第11話 見えない一手
修復の跡が、まだ生々しかった。
崩れた石を積み直し、焦げた木材を新しい梯子避けの杭に打ち替える。
外壁東側は、この三日、そんな作業に追われ続けていた。
「――終わった、って言ったのは誰だっけ」
石を運びながら、雷夕がぼやく。
「あんたよ」
すれ違いざま、ロゼリアが涼しい顔で返す。
「終わらせられた、が正しい、って誰かさんが言ってたのにね」
老将の言葉を、そのまま切り返された。
返す言葉もなかった。
*
三日目の夜。
鐘が、また鳴った。
今度は、誰も驚かなかった。
驚かなかったことが、かえって不気味だった。
「――同じ場所だ」
物見櫓に駆け上がった老将が、暗い丘の稜線を睨みつける。
「東側外壁。前回と、寸分違わぬ位置」
「偶然、じゃないですよね」
ケインの問いに、老将は答えなかった。
答えの代わりに、深く刻まれた眉間の皺が、一段深くなった。
*
隊列の規模は、前回とほぼ同じだった。
だが――何かが違った。
雷夕は、丘を埋める黒い染みを見つめながら、その違和感の正体を探る。
(速い)
前回より、進軍の足取りが、明らかに速い。
まるで、時間そのものを惜しんでいるかのように。
*
太鼓が鳴る前に、既に矢が飛んできた。
ヒュンッ、ヒュンッ――!
「早い! 定石を崩してきてる!」
老将の怒声が飛ぶ。
弓兵が慌てて態勢を整え直す横で、梯子隊がもう壁際に迫っていた。
ガツンッ。
鉤爪の音が、二基、三基と立て続けに響く。
「多いッ! 前より梯子の数が多い!」
*
戦況が動いたのは、そのすぐ後だった。
隊列の中ほどから、青白い光が膨れ上がる。
雷を纏った槍。
穂先から迸る光が、稲妻のように空気を切り裂いた。
(また、魔法兵か)
雷夕は、剣を握る手に力を込めた。
三日前と、同じ判断。
同じ手順。
『劣化』が、それに応えようとする。
意図的に。狙いを定めて。
槍から放たれた雷が、外壁目掛けて奔る――その軌道の途中、光が、色を変えた。
青から、白へ。
雷から、閃光へ。
パアアアッ――!!
視界を焼くような光が、外壁の前方一帯で弾けた。
「――ぐ、目が!」
登りかけていた敵兵が、次々と手を離す。目を庇い、悲鳴を上げながら地面に転がり落ちていく。
「効いてる! よし――!」
ロゼリアの歓声。
だが、雷夕の中には、小さな違和感が残っていた。
(――軽い)
三日前、氷を生み出した時の、あの重い手応えとは違う。
まるで、力そのものが、薄まっているような。
*
閃光の混乱に乗じて、老将が反撃の号令をかけた。
「押し出せ! 崩れているうちに!」
外壁の兵が矢を放ち、石を落とす。
混乱していた敵の隊列に、更なる乱れが生じる。
だが――
「――退くぞ!」
敵陣から、角笛が鳴った。
早い。
前回よりも、明らかに早い撤退だった。
*
丘の向こうへ引いていく黒い染みを見送りながら、雷夕は妙な胸騒ぎを覚えていた。
「――勝った、んだよな」
「勝った、というよりは」
ケインが、剣を鞘に収めながら、静かに言葉を継いだ。
「退いた、が正しいのかもしれん」
老将が、腕を組んだまま呟く。
「深追いさせる気は、端からなかったようだな」
*
その予感が当たっていたと知るのに、さほど時間はかからなかった。
「――鐘だ! もう一度!」
見張りの叫び声が、詰所に飛び込んできたのは、それから僅か半刻後のことだった。
「馬鹿な、まだ夜明けにもなっていない」
ロゼリアが、包帯を巻く手を止めて顔を上げる。
雷夕は、剣を掴んで立ち上がった。
体の奥に、鈍い疲労が澱のように溜まっている。
だが、それを言っている場合ではなかった。
*
物見櫓から見下ろした光景に、雷夕は息を呑んだ。
丘の向こう、先ほどとは別の隊列が、既に半分近くまで距離を詰めていた。
数は、先ほどと同規模。
だが、疲弊していないのは向こうも同じだった。
「――二段構え、だと?」
老将の声に、初めて明確な焦りが滲んだ。
「一度目で、こちらの手札を切らせ、消耗させた上で――二度目を、叩き込む気か」
その言葉が、雷夕の背筋を凍らせた。
(劣化――使えるか)
胸の奥に手を伸ばす。
だが、応える気配がない。
ただ、空っぽの器の底を覗き込むような、乾いた感触だけがあった。
(――くそ)
グレンタとの死闘で、一度だけ味わった感覚だ。
狙っても、何も掴めない。あの時と同じ、空振りの手応え。
間違えようがなかった。
掠れた声のまま、雷夕はロゼリアへ向き直った。
「――ロゼリア、聞いてくれ。劣化が、使えない」
「――は?」
投擲瓶を構えていたロゼリアの手が、ぴたりと止まる。
「馬鹿な! まだ、そんなに時間経ってないわよ!?」
「魔力が、ない。さっきの閃光――思ったより、食ったみたいだ」
写し取ったのは、槍兵一人分の雷撃だ。そのはずだった。
だが、変質した効果は――外壁の前方一帯を、丸ごと呑み込むほどの閃光になっていた。
狙った以上の広さに、届いてしまった。
その分だけ、余計に持っていかれた。そう考えるしかなかった。
ロゼリアの顔から、みるみる血の気が引いていった。
「……範囲まで、化けるっていうの? 威力や属性だけじゃなく」
「文句なら、劣化に言ってくれ」
「劣化は、結局は魔力頼みの技だった。回数の問題じゃない、器の大きさの問題――しかも、化けた後の効果がどれだけ膨らむかも読めないなら、消費だって読めるわけない」
「今頃気づいても、遅い!」
苦い笑みしか出てこなかった。
老将が、それ以上何も聞かずに号令を飛ばす。
「東側、増援を回せ! 撹乱腕輪の効果に頼りすぎるな、地力で凌げ!」
*
第二波は、最初から本気だった。
梯子は同時に六基。
矢は容赦なく、盾の隙間を狙って降り注ぐ。
ドンッ、ドンッ、ドンッ――!
