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レーヴァルト戦記 ~最弱のコピー能力が別の魔法に化けるので、恩人の領主を守るために戦います~  作者: 深夜のトースト
第2章 西の砦の篝火

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エピローグ おかえりなさい

王都の西門をくぐった瞬間、雷夕は、自分の耳を疑った。


「――帰ってきたぞおおおッ!」


誰かの野太い叫び声。

それを皮切りに、門前の通りの両脇から、わっと人の波が押し寄せてきた。


荷車を引いていた行商人が、手綱を放り出して手を振っている。洗濯物を抱えた女たちが、窓という窓から身を乗り出している。鍛冶屋の徒弟らしき少年が、煤だらけの顔のまま、樽の上に飛び乗って両腕を振り回していた。


「……なんだ、これ」


馬上で固まる雷夕の隣で、ロゼリアが、げんなりとした顔で溜め息をついた。


「砦の老将が、早馬で戦勝の報せを送ったのよ。三日も前に。――城下に広まらないわけがないでしょう」


「俺、聞いてないぞ」


「あんた、その頃まだ粥しか啜れなかったじゃない」


ぐうの音も出なかった。


*


人垣の向こうから、ひときわ大きな声が飛んできた。


「――ちょいと、どいとくれ! 通しな!」


丸太のような二の腕で人混みを掻き分けて、ハンナが、前掛けをはためかせながら飛び出してきた。


「あんたたち! よく、まあ――よく、生きて帰ってきたねぇ!」


馬の首越しに、ばしん、と雷夕の太腿が叩かれる。

加減というものを知らない一撃だった。


「――痛ってえ!」


「生きてる証拠だよ、我慢おし!」


ハンナは、それから、雷夕の顔をまじまじと覗き込んで、眉をひそめた。


「……なんだい、あんた。顔色が青いったらありゃしない。痩せたんじゃないかい」


「二日寝込んでたからな」


「二日も!? ――リタ! リタ、店に戻って一番いい肉、取っときな! この子らが来たら、何はなくとも食わせるんだよ!」


「はーいっ!」


人垣の後ろで、リタが元気よく返事をして駆け出し――三歩目で、見事に何もない石畳に躓いた。


通りじゅうから、どっと笑い声が上がった。


(――ああ)


雷夕は、手綱を握る指から、知らず知らずのうちに力が抜けていくのを感じた。


(帰ってきたんだな、本当に)


*


人混みの中を、一行はゆっくりと城へ向かって進んだ。


先頭のケインは、左腕を吊った布の上から、なぜか胴にもう一本、太い布紐を襷のように掛けられていた。

道中、何度か馬を降りて荷運びを手伝おうとしたのを、そのたびにロゼリアに見咎められた結果だった。


「――ケイン様だ! ケイン様、腕をどうなさったんですか!」


沿道の若い女が、心配そうに声を張り上げる。


ケインは、真顔のまま、律儀にそちらへ会釈を返した。


「名誉の負傷です。それと、これは」


胴の布紐を、無事な方の手で示す。


「名誉の拘束です」


「名誉なのか、それ」


「そう思わなければ、やっていられません」


最後尾では、リヴァールが、手綱を片手に、沿道の熱気など存在しないかのような無表情で馬を進めていた。


ただ――子供が一人、恐る恐る手を振った時だけ、彼は、ほんの僅かに顎を引いて、それに応えた。


(……今、会釈したよな、あいつ)


見間違いかと思って二度見した時には、もう、いつもの鉄面皮に戻っていた。


*


城の中庭に入ると、人の声は、嘘のように遠のいた。


石畳を叩く蹄の音だけが、高い城壁に跳ね返って、くっきりと響く。

井戸の脇の楡の木が、出立した時よりも少しだけ色を深めた葉を、風にさやさやと揺らしていた。


その木陰に、二つの人影が立っていた。


一人は、白髪を丁寧に撫でつけた老人。

もう一人は――。


雷夕は、思わず手綱を引いた。


アリシアだった。


公務の途中で抜け出してきたのだろう、上質な深い青の衣装に、領主の徽章を胸に留めたままの姿だった。

背筋を伸ばし、両手を体の前で静かに重ね、一行の到着を待っている。統治者として、一分の隙もない立ち姿。


――ただ。


その重ねた両手の、指先だけが。

衣装の布地を、ぎゅっと、皺が寄るほど強く握りしめていた。


*


一行が馬を降りる。


アリシアが、一歩、前に出た。


「――よく、戻りました」


凛とした声だった。中庭の隅々まで通る、領主の声だ。

控えていた衛兵たちが、一斉に姿勢を正す。


「レイフ砦の防衛、ならびにシュテルン村の奪還。守将からの報告は、全て読みました。――あなたたちの働きに、イヴァルキアを代表して、心から感謝します」


ロゼリアが、ケインが、それぞれに頭を下げる。

リヴァールも、黙って右手を胸に当てた。


雷夕も、それに倣って頭を下げようとして――。


「それで」


アリシアの声の温度が、ほんの少しだけ、変わった。


「報告書によれば、魔力の底が抜けて、二日間、目を覚まさなかった者がいるそうだけれど」


(――うわ)


