第4話 南回りの道
五日は、瞬く間に過ぎた。
その大半を、雷夕は工房で過ごした。
ロゼリアに言われるまま、粘土を捏ねた。
細かく砕いた鉱石を、篩にかけた。
得体の知れない液体を、言われた分量だけ瓶に注ぎ、言われた回数だけ振り、言われた通りに蝋で封をした。
「――雷夕、それ、三回じゃなくて四回振って」
「さっき三回って言ったろ」
「さっきのは別の瓶よ。どれが何回か、ちゃんとラベル見て」
「ラベルの字が読めないんだよ、お前の字!」
「読めるでしょう! 師匠には綺麗な字だって褒められたもの!」
「その師匠、目が悪かったんじゃないか!」
そんなやり取りを、五日間、繰り返した。
*
出来上がったのは、木箱三つ分の道具だった。
一つ目の箱には、拳ほどの大きさの、丸い素焼きの瓶が、藁に埋もれてぎっしりと並んでいる。
表面には、ロゼリアの読みにくい字で「霧」と書かれていた。
「投げて割れば、中から水の霧が一気に噴き出すわ。火の勢いを殺すのと、煙を払うのに使える。――消すんじゃないわよ。殺すだけ。過信しないで」
二つ目の箱には、灰色の厚手の布が、何枚も畳まれて詰め込まれていた。
指で触れると、ざらりとした、砂を練り込んだような手触りがある。
「燃えにくい布。被れば、炎の中を数歩なら抜けられる。数歩よ。十歩じゃないわよ」
そして、三つ目の箱――と呼ぶには小さすぎる、掌に載るほどの木の小箱。
中に、乳白色の、歪んだ球が一つ。
表面に、細い溝が幾筋も走っている。
「蓄魔石。……一つだけね」
ロゼリアは、目の下にくっきりと隈を作ったまま、小箱を雷夕の手に押しつけた。
「中身は、私の魔力。使う時は、必ず一言言うこと。それから、投げない、落とさない」
「分かってる」
「本当に分かってる? 砦で最後の一個、どう使ったか覚えてる?」
「……二日寝込んだ」
「覚えてるならよろしい」
ロゼリアは、満足げに頷いて、そのまま作業台に突っ伏して寝た。
*
出立の朝。
城の正門の前には、トマスの隊商が、荷馬車を六台連ねて待っていた。
幌をかけた荷台には、イヴァルキアの職人たちが作った道具や布や薬が、所狭しと積まれている。ベルリアへの商い物だ。その一台の片隅に、ロゼリアの木箱三つと、雷夕たちの荷物が、ちょこんと押し込まれていた。
「――ちょいと、待っとくれ!」
人混みの向こうから、ハンナが駆けてきた。
両腕に、布の包みを山のように抱えている。
「干し肉と、堅焼きのパンと、それから酢漬けの野菜! 十日も旅するなら、これくらいは持ってきな!」
「十日分にしちゃ、多くないか」
「四人分だよ! それに、あんたの分は二人分だ。痩せてるんだから!」
ばしん、と背中を叩かれる。
相変わらず、加減というものを知らない一撃だった。
その後ろで、リタが小さな包みを抱えて駆けてきて――躓かずに、雷夕の前まで辿り着いた。
「……おお」
「見ました!? 転ばなかったですよ!」
「見た見た。偉いぞ」
「えへへ。――はい、これ! フィオナさんと私から、焼き菓子です!」
差し出された包みを受け取った瞬間、リタは一歩下がろうとして、自分の足に引っかかって、尻餅をついた。
「――あいたっ」
「……惜しかったな」
*
城門の脇に、アリシアが立っていた。
オズワルドを伴って、領主の衣装のまま。
出立する使者を見送る、統治者としての立ち姿だった。
雷夕たちは、馬を引いて、その前に並んだ。
「――イヴァルキア領主、アリシア・クレイン・レーヴァルトの名において」
アリシアが、一通の書簡を、両手で差し出した。
封蝋に、レーヴァルト家の紋章が押されている。オズワルドが三晩かけて文面を練った、ベルリアの領主宛ての親書だった。
「この親書を、ベルリア領主フェリクス殿に。――頼みましたよ」
雷夕は、両手でそれを受け取った。
思っていたよりも、ずっと重かった。
「確かに」
アリシアは、小さく頷いた。
それから、四人の顔を、一人ずつ、順に見ていった。
ロゼリア。
ケイン。
リヴァール。
最後に、雷夕。
その目が、一瞬だけ、領主のものではなくなった。
けれど、彼女は何も言わなかった。