太鼓の音が、耳を叩く。
「ぐぅっ――!」
ケインが、鎧の隙間を掠めた矢に呻きながらも、崩れかけた足場を持ち堪える。
「無理はするな!」
「無理をしなければ――保たん!」
叫び返す声に、いつもの余裕がなかった。
*
ロゼリアの投擲瓶が、次々と宙を舞う。
油。粉。閃光弾。
だが、数には限りがある。
「――ラスト、一本!」
叫ぶ声に、焦りの色が濃くなっていく。
「信号弾は!?」
「まだ、ある――!」
震える手で、彼女が筒を掲げた。
赤。増援要請の色。
シュッ、と音を立てて、赤い光の尾が夜空へと駆け上がる。
*
だが、光が届く前に、梯子の一基が壁を越えた。
「――来る!」
雷夕は剣を構え直した。
考える余裕はない。
踏み込む。
払う。
躱す。
三拍で、一人。
だが、二人目の穂先が、脇腹を掠める。
熱い。
痛みより先に、そう感じた。
「――くっ」
血の匂いが、鼻の奥に広がる。
それでも、剣を握る手だけは、離さなかった。
*
「東側、崩れるぞ! 第二防壁まで下がれッ!」
老将の声が、混乱の中に響き渡る。
撤退の指示に、悔しさが滲んでいた。
外壁を、完全には守り切れなかった。
だが――全滅よりは、遥かにましだった。
*
石造りの階段は、既に人でひしめいていた。
我先にと駆け下りる兵。担架を担いで進む二人組。足を滑らせ、そのまま転げ落ちる者。
「――押すな! 順番に下りろ!」
怒鳴る声も、悲鳴の中に紛れて掻き消えていく。
「ケイン、肩、貸せ」
蹲りかけたケインの腕を、雷夕は自分の首へ回した。
「――すまん」
「今更、遠慮するな」
体重を預けられた分だけ、脇腹の傷が疼く。
それでも、足だけは止めなかった。
*
背後で、悲鳴が上がった。
振り向けば、外壁を乗り越えてきた敵兵の一人が、逃げ遅れた兵に斬りかかろうとしていた。
「――くっ!」
考えるより先に、体が動いていた。
踏み込む。
斬る。
短い悲鳴とともに、敵兵が崩れ落ちる。
血の熱さが、柄を伝って手のひらまで届いた。
「先に行け!」
叫んだ声に、逃げ遅れていた兵が、弾かれたように駆け出していく。
*
第二防壁までの道のりは、平坦な野原のようで、そうではなかった。
矢が、まだ降ってくる。
ヒュンッ、と耳元を掠める音がするたび、心臓が跳ねた。
「――目、眩ませとく! 走って!」
ロゼリアが、最後の一本になった閃光筒を後方へ投げつける。
パアッ、と光が弾け、追ってきていた足音が乱れた。
その隙を突き、三人は走った。
ケインを支えながら。脇腹の痛みを、噛み殺しながら。
一歩。また一歩。
*
「開けろ! 開けてくれッ!」
第二防壁の門が、軋みながら開いていく。
隙間から漏れる松明の灯りが、これほど心強く見えたことはなかった。
崩れ落ちるように、三人は門をくぐった。
背後で、重い音を立てて門が閉ざされる。
ガコンッ――!
閂の落ちる音が、ようやく安堵を連れてきた。
*
積み直したばかりの石が、崩れていく外壁の向こうに見えた。
三日分の修復が、一晩で無に帰った。
*
第二防壁の内側に転がり込んだのは、空が白み始めた頃だった。
数えるまでもなく、負傷者の呻き声が、あちこちから聞こえてくる。
ケインは肩を押さえ、荒い息を吐いていた。
ロゼリアの手は、まだ細かく震えている。
「――生きてる、な」
雷夕自身、脇腹の傷を押さえながら、掠れた声で呟いた。
「生きてるだけ、上等よ」
ロゼリアの声にも、いつもの軽さはなかった。
*
丘の向こうへ、敵の隊列が引いていくのが見えた。
外壁の一部を崩し、目的は果たしたとでも言うように。
まるで、最初から――それだけが狙いだったかのように。
老将が、崩れた外壁を見つめたまま、低く呟いた。
「二度、同じ場所を、同じように試された」
「……偶然、じゃないですよね」
雷夕の問いに、老将は答えなかった。
答える代わりに、拳を強く握り締めていた。
夜明けの光が、崩れた石壁の残骸を、静かに照らし出していく。
見えない誰かの手が、確かにこの戦を、動かしていた。




