↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レーヴァルト戦記 ~最弱のコピー能力が別の魔法に化けるので、恩人の領主を守るために戦います~  作者: 深夜のトースト
第3章 焦土に芽吹く

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
45/73

第1話 北を向く剣

執務室の扉が開いて、ケインが出てきた。


背筋は、いつも通り真っ直ぐだった。吊った左腕も、胴に襷掛けにされた布紐も、昨日と寸分変わらない。

ただ、その顔だけが、ほんの少し、遠い目をしていた。


「――お、ケイン」


廊下の長椅子で待っていた雷夕が、腰を浮かせる。


「どうだった」


「……反省文を、十枚」


「十枚」


「片手で、です」


ケインは、無事な右手を、ゆっくりと開いて、閉じた。


「それと、布紐が一本、増えることになりました」


「増えるのかよ」


「お嬢様が、ロゼリア殿に直々に頼まれるそうです。――では、私は紙を貰いに行きますので」


一礼して、廊下の向こうへ歩き去っていく。その背中は、反省文十枚を前にした男のものとは思えないほど、きっちりと伸びていた。


(……あいつ、絶対また抜け出すな)


隣で、リヴァールが、小さく鼻を鳴らした。


笑ったのだと気づくのに、少しかかった。


*


「――入って」


扉の向こうから、アリシアの声がした。


執務室は、雷夕が知っているいつもの部屋だった。

壁一面の書棚。窓際の大きな机。積み上げられた書類の山と、インク壺と、羽根ペン。窓から差し込む昼前の光が、床の上に、四角い陽だまりを作っている。


ただ、今日は、机の脇にもう一つ椅子が置かれていた。


そこに、オズワルドが座っていた。

白髪は、今日もきっちりと撫でつけられている。腕を組み、しかめ面で、入ってきた二人をじろりと見上げた。


「座って」


アリシアに促されて、雷夕とリヴァールは、机の前の椅子に腰を下ろした。


リヴァールは、座る前に、一度だけ、扉の方を振り返った。

閉まっているのを、確かめるように。


アリシアは、その仕草を見逃さなかった。


「……衛兵は、廊下の端まで下げてあるわ」


「感謝する」


*


リヴァールは、懐から紙の束を取り出した。


紐で括られ、端が黒く焼け焦げた、あの束だった。

砦の治療所の夜、雷夕とケインの前で開いた時と同じように、彼はそれを、膝の上に置いた。


それから、話し始めた。


廃坑の、バルクの財宝の箱の底。

国境軍の移送記録。焼けた半分と、符牒だらけの残り半分。

騎士団時代の上官。剣を振らずに済ませる方法を考えろ、と言った人。

罪状、和平派との内通。移送先、北の要塞。


抑揚のない声だった。

砦の夜と同じ言葉を、同じ順番で、同じ平らさで。


ただ――ヨアヒム・ガルトナーという名前を口にした時だけ、やはり、ほんの僅かに、声が揺れた。


*


話が終わっても、しばらく、誰も口を開かなかった。


窓の外で、鳥が一羽、甲高く鳴いて飛び去った。


最初に動いたのは、オズワルドだった。


「――一つ、伺いたい」


組んでいた腕を解き、膝の上で両手を重ねる。


「クロネン殿。あなたは、帝国の騎士団から離反した身だと聞いている。その記録が本物だと、我々はどうやって信じればよい」


棘のある問いだった。


雷夕が口を挟もうとするのを、リヴァールが、片手で軽く制した。


「信じなくていい」


「……ほう」


「記録が本物かどうか、俺にも確かめる術はない。分かっているのは、俺がこれを読み解くのに、思っていたよりずっと手間がかかったということだけだ。――偽物を掴まされたのなら、俺が間抜けだったというだけの話だ」


オズワルドの鋭い目が、リヴァールを射抜く。


リヴァールは、目を逸らさなかった。


「ただ、もし本物なら。帝国の中には、和平を探している者がいて、強硬派はそれを罪にして閉じ込めるほどに恐れている。――それは、この国にとって、無関係な話ではないはずだ」


*


長い沈黙だった。


やがて、オズワルドは、ふん、と鼻を鳴らした。


「……間抜けを自称する男は、だいたい間抜けではない」


それだけ言って、また腕を組んだ。

それ以上の追及はなかった。


(――通ったのか、今の)


雷夕は、そっと息を吐いた。


アリシアが、机の上で両手を組んだ。


「リヴァール。あなたは、この国に何を望むの」


「何も」


即答だった。


「兵を出してくれとは言わん。北の要塞は、帝国の奥だ。イヴァルキアの兵が一人でも踏み込めば、それだけで戦の口実になる。――俺一人の用件に、この国を巻き込むつもりはない」


「なら、なぜ私に話したの」


リヴァールは、少しだけ、言葉を探すように黙った。


「……砦の連中を放って行けば、連携が乱れる」


雷夕は、思わず噴き出しかけて、咳払いで誤魔化した。


アリシアが、怪訝そうに眉を寄せる。


「それは、どういう――」


「俺は、もうしばらくこの国にいるつもりだ、ということだ」


リヴァールは、膝の上の紙の束に、目を落とした。


「この国にいる以上、この国の主に、腹の中の物を隠しておくのは筋が通らん。――それだけだ」


*


アリシアは、しばらく、リヴァールの顔を見つめていた。


それから、ふっと、口元を緩めた。


「――分かったわ」


背筋を伸ばす。

声の調子が、領主のものに変わった。


「まず、この話は、この部屋の中だけに留めます。ヨアヒム・ガルトナーという名前も、和平派という言葉も、外には出さない。強硬派に、記録が漏れたと気づかれれば、その人の命が危ない」