言わずに、ただ、もう一度だけ、小さく頷いた。
――それで、十分だった。
*
隊商は、王都の南門を出て、ゆっくりと街道を下っていった。
石畳の道が、やがて踏み固められた土の道に変わる。
畑が流れ去り、林が近づき、また遠ざかる。荷馬車の車輪が、轍を噛んで、ごとん、ごとん、と規則正しく揺れた。
「――南回りの道は、二日ほど行くと、丘陵地に入ります」
先頭の荷馬車の御者台で、トマスが振り返って言った。
「そこから先は、しばらく人里が少なくなります。夜は、隊商で輪を作って野営を。見張りは、うちの者が交代で立ちますので、皆様はどうぞ休んで――」
「見張りは、俺も立つ」
リヴァールが、馬上から短く言った。
「客人に、そのようなことは」
「客人じゃない。護衛だ」
「……それは、親書の護衛では」
「親書を運ぶ隊商ごと守るのが、一番確実だ」
トマスは、困ったように笑って、雷夕の方を見た。
雷夕は、肩をすくめた。
「諦めてくれ。こいつ、言い出したら聞かないから」
*
旅は、思っていたよりも穏やかだった。
一日目は、王都の近くの宿場町で、屋根の下で眠った。
二日目からは、トマスの言った通り、丘陵地に入った。なだらかな起伏の続く草地。ところどころに、羊飼いの小屋らしき石積みが見える。
三日目には、ケインが左腕の吊り布を外した。
「――治りました」
「本当か?」
「本当です」
ケインは、左腕をぐるりと回してみせた。
ぎこちなさは、ほとんどない。
「なら、その布紐も外していいんじゃないか」
雷夕が、ケインの胴に襷掛けにされたままの布紐を指差すと、ケインは、真顔のまま首を横に振った。
「これは、ロゼリア殿の許可が要ります」
「……律儀だな」
「出発前に、反省文十枚と一緒に、そう誓わされましたので」
荷台の上で、ロゼリアが、寝たふりをしながら肩を震わせていた。
*
四日目の夜。
隊商は、小川のほとりで野営した。
荷馬車を円く並べて、その内側で焚き火を三つ。トマスの隊の者たちが、手際よく鍋を据え、ハンナの干し肉と、川で汲んだ水と、道中で摘んだ野草で、湯気の立つ汁を拵えていく。
ぱち、ぱち、と。
薪の爆ぜる音が、夜の静けさに、小さく響いた。
雷夕たち四人は、一番端の焚き火を囲んでいた。
「――ねえ、雷夕」
木の椀を両手で包み込みながら、ロゼリアが言った。
「ベルリアって、どんなところ?」
*
雷夕は、汁を一口すすってから、焚き火を見つめた。
「……丘の上の町だよ。石の壁で、ぐるっと囲まれてる。大きくはない。イヴァルキアの王都の、半分もないかな」
「ふうん」
「でも、市場は賑やかだった。南の海の方から、塩とか、干した魚とか、変な形の果物とかが運ばれてきてさ。朝、市場を通ると、魚臭くて、甘い匂いがして、なんか、ぐちゃぐちゃなんだ」
自分で言いながら、少し笑ってしまった。
「……ぐちゃぐちゃで、悪くなかった」
焚き火の炎が、揺れる。
「三年前、俺は、ベルリアの近くの草原に、身一つで転がってた。――で、何日か歩いて、腹を空かせて、町に辿り着いた。金もない、剣もろくに振れない、行くあてもない」
(――どこから来たのかは、まあ、いいだろ)
説明しようとすれば長くなるし、説明したところで、たぶん信じてもらえない。
雷夕は、その辺りを、汁と一緒に飲み下した。
「よく生きてたわね」
「生きてなかったかもな。ガストンのおっさんに拾われなかったら」
*
「ガストン」
ケインが、静かにその名を繰り返した。
「傭兵団の、団長だった方ですか」
「ああ」
雷夕は、椀を膝の上に置いた。
「酒場の裏で、残飯を漁ってた俺を見つけて――最初の一言が、『坊主、生きてるか』だった。で、返事をする前に、首根っこ掴まれて、店の中に引きずり込まれた。飯を食わされて、その場で、荷物持ちとして雇われた」
「強引ね」
「強引なんだよ、あの人。全部が」
雷夕は、思い出して、笑った。
「でかくて、髭面で、声がでかくて、大斧担いで、笑い声もでかい。固有スキルもないし、魔法もほとんど使えない。なのに、団の誰よりも強かった。――俺が『劣化』っていう妙なスキルを持ってるって言ったら、試しに使ってみろって言われてさ」