顔を上げると、アリシアの目が、まっすぐに雷夕を捉えていた。


領主の顔のまま。

口元だけが、微かに笑っている。目は、少しも笑っていない。


「……書いてあったのか、そんなことまで」


「書いてあったわ。とても丁寧に。あの守将、筆まめなのね」


「あの爺さん……」


「それから、もう一人」


アリシアの視線が、すい、とケインへ移る。


「左腕を負傷した上に、安静の指示を三度破った、とも」


「――四度です」


ケインが、真顔で訂正した。


「四度目は、報告書が出された後でしたので」


「……ケイン」


「は」


「後で、私の執務室へ」


「――は」


吊った左腕をそのままに、ケインの背筋が、ぴんと伸びた。

その横で、ロゼリアが、口元を押さえて肩を震わせていた。


*


「――アリシア様」


それまで黙っていたオズワルドが、こほん、と咳払いをした。


「そろそろ、皆を中へ。長旅の疲れもありましょう」


「ええ、そうね」


「それと」


老人の鋭い目が、雷夕を一瞥した。


「傭兵殿」


「ん」


「及第点だったな、以前は」


「……ああ。宴の時に」


「訂正しておく」


オズワルドは、ふん、と鼻を鳴らした。


「加点だ。――少しだけな」


それだけ言うと、老人は踵を返し、さっさと城の中へ歩いていってしまった。

その背中が、心なしか、出迎えに来た時よりも軽そうに見えた。


「……今の、褒められたのか?」


「褒めてたわよ」


ロゼリアが、呆れたように言った。


「あの人、あれで最大級よ」


*


城の中へ入る直前、リヴァールが、足を止めた。


「――領主殿」


アリシアが、振り返る。


リヴァールは、彼女の前に進み出ると、低く、短く言った。


「話がある。……個人的な用件だが、この国にも、無関係ではないかもしれん」


アリシアは、リヴァールの顔をじっと見つめた。


それから、ほんの一瞬だけ、雷夕の方へ目を向けた。

雷夕は、小さく頷いて返した。


「――分かったわ。明日、改めて時間を取ります。今日は、まず休んで」


「感謝する」


リヴァールは、それだけ言って、ケインの後に続いた。


*


気づけば、中庭に残っているのは、雷夕とアリシアの二人だけになっていた。


ロゼリアは、「工房の炉が冷えてないか見てくる」と言い残して、半ば逃げるように去っていった。

去り際に、雷夕の背中を、ばしん、と叩いていった。ハンナほどではないが、加減というものを知らない一撃だった。


楡の葉が、さやさやと鳴っている。


アリシアは、雷夕の前に立ったまま、しばらく何も言わなかった。


重ねていた両手を、ほどく。

衣装の布地に、くっきりと皺が残っていた。


「……二日、寝てたのね」


さっきまでの、領主の声ではなかった。


「ああ」


「どこか、痛むところは」


「もうない。体がちょっと重いくらいだ。――あ、いや、さっきハンナに叩かれたところは痛い」


「それは自業自得」


「なんでだよ」


アリシアが、ふっと笑った。


それから、雷夕の顔を、もう一度、上から下まで確かめるように見た。

頬の擦り傷。まだ少し落ちくぼんだ目元。腕輪の留め具に残った、砕けた石の小さな欠片。


「――手紙、届いた?」


「届いた」


雷夕は、懐を軽く叩いた。


「『無事な帰りを、待っています』。……ちゃんと持ってる」


「そう」


アリシアは、小さく息を吐いた。


「ちゃんと、無事に帰ってきたわね。――二日寝込んだのを、無事と言っていいなら、だけど」


「言っていいだろ。帰ってきたんだから」


「それは、私が決めるの」


「厳しいな、領主様は」


「ええ。厳しいの」


*


楡の木の向こうで、城の鐘が、昼を告げて鳴り始めた。


ゴォン、と。

腹に響く低い音が、中庭の石壁に跳ね返って、ゆっくりと空へ溶けていく。


「……なあ、アリシア」


「なに」


「砦の老将にさ、言われたんだ」


雷夕は、鐘の音の余韻の中で、ぽつりと言った。


「最初は、劣化は数えに入れん、って言われてた。不確かなものを芯に据えたら、作戦は賭けになるって。――でも、最後に、次からは数えてやるって。不確かなものとして、な」


アリシアは、黙って聞いていた。


「……正直、ちょっと、泣きそうになった」


照れ隠しに頭を掻きながら言うと、アリシアは、少しだけ目を見開いた。


それから。


「――そう」


柔らかく、目を細めた。


「よかったわね」


「ああ」


「でも」


アリシアは、一歩だけ、雷夕に近づいた。

楡の葉の影が、彼女の銀の髪の上で、ちらちらと揺れる。


「私は、最初から数えてたわよ」


「……え」


「最初に会った日から、ずっと」


あっさりと。

まるで、今日の天気の話でもするように、彼女はそう言った。


雷夕は、何か言い返そうとして――何も出てこなかった。


アリシアは、そんな雷夕の顔を見て、満足げに小さく頷いた。

それから、くるりと背を向けて、城の扉の方へ歩き出す。


数歩進んだところで、足を止めて、振り返った。


「雷夕」


「……ん」


前にも、こういうことがあった、と思った。

城壁の上で。朝の風の中で。当たり前のように、投げられた一言。


今度の一言は、違う言葉だった。


「――おかえりなさい」


ただ、それだけ。


年相応の娘の顔で、彼女は笑っていた。


雷夕は、懐の上から、手紙の感触を確かめた。

それから、鐘の余韻がまだ残る中庭で、精一杯の笑顔を返した。


「ただいま」


――第2章 了


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