↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レーヴァルト戦記 ~最弱のコピー能力が別の魔法に化けるので、恩人の領主を守るために戦います~  作者: 深夜のトースト
第2章 西の砦の篝火

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
32/74

第9話 刃、まみえる

鐘の音が、砦を叩き起こした。


一度。二度。三度目で、跳ね起きた雷夕の手は、もう剣の柄を握っていた。


「――来たか!」


石室を飛び出すと、廊下はすでに慌ただしい足音で埋まっていた。鎧を着込みながら走る兵、松明を掲げて駆ける伝令、怒鳴るような指示の声。


昨夜、腕輪を握り締めて眠りについたばかりだった。


その余韻を、鐘の音がねじ伏せていく。


*


物見櫓に駆け上がると、ロゼリアはすでにそこにいた。


工具袋の代わりに、腰には投擲用の小瓶を並べたベルトを巻いている。


「数は?」


「多く見て五百。物見の報告だと、正規の縦列――そして、旗持ちが三本」


双眼鏡代わりの魔道具を覗き込んだまま、ロゼリアの声が硬い。


「本隊、じゃないわね。にしては、少なすぎる」


「小手調べ、ってやつか」


呟いた雷夕の隣に、遅れてケインが上がってくる。息一つ乱していないのは、さすがだった。


「老将殿の見立ても同じだ。――威力偵察。砦の守りの厚みを、測りに来ている」


*


指揮所では、老将が卓の上の地図に指を這わせていた。


深く刻まれた皺の一本一本に、何十年分もの戦場の記憶が詰まっているような顔だった。


「西の外壁、正面から来る。梯子と、恐らく――魔法兵が数名」


指先が、地図上の一点を叩く。


「お前たちには、外壁の東側を任せる」


正面ではない。


そのことに、一瞬だけ喉の奥が詰まった。


「――信用、されてないってことか」


「そう聞こえたなら、悪いが訂正はしない」


老将は顔も上げずに言った。


「未知数を、いきなり主戦線には置けん。それが、軍というものだ」


短い沈黙。


それから、老将はようやく顔を上げた。


「だが、東側が薄いのも事実だ。何もするな、とは言っていない」


その一言に、雷夕は口の端をわずかに上げた。


「――十分だ」


*


外壁に立つと、風が違った。


土埃と、鉄の匂い。それに、遠くから響いてくる、規則正しい足音。


ズッ、ズッ、ズッ。


軍靴が地面を踏み鳴らす音は、まだ姿の見えない敵の輪郭を、耳から先に描き出していく。


やがて、丘の稜線に、黒い染みのようなものが滲み出した。


染みは、見る間に形を持つ。


隊列。旗。そして、鈍く光る穂先の群れ。


「――来る」


ロゼリアの声が、掠れていた。


*


太鼓が鳴った。


ドン、ドン、ドン、ドン――!


一定の拍子が、地面を通して足の裏まで伝わってくる。


その拍子に合わせて、隊列が前進を始めた。


一糸乱れぬ動き。


盾を構えた前列、その隙間から槍先を突き出す二列目。統率された歩みは、まるで一つの巨大な生き物のようだった。


「……綺麗な行軍だな」


思わず漏れた呟きに、隣のケインが頷く。


「褒めている場合か」


「褒めてるさ。あれをぶち崩す側だからな、こっちは」


軽口の裏で、心臓が早鐘を打っていた。


これまで戦ってきたのは、盗賊であり、暗殺者であり、魔物だった。


だが、これは――軍だ。


個としての強さとは、また別の質量が、丘の向こうから押し寄せてくる。


*


弓兵の号令が飛んだ。


「――放てッ!」


ヒュン、ヒュン、ヒュンッ――!


夜明け前の空を裂いて、矢の雨が降り注ぐ。


前列の兵が盾を掲げ、乾いた音を立てて矢を弾く。


パスッ、パスッ、パパンッ――!