「どうなったの」
「何も起きなかった」
「……何も?」
「何も。三年間、ほとんど何も。――で、おっさん、腹抱えて笑ってた。『そりゃあ劣化どころか、品切れだな』って」
ロゼリアが、ぷっ、と噴き出した。
ケインまでもが、口元を手で押さえて、横を向いた。
*
「――それでも、置いてくれたんだ」
雷夕は、焚き火に薪を一本くべた。
「スキルが使えないなら、剣を覚えろって。剣が下手なら、逃げ足を鍛えろって。逃げ足が遅いなら、せめて飯の炊き方を覚えろって。――おかげで、飯だけは上手く炊けるようになった」
「それで、三年」
「それで、三年」
炎が、新しい薪を舐めて、ぱちりと爆ぜる。
「団は、全部で七、八人だったかな。小さい団だった。ベルリアの先代の領主様に雇われて、町の周りの魔物退治とか、隊商の護衛とか、街道の見回りとか。――大きな戦なんて、一度もなかった。平和な国だったんだ、ベルリアは」
「解散したのは」
リヴァールが、初めて口を開いた。
焚き火の向こうで、腕を組んだまま、こちらを見ている。
「先代の領主様が、急に亡くなってさ」
雷夕は、肩をすくめた。
「後を継いだ息子が、まだ若くて。家の金の勘定をし直したら、傭兵団を雇っておく余裕がない、ってことになったらしい。で、契約終了。――それだけだよ」
「恨んでいないのか」
「全然」
即答だった。
「金がないなら、仕方ないだろ。誰が悪いって話じゃない。おっさんも、そう言ってた。『契約が切れたら、次へ行く。傭兵ってのはそういうもんだ』って」
*
焚き火の向こうで、リヴァールは、しばらく黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「――その若い領主が、今、降伏に傾いている」
「ああ」
「傭兵団を切った、その男がな」
雷夕は、リヴァールの目を見た。
その目には、責めるような色はなかった。
ただ、確かめているだけだった。雷夕が、それを分かった上で行くのかどうかを。
「……関係ないよ」
雷夕は、言った。
「俺は、領主のために行くんじゃない。あの町と、あの町の人たちのために行くんだ。――それに、トマスさんの話じゃ、その領主も、たぶん怯えてるだけなんだろ。誰だって怖いさ。降っても焼かれるって聞かされたら」
リヴァールは、何も言わなかった。
ただ、ほんの僅かに、頷いたように見えた。
*
夜が更けて、焚き火の炎が小さくなった頃。
ロゼリアとケインは、毛布にくるまって眠っていた。
リヴァールは、荷馬車の輪の外側で、見張りに立っている。
雷夕は、一人、消えかけた焚き火の前に座っていた。
懐に手を入れる。
指先に触れたのは、二つの紙の感触だった。
一つは、焦げた布。
もう一つは、丁寧な字で一行だけ書かれた、短い手紙。
(――ガストンのおっさん)
最後に会ったのは、もう、ずいぶん前のことのような気がした。
あの人は、今の雷夕を見たら、何と言うだろう。
劣化が、使えるようになったと言ったら。
国の領主に、使者を任されたと言ったら。
(……たぶん、腹抱えて笑うな)
「坊主が使者だと? 世も末だな」――とか、なんとか。
雷夕は、一人で小さく笑って、焚き火に最後の薪をくべた。
*
それから、さらに六日。
丘陵地を抜け、海沿いの低い崖の道を伝い、いくつかの小さな村を通り過ぎて――。
十日目の昼過ぎ、隊商は、最後の峠を越えた。
「――見えました」
先頭の荷馬車で、トマスが手綱を引いた。
雷夕は、馬の腹を軽く蹴って、隊列の先頭へ出た。
峠の上から、なだらかな下り坂が、ずっと先まで続いている。
その先に、一つの丘があった。
丘の上に、石の壁があった。
ぐるりと町を囲む、灰色の城壁。その内側に、肩を寄せ合うように並ぶ、赤茶けた屋根の連なり。丘の頂には、少しだけ背の高い館の屋根が、ちょこんと覗いている。
小さな町だった。
イヴァルキアの王都の、半分もない。
雷夕は、手綱を握ったまま、しばらく、その景色を見下ろしていた。
ロゼリアが、隣に馬を並べた。
「――あれが?」
「ああ」
声が、少しだけ、掠れた。
「ベルリアだ」




