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レーヴァルト戦記 ~最弱のコピー能力が別の魔法に化けるので、恩人の領主を守るために戦います~  作者: 深夜のトースト
第3章 焦土に芽吹く

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第5話 坊主、生きてるか

丘を登る坂道の途中で、雷夕は、異変に気づいた。


(――人が、多い)


街道の両脇に、天幕が並んでいた。


天幕、と呼ぶのもためらわれるような代物だった。荷車の幌を外して、木の枝に引っかけただけのもの。毛布を二枚、縄で繋いで屋根にしただけのもの。中には、それすらなく、荷車の陰に身を寄せ合って、地べたに座り込んでいるだけの家族もいた。


煮炊きの煙が、細く、幾筋も立ち上っている。


その煙の匂いに混じって、別の匂いがした。


焦げた布の匂い。

煤の匂い。


「……カランドから逃げてきた人たちね」


隣で、ロゼリアが、小さく呟いた。


*


荷馬車の列が、天幕の間を、ゆっくりと進んでいく。


天幕の中から、いくつもの目が、こちらを見上げていた。


疲れ切った目。

怯えた目。

何かを期待しかけて、すぐに諦めたように伏せられる目。


レイフ砦へ向かう道で見た、難民の列と、同じ目だった。


(――また、この顔か)


胸の奥が、鈍く軋んだ。


「――ねえ、おじさん!」


不意に、小さな声が、荷馬車の脇から飛んできた。


見下ろすと、十歳くらいの少女が、荷馬車と並んで小走りに駆けていた。煤で汚れた頬。ほつれた髪。大きすぎる大人の上着の袖を、何重にも折り返して着ている。


「おじさんたち、北から来たの? 帝国の方から?」


「いや――西からだ。イヴァルキアから」


「……そっか」


少女の足が、緩んだ。


「お兄ちゃん、見なかったかなって思ったの。帝国の兵隊さんに、連れて行かれちゃったから」


それだけ言うと、少女は、荷馬車から離れていった。


天幕の一つの前で、母親らしき女が、少女を抱き寄せている。少女は、母親の腕の中で、次にやってくる荷馬車の方へ、もう首を伸ばしていた。


雷夕は、手綱を握る手に、力が籠もるのを感じた。


*


城門は、閉ざされかけていた。


両開きの木の扉の片側だけが、人一人通れるほどに開いている。その前に、槍を持った男たちが四人、立っていた。


揃いの鎧ではなかった。

革の胸当てを着けた者。鎖帷子を着込んだ者。片方は農夫の野良着の上に、古びた籠手だけを嵌めている。


「――止まれ」


一人が、槍を構えて前に出た。


だが、先頭の荷馬車の御者台にトマスの顔を見つけると、男は、ほっとしたように槍を下ろした。


「トマスさんか。……戻ってきたのか、こんな時に」


「ええ。商いの品と、お客人を連れて参りました」


「客人?」


男の目が、トマスの後ろ――馬上の雷夕たちへ移った。


雷夕は、馬から降りて、男の前に立った。


「イヴァルキアから来た。領主フェリクス殿に、親書を届けに」


「……イヴァルキア?」


男が、眉をひそめる。


それから、雷夕の顔を、じっと見つめた。


一拍。


二拍。


「――お前」


男の目が、見開かれた。


「お前、もしかして――ガストンさんとこの、飯炊きの坊主か!?」


*


雷夕は、思わず噴き出した。


「飯炊きって」


「飯炊きだろうが! 団の飯は、全部お前が炊いてたじゃねえか!」


男は、槍を放り出して、雷夕の両肩を掴んだ。


日に焼けた、四角い顔。前歯が一本欠けている。

見覚えがあった。市場の外れで、荷運びをしていた男だ。ガストン傭兵団が町の周りの見回りに出る時、よく道端から手を振ってくれた。


「……ボリスさん、か」


「覚えてたか! ――おい、お前ら! こいつ、ガストンさんとこの坊主だぞ! 飯炊きの!」


門の前の男たちが、わっと寄ってきた。


「マジか!」

「生きてたのか、お前!」

「どこ行ってたんだよ、急にいなくなって!」


背中を叩かれる。頭を掻き回される。

誰も彼も、加減というものを知らなかった。


(――ベルリアだ)


叩かれた背中が、痛かった。


痛くて、温かかった。


*


「――で、ガストンのおっさんは」


ようやく揉みくちゃから解放されて、雷夕は、ボリスに尋ねた。


「北門の詰所だ。自警団の頭をやってる」


ボリスは、親指で、町の奥を指した。


「団がなくなった後もな、あの人だけは町に残ったんだ。そんで、こんな時だろ。町の若いのを集めて、自警団をまとめてる。……俺も、その一人さ」


自分の古びた籠手を、照れくさそうに叩いてみせる。


「案内してやる。――トマスさん、荷は市場の倉に入れといてくれ。いつもの場所だ」


「承知しました」


*


城門をくぐると、石畳の坂道が、町の奥へと続いていた。


雷夕は、その坂を、ゆっくりと見上げた。


坂の両脇に、赤茶けた屋根の家々が、肩を寄せ合うように並んでいる。軒先には、干した玉葱の束。窓辺には、鉢植えの香草。角の家の壁には、いつ誰が描いたのか分からない、下手くそな魚の落書き。


