第4話 工房の主
かちゃり。
鍵が、外れた。
扉が開くのと、雷夕が寝台から転げ落ちるのは、ほとんど同時だった。
「――おはよう。あなたが例の"劣化"さんね」
戸口に、女が一人、立っていた。
油と煤の染みだらけの作業着。腰に巻いた革のエプロンには、大小さまざまな工具が隙間なく差し込まれている。袖を肘までまくり上げた腕は細いが、指先には、職人特有の硬い胼胝がいくつも見えた。
その手に、細い針金のような工具が一本。
どうやら、それで鍵を開けたらしい。
「……あんた、鍵って知ってるか」
「知ってるわよ。仕組みまで、全部ね」
悪びれもせずに言い放って、女はずかずかと部屋に踏み込んできた。
その声で、分かった。
昨日、練兵場で聞いた怒鳴り声だ。
「ロゼリア・ガルシア。イヴァルキアで工房を任されてる者よ」
「……霧島雷夕。とりあえず、朝飯を食わせてもらってもいいか」
「後にして」
即答だった。
ロゼリアは、作業着の胸の物入れから、何かを取り出した。
掌に収まるほどの、小さな金属の円盤。
蜘蛛の巣のような罅に、ずたずたに断ち切られた紋様。
昨夜、アリシアの机の上で見たものだ。
「今朝一番に、アリシア様が持ってきたわ」
ロゼリアは、円盤を、窓から差す朝の光にかざした。
「――これね。私が作ったの」
声の温度が、すうっと下がった。
「一撃。たった一撃だけ、どんな魔法でも受け止める盾。それ以上は保たない。保たせられなかった。あれが、私の腕の限界だった」
罅の一本一本を、指先でなぞる。
職人が自分の作品の傷を確かめる、丁寧な手つきだった。
「アリシア様はね、それを分かってて、これ一枚だけ持って、戦場に出たのよ」
「……」
「怒ってやろうと思ってたの。何考えてるんだって。領主が、こんな一回きりの玩具ひとつで、帝国の騎士の前に立つなんて」
ロゼリアの唇が、きゅっと引き結ばれる。
「でも、言えなかった。あの人、私の顔を見るなり、『ごめんなさい、壊しちゃった』って、頭を下げたのよ。……腕に、あんな包帯を巻いて」
円盤を握った手に、力がこもる。
「謝るべきなのは、私の方なのにね。――次は、もう無い。同じものを作っても、また一撃で終わる」
ロゼリアは、顔を上げた。
雷夕を、真正面から射抜く目だった。
「だから、あなたの力を、今すぐ調べさせて」
「……今すぐ?」
「今すぐ。あの人の盾を消し飛ばしかけた魔法を、あなたはまるごと別物に変えた。それがどういう理屈なのか――私が、知らなきゃいけないの」
雷夕は、しばらく黙って、その目を見返した。
好奇心。それは、確かにある。爛々と、隠しようもなく。
けれど、その奥にあるのは、もっと硬くて、熱いものだった。
(……この国の人間は、みんなこうなのか)
一人で、七通の手紙を書く領主。
壊れた盾を握りしめて、夜明けに鍵をこじ開けてくる職人。
雷夕は、深々と、溜め息をついた。
「――パンだけ、持ってっていいか」
ロゼリアの口元が、初めて、にやりと笑った。
「歩きながら食べなさい」
*
城の回廊を、早足で抜けていく。
雷夕は、テーブルに残っていた固いパンを齧りながら、半ば引きずられるように後を追った。
朝の城は、思っていたよりずっと騒がしかった。
洗濯籠を抱えた侍女たちが、回廊の端を小走りに行き交う。どこかの厨房から、焼けたパンと、煮込みの匂いが漂ってくる。中庭に面した窓の下では、馬丁が桶の水をぶちまけて、敷石を磨いていた。
すれ違う誰もが、ロゼリアを見ると、さっと道を空ける。それから、その後ろを引きずられていく雷夕を見て、気の毒そうな顔をした。
(……慣れてんだな、この光景に)
「で、あの時の感覚は? 発動の瞬間、何を意識してた?」
「感覚も何も……あの白い光を、目に焼き付けて。それで、写せ、って」
「狙ったのね。あの光そのものを」