オズワルドが、黙って頷く。


「次に。イヴァルキアとして、今すぐ北へ兵を出すことはできない。あなたの言う通りよ。――でも」


アリシアは、机の引き出しを開けて、一枚の地図を取り出した。


大陸全図だった。

北から中央を覆う、帝国の広大な版図。その南西の端に、小さく描かれたイヴァルキア。


「この国は、小さいけれど、人と物の行き来だけは多いの。職人の国だから。道具を売りに出る商人、材料を買い付けに行く商人。帝国の中にまで足を伸ばす隊商も、少なくない」


指先が、地図の上の交易路を、そっとなぞる。


「兵は出せない。でも、耳は貸せる。――北の要塞について、何か聞こえてきたら、あなたに必ず伝えるわ。それくらいなら、戦の口実にはならないでしょう?」


*


リヴァールは、何も言わなかった。


ただ、椅子から立ち上がり、右手を胸に当てて、深く、頭を下げた。


騎士の礼だった。胸に手を当てるところまでは、凱旋の日の中庭でも見た。

だが、この男がここまで深く頭を垂れるのを、雷夕は初めて見た。


「――感謝する、領主殿」


「アリシアでいいわ」


「……領主殿」


「頑固ね」


アリシアが、呆れたように笑った。


その横で、オズワルドが、何かを堪えるように口元を歪めていた。

笑いを噛み殺しているのだと、雷夕にも分かった。


*


執務室を出て、廊下を歩きながら、雷夕は隣のリヴァールを横目で見た。


「――なあ」


「何だ」


「今の、『しばらくこの国にいる』ってやつ」


「ああ」


「連携が乱れるから、か?」


「そうだ」


「それ、もう四回目だぞ」


「数えていたのか」


「数えるだろ、そりゃ」


リヴァールは、前を向いたまま、ほんの少しだけ、歩調を緩めた。


「……気に入っている、と言っただろう」


「知ってるよ」


雷夕は、笑って、リヴァールの肩を軽く叩いた。


鎧越しの肩は、思っていたよりも、ずっと硬かった。


*


工房の扉を開けた瞬間、雷夕は回れ右をしたくなった。


「――来たわね」


作業台の向こうで、ロゼリアが、拡大鏡を額に押し上げたまま、にんまりと笑っていた。


工房の中は、出立前よりもさらに散らかっていた。

棚から溢れた瓶。床に転がる金属の部品。壁一面に貼られた紙には、矢印と数字と、「重撃→?」「軽→速?」「戻り=一斉?」という、見覚えのある走り書きがびっしりと並んでいる。


作業台の上には、砕けた蓄魔石の欠片が、布の上に丁寧に並べられていた。


その横に――なぜか、大きな秤が、二台。


「……何だ、それ」


「秤よ」


「見りゃ分かる。なんで二台もあるんだって」


「一台は、あんた用」


ロゼリアの視線が、雷夕から、その後ろへ――ゆっくりと移った。


「もう一台は、そっちの人用」


*


リヴァールが、無表情のまま、一歩後ずさった。


「――断る」


「まだ何も言ってないけど」


「言わなくても分かる。重撃を測りたいんだろう」


「話が早くて助かるわ」


ロゼリアは、作業台を回り込んで、リヴァールの前に立った。


「雷夕が写したのは、あんたの重撃。で、写した結果、重さが消えた。――元の重撃がどれくらいの重さなのか分からないと、どれくらい消えたのかも分からないの。比べる物差しがないのよ」


「……理屈は分かる」


「でしょう?」


「だが、断る」


「なんで」


「秤が壊れる」


真顔だった。


一拍。


ロゼリアの目が、きらりと光った。


「――壊れるくらいの重さってこと?」


「…………」


「ねえ、今の、もう一回言って。どれくらい? 鉄床何個分?」


「言っていない」


「言ったわよ、壊れるって! 雷夕、聞いたわよね!?」


「聞いた聞いた」


「お前は黙っていろ」


*


結局。


日が傾く頃まで、工房の中には、ロゼリアの質問と、リヴァールの「断る」と、雷夕の笑い声が、交互に響き続けた。


秤は、一台、壊れた。


リヴァールが、根負けして、剣の柄頭でほんの軽く――本当に、軽く、皿の上を小突いた結果だった。


ガシャンッ、と。


鉄の皿が、台座ごと、真っ二つに折れて床に落ちた。


「――――」


ロゼリアは、しばらく、折れた秤を見下ろして固まっていた。


それから、ゆっくりと顔を上げた。


その目は、怒っていなかった。

むしろ、とびきりの宝物を見つけた子供のように、らんらんと輝いていた。


「……もう一台、用意するわ。今度は鉄床で作る」


「作るな」


リヴァールの声が、ほんの僅かに、上擦った。


雷夕は、作業台に突っ伏して、腹を抱えて笑った。


笑いすぎて、まだ治りきっていない脇腹が痛んだ。


それでも、止まらなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。