全部、覚えていた。


覚えていた通りで――覚えていた通りでは、なかった。


坂の上の市場が、静かだった。


露店の半分が、布をかけたまま閉じている。開いている店も、品物はまばらで、売り子の声に張りがない。南の海から運ばれてくるはずの、干した魚の匂いも、甘い果物の匂いも、ほとんどしなかった。


代わりに、人が多かった。


市場の広場の隅々に、カランドから逃げてきた人々が、身を寄せ合って座っていた。町の人間が、鍋を抱えて、その間を回っている。


「……ぐちゃぐちゃじゃ、なくなってるな」


雷夕の呟きに、ボリスが、苦い顔で笑った。


「ぐちゃぐちゃどころじゃねえよ。南の道を通ってくる商人は、トマスさんの隊くらいになっちまった。みんな、次はベルリアだって分かってるからな」


*


北門の詰所は、城壁に寄りかかるように建てられた、石造りの小屋だった。


入り口の脇に、薪が山と積まれている。

その横に、大きな水瓶。立てかけられた槍が数本。壁に打ち付けられた板には、炭で書かれた見張りの順番表。


扉の向こうから、野太い声が聞こえていた。


「――だから、北の見張り台は二人じゃ足りねえって言ってんだろうが! 夜は三人だ、三人! 寝ちまう奴がいるんだよ、必ず!」


その声を聞いた瞬間。


雷夕の足が、勝手に止まった。


(――変わってねえ)


声がでかい。

言葉が荒い。

言ってることは、ちゃんと筋が通っている。


三年間、毎朝、毎晩、聞いていた声だった。


*


ボリスが、扉を叩いた。


「ガストンさん! 客だ!」


「客だぁ? 今忙しいんだよ、後に――」


扉が、内側から開いた。


大きかった。


扉の枠を、肩で塞ぐほどの大男だった。

赤茶けた髭が、顎から胸元まで、もじゃもじゃと伸びている。太い眉。潰れた鼻。左の頬に、古い刃傷の痕が一筋。丸太のような腕が、袖を捲り上げた肌着から、にょっきりと突き出している。


その背後の壁に、大斧が一本、立てかけられていた。


刃の幅だけで、雷夕の顔より広い。


「――あぁ?」


大男が、ボリスの肩越しに、雷夕を見下ろした。


太い眉が、ぴくりと動いた。


それから、ゆっくりと、目が細まった。


*


沈黙。


ボリスが、二人の顔を、きょろきょろと見比べている。


雷夕は、何か言おうとした。


何を言えばいいのか、分からなかった。

久しぶり、か。元気だったか、か。ただいま、か。どれも違う気がした。


先に口を開いたのは、大男の方だった。


「――坊主」


低い声だった。


「生きてるか」


三年前、酒場の裏で、初めて掛けられた言葉と、同じだった。


雷夕は、笑おうとした。


笑う前に、喉の奥が、ぎゅっと詰まった。


「……生きてるよ」


ようやく、それだけ言えた。


「見りゃ分かるだろ、おっさん」


*


次の瞬間、雷夕の視界が、真っ暗になった。


頭を、掴まれていた。

丸太のような腕が、雷夕の頭を脇に抱え込み、もう片方の手が、髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。首が、もげそうだった。


「――痛っ、痛い痛い痛い! おっさん、首! 首!」


「うるせえ! 生きてるなら連絡くらい寄越せ、この馬鹿坊主が!」


「どうやって寄越すんだよ、手紙の届け方なんか知らねえよ!」


「知らねえなら覚えろ! 三年も何教えてたと思ってんだ!」


「飯の炊き方だろ!」


「そうだよ!」


がっはっは、と。


詰所の石の壁が震えるほどの、馬鹿でかい笑い声が響いた。


ようやく解放されて、雷夕は、ふらふらと二、三歩よろめいた。

首を押さえる。髪は、鳥の巣のようになっていた。


それでも。


(――変わってねえな、本当に)


顔が、勝手に緩んでいくのを、止められなかった。


*


「――で」


ガストンは、ようやく雷夕の後ろに立つ三人に気づいたように、顎をしゃくった。


「そっちのは、何だ。坊主の新しい団か」


「団っていうか――」


「イヴァルキアから参りました」


ケインが、一歩前に出て、きっちりと頭を下げた。


「イヴァルキア領主アリシア様の護衛、ケインと申します。こちらの霧島殿が、領主様の親書を携えた使者。我々は、その護衛です」


ガストンの太い眉が、ぴくりと跳ね上がった。


「……使者?」


視線が、ゆっくりと雷夕へ戻ってくる。


「坊主が、使者?」


「……ああ」


「一国の、領主の、親書を?」


「ああ」


ガストンは、しばらく、雷夕の顔をまじまじと見下ろしていた。


それから、天井を仰いだ。


「――世も末だな」


(言うと思った)