「ああ。何に化けるかは選べないけど、何を写すかは選べるからな。だったら、一番でかいやつだ、と」
ロゼリアの足が、一瞬だけ、止まった。
「……それ、その場で考えたの?」
「その場以外で、いつ考えるんだよ」
ロゼリアは何も言わずに、懐から手帳を取り出して、歩きながら猛然と書きつけはじめた。
回廊の柱が、規則正しく後ろへ流れていく。
「あんたは」
パンの最後のひとかけを飲み込んで、雷夕は聞いた。
「なんで、そこまでするんだ。盾ひとつのために」
「盾ひとつじゃないわ」
ペンを走らせながら、ロゼリアは答えた。
「私ね、この国の生まれじゃないの。小さい頃に、あちこち流れ流れて、行き着いた先で、偏屈な老いぼれの職人に拾われた。魔道具の作り方は、全部その人に叩き込まれたわ」
「師匠、ってやつか」
「そう。その師匠の口癖がね――『力の差は埋まらなくても、工夫の差は誰にでも埋められる』」
手帳を、ぱたりと閉じる。
「イヴァルキアが、帝国なんて化け物と張り合えてるのは、突き詰めれば、その一言に尽きるのよ。魔力の量で敵うわけがない。だったら、知恵と技術で埋めるしかない」
回廊の突き当たりの、分厚い木の扉の前で、ロゼリアは立ち止まった。
「あの盾は、その"工夫"が、一撃分しか届かなかったっていう証拠。――だから、次は、もっと遠くまで届かせる」
扉を、押し開ける。
「ようこそ。私の工房へ」
*
広い。
最初に思ったのは、それだった。
天井が高い。壁という壁に棚が打ちつけられ、工具、歯車、銅線の束、名前も分からない金属の部品が、ぎっしりと詰め込まれている。床には設計図らしき紙が幾重にも散らばり、踏まずに歩ける場所を探す方が難しい。
油の匂い。焦げた金属の匂い。それに、どこか甘ったるい、薬草を煮詰めたような匂い。
部屋の奥の、大きな作業台。
その上に、淡く光る小瓶が、ずらりと並んでいた。
「これは?」
「魔力標本。戦場や訓練で使われた魔法の"残り滓"を、専用の道具で採って、閉じ込めておいたもの」
ロゼリアは、一本を手に取って、光にかざした。
瓶の中で、橙色の小さな光が、ちろちろと舌を出すように揺らめいている。
「いきなり実戦で試すわけにはいかないでしょう。だから、まずはここで、安全に。――これは、ごく基本的な火炎魔法の残滓よ。これを見て、『劣化』を使ってみて」
「言うほど簡単じゃないんだがな……」
ぼやきながらも、雷夕は瓶の前に立った。
橙の光を、じっと見る。
揺らめき。熱。ちろちろと舐めるような、炎の舌。
――焼き付ける。
「『劣化』」
ドクン、と。
あの時ほどではない。けれど、手のひらの奥から、確かに何かが引き抜かれていく感覚。
手のひらの上に、ふわり、と何かが生まれた。
小さな、白い靄だった。
「……煙?」
ロゼリアが、身を乗り出す。
その鼻先で、靄が、ゆっくりと渦を巻いた。
ぴし、と。
作業台の上に置いてあった、水差しの表面に。
白い花が、咲いた。
ぴし、ぴし、ぴしぴしぴし――!
霜だ。
水差しの硝子を、細かな氷の結晶が、みるみるうちに覆い尽くしていく。中の水が、軋むような音を立てて、白く濁る。作業台に散らばっていた紙の端が、ぱりぱりと凍りついて、反り返る。
ロゼリアの吐く息が、白く、なった。
「……冷たい」
彼女は、呟いた。
霜に覆われた水差しに、そっと指先を伸ばす。触れた瞬間に、びくりと手を引っ込めた。
「火を、写したのよね。あなた、今」
「……ああ」
「なのに、冷たい」
ロゼリアは、凍りついた水差しと、まだ橙に揺れている標本の瓶を、交互に見比べた。
手帳を開く。ペンを走らせようとして――ペン先のインクが凍って、かすれた。
彼女は、ペンを放り出した。
ゆっくりと、雷夕を見上げる。
その目が、爛々と、光っていた。
「劣化コピーって、聞いてたけど」
低く、震える声で。
「これ――弱くなってない。"逆"に、なってる」




