そう思った。
*
昼。
詰所の前の焚き火で、雷夕は、大鍋をかき回していた。
麦粥だった。
ボリスたちが市場から掻き集めてきた麦と、干し肉の切れ端と、トマスの隊商が運んできたイヴァルキアの乾燥香草。それに、ハンナが持たせてくれた酢漬けの野菜を、刻んで少しだけ。
鍋から立ち上る湯気に、香草の匂いが混じる。
自警団の若い連中が、木の椀を手に、焚き火の周りに列を作っていた。
「――おい、坊主の麦粥だぞ!」
「三年ぶりだ!」
「俺、これ食いたくて自警団入ったようなもんだからな!」
「……嘘つけ」
雷夕は、苦笑しながら、一杯ずつ椀に注いでいった。
*
列の最後に、ガストンが並んでいた。
大きな手で、一番大きな椀を突き出してくる。
「大盛りだ」
「おっさん、自分で炊けよ」
「炊けねえから、お前を雇ったんだろうが」
雷夕は、鍋の底から、具の多いところをすくって、山盛りに注いでやった。
ガストンは、焚き火の脇の丸太に、どっかりと腰を下ろした。
雷夕も、その隣に座った。
しばらく、二人とも、黙って麦粥を啜った。
「……味、変わったな」
ガストンが、ぼそりと言った。
「イヴァルキアの香草入れたから」
「ふん」
もう一口、啜る。
「――悪くねえ」
*
焚き火の向こうでは、ロゼリアが、自警団の若い連中に囲まれていた。
「霧」と書かれた素焼きの瓶を一つ手に取って、使い方を説明しているらしい。若い連中は、最初こそ胡散臭そうな顔をしていたが、ロゼリアが試しに一つ地面に叩きつけて、ぶわっと白い霧が噴き出した途端、目の色が変わった。
「すげえ!」
「何だこれ、魔法か!?」
「魔法じゃないわよ、道具よ! 誰でも使えるの!」
その少し離れたところで、ケインが、ボリスに剣の握り方を教えていた。
リヴァールは、見張り台の下で、北の方角をじっと眺めている。
「――坊主」
ガストンが、椀を膝の上に置いた。
「昨日、館に行ったんだろ」
「ああ」
「どうだった。フェリクス様は」
雷夕は、少し考えた。
「……真面目な子だった。俺に、謝ってきた。傭兵団を切ったのは自分だって。間違いだったって」
ガストンの髭が、僅かに動いた。
「――そうか」
「重臣の爺さんに、降伏しろって詰め寄られて、震えてた。でも、一回だけ、その爺さんを自分で止めたんだ。無礼だ、って。俺たちに」
「……そうか」
ガストンは、焚き火の炎を、じっと見つめていた。
「あの子はな、親父さんに似て、優しすぎるんだ」
「親父さん、って」
「先代だ。――俺たちを雇ってた、あの人だよ」
ガストンの声が、少しだけ、低くなった。
「優しくて、真面目で、嘘のつけねえ人だった。勝てない喧嘩は、絶対にしなかった。民を危ない目に遭わせるくらいなら、自分が頭を下げる。そういう人だった」
焚き火の薪が、ぱちりと爆ぜる。
「――あの子は、親父さんの真似をしようとしてるんだよ。必死にな。だが、今度の相手は、頭を下げても許しちゃくれねえ」
*
雷夕は、黙って、椀の中の麦粥を見下ろしていた。
湯気が、ゆらゆらと揺れている。
「……おっさん」
「何だ」
「あの子、昔、俺の麦粥を食ったことがあるって」
ガストンが、横目で雷夕を見た。
「親父さんと一緒に、団の野営地を見回りに来たことがあるだろ。その時の麦粥を、親父さんが美味いって言ってたって。――覚えてたよ、あの子」
ガストンは、しばらく、何も言わなかった。
それから、ふっと、髭の奥で笑った。
「……あったな、そんなことも」
大きな手が、雷夕の頭に、ぽんと載った。
今度は、首がもげるほどの力ではなかった。
「なら、坊主。お前の麦粥で、あの子の腹ぁ、もう一回満たしてやれ」
「……何の話だよ」
「さあな」
ガストンは、空になった椀を、雷夕の膝の上に置いた。
「おかわりだ。大盛りで」
「自分で注げよ!」
焚き火の周りに、また、どっと笑い声が上がった。