雷夕は、こめかみを押さえた。


その後ろで、ロゼリアが、両手で口を押さえて、肩を激しく震わせていた。


*


詰所の中は、狭かった。


粗末な木の卓が一つと、長椅子が二つ。壁際に、毛布の積まれた寝台。卓の上には、町の見取り図らしき紙が広げられ、その上に、炭の欠片と、齧りかけのパンと、空の杯が、まとめて散らばっていた。


ガストンは、卓の上のものを、腕で無造作に脇へ払った。


「座れ。狭いが、文句言うな」


四人が、長椅子に詰めて腰を下ろす。

リヴァールは、座らずに、扉の脇の壁に背を預けた。


ガストンは、卓を挟んだ向かいにどっかりと座ると、雷夕の顔を、改めて眺めた。


「――で。噂は、本当か」


「噂?」


「トマスの旦那が、この前、酒場で散々喋っていった話だ。妙な固有スキルを使う傭兵が、帝国の幹部の魔法をひっくり返したとか、帝国の雇った凄腕の刺客を追い払ったとか」


ガストンは、太い指で、卓をとん、と叩いた。


「その傭兵の名前が、霧島雷夕だってな」


*


雷夕は、少し迷ってから、頷いた。


「……大体、本当」


「大体?」


「ひっくり返したっていうか、勝手にひっくり返ったっていうか。追い払ったのも、俺一人じゃないし。――でも、『劣化』が使えるようになったのは、本当だ」


ガストンは、黙って聞いていた。


それから、ふっと、髭の奥で口元を緩めた。


「――品切れじゃなくなったか」


「……覚えてたのかよ、それ」


「忘れるか。三年間、毎回同じ冗談で笑ってたんだ」


ガストンは、卓に肘をついて、身を乗り出した。


「よかったな、坊主」


それだけ言った。


短い言葉だった。

けれど、その声には、三年分の何かが、確かに乗っていた。


雷夕は、何も言えずに、ただ頷いた。


*


「――それで、ガストン殿」


壁際から、リヴァールが口を開いた。


ガストンの目が、そちらへ向く。


「町の状況を、聞かせてもらえるか。領主に会う前に、知っておきたい」


ガストンは、リヴァールの顔を、値踏みするようにじっと見た。


「……あんた、帝国の人間だな」


雷夕の背筋が、ひやりとした。


リヴァールは、表情を変えなかった。


「元、だ」


「立ち方で分かる。騎士団の連中は、壁に背を預けても、膝を抜かねえ」


「……見る目がある」


「傭兵を二十年もやってりゃな」


ガストンは、それ以上は追及しなかった。


ただ、卓の上の見取り図を、太い指で、ぐいとリヴァールの方へ押しやった。


「――座れ、元騎士。立って聞く話じゃねえ」


*


それから、ガストンは語った。


カランドの降伏から、もうひと月近くが経つこと。

帝国軍は、カランドの南の国境近くに陣を張り、動いていないこと。征用されたカランドの兵が、その陣の最前列で、毎日、隊列の訓練をさせられているのが、見張り台からも見えること。


町の自警団は、六十人に満たないこと。

ベルリアの正規の兵を合わせても、三百に届かないこと。


「――で、領主様だ」


ガストンの声が、低くなった。


「フェリクス様は、十七だ。先代が、急に倒れちまってな。それで家を継いだ。……悪い子じゃねえ。真面目で、町の連中のこともちゃんと考えてる。だが、戦なんぞ、生まれてこの方、一度もしたことがねえ」


「降伏に傾いてるって聞いた」


「傾いてるな」


ガストンは、あっさりと認めた。


「重臣の爺さんどもが、毎日、館に詰めかけて、降伏しろ降伏しろって言ってる。勝てるわけがない、無駄に死人を出すだけだ、ってな。――間違っちゃいねえよ。数だけ見りゃ、勝てるわけがねえ」


「でも、降伏しても――」


「焼かれる」


ガストンは、窓の外を、顎でしゃくった。


市場の広場。

身を寄せ合う、カランドの人々。


「あいつらが、その証拠だ」


*


詰所の中に、重い沈黙が落ちた。


窓の外から、子供の泣き声が、かすかに聞こえてくる。


雷夕は、懐に手を入れて、焦げた布の感触を確かめた。


「――おっさん」


「何だ」


「俺、明日、領主に会う」


ガストンは、雷夕の顔を見た。


「親書を渡す。イヴァルキアは、ベルリアと一緒に戦う用意があるって。――それで、領主が、降伏を思い止まるかどうかは、分からない。でも」


雷夕は、ガストンの目を、まっすぐに見返した。


「少なくとも、一人で戦わなくていいってことは、伝えられる」


ガストンは、しばらく、黙っていた。


それから、髭の奥で、にやりと笑った。


「――生意気になったな、坊主」


「三年経ってんだよ」


「三年じゃ足りねえよ、お前には」


がっはっは、と。


また、あの馬鹿でかい笑い声が、詰所の壁を震わせた。

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