数本が隙間を縫って、悲鳴を上げさせる。それでも隊列は崩れない。


「壁際まで、あと二百!」


「梯子隊、後方に控えている! 東側にも回ってくるぞ!」


伝令の声が、外壁の上を駆け抜けていく。


雷夕は剣の柄を握り直した。


掌に、汗が滲んでいる。


(――怖い、のか。俺)


否定はしなかった。ただ、震えは、握り直すたびに小さくなっていった。


*


梯子が壁に掛かったのは、それから間もなくのことだった。


ガツンッ、と鈍い音。


見上げれば、鉤爪のついた先端が、石壁の縁に食い込んでいる。


「東にも来た! 二基!」


「――上がらせるな!」


老将の指示は届かない。ここは、任された持ち場だ。


判断は、自分たちに委ねられている。


ロゼリアが小瓶を投げた。


放物線を描いて落ちたそれが、梯子の根元で弾け――ぬめった油の膜が、足場を奪う。


「滑れ、滑れ!」


叫ぶ彼女の声に、笑みが混じっていた。


登り始めていた兵の足が、面白いほど呆気なく空を切る。


ズザザッ、と滑り落ちる音が二重に響いた。


「一基、無力化!」


「もう一基は――!」


もう一基の梯子には、既に三人の兵が取り付いていた。


先頭の男が壁の縁に手をかける。


ケインが動いた。


踏み込む。


斬る。


届く。


三拍で、それだけだった。


ガキンッ、と鎧越しの一撃が火花を散らし、男の体が梯子ごと後ろへ吹き飛んでいく。


「――問題ない」


息一つ乱さず、ケインが剣を構え直した。


*


異変に気づいたのは、その直後だった。


風が、変わった。


いや――風ではない。


熱だ。


「――雷夕! 右!」


ロゼリアの声に振り向いた先。


壁の外、隊列の後方に立つ一人の男が、両手を大きく広げていた。


纏っているのは、鎧ではなく、焦げ茶の外套。


その手のひらの間で、赤い光が渦を巻いている。


魔法兵。


見た瞬間、腹の底が冷えた。


(あれを、外壁に撃ち込まれたら)


石壁がどうなるかなど、考えるまでもなかった。


「――狙いを、外壁全体に定めているつもりだろうが」


呟いたのは、独り言のようで、独り言ではなかった。


自分自身への、確認だった。


雷夕は目を、その男の手の中の炎に据えた。


(見た。捉えた。あとは――)


三年分の失敗と、幾つかの成功が、掌の熱として蘇る。


意図的に。狙って。だが、力を抜いて。


かつてのように、力任せに掴みにいくのではなく――そっと、指先で触れるように。


『劣化』が、応えた。


*


視界の隅で、赤い光がぶれる。


魔法兵の腕から放たれたそれは、渦を巻きながら壁へと殺到し――


パキン、と。


まるでガラスが罅割れるような音を立てて、色を変えた。


赤から、白へ。


炎から、氷へ。


「――は?」


魔法兵自身の困惑の声が、ここまで届いた気がした。


着弾した瞬間、外壁の一角と、その足元の地面ごと、白い霜が広がった。


ピキピキピキッ、と凍りつく音が連鎖する。


梯子にしがみついていた兵の手が、凍りついた鉄の感触に驚いて離れる。


足場ごと凍った地面に、次々と兵が滑り、転び、折り重なった。


「――やった、のか」


自分で発動させておきながら、半信半疑の声が漏れる。


初めてだった。


狙って。意図して。それでいて、これほどはっきりと成功したのは。


*


「腕輪、効いてるみたいね」


隣で、ロゼリアが小さくガッツポーズを作っていた。


「魔力の揺らぎは飛んだはずだけど――波形は、多分どこかの誰かさんのものに化けてる」


「誰かさんって」


「知らないわよ、そんなの。適当に選んだ、って言ったでしょ」


事もなげに笑う彼女の顔に、雷夕は苦笑を返すしかなかった。


だが、確かなことが一つあった。


正体を悟られず、力を振るえた。


それだけで、次からの戦い方が、一つ広がる。


*


魔法兵を失った隊列に、動揺が走った。


呼応するように、老将の号令が飛ぶ。


「――押し出せ! 今だッ!」


外壁の兵が一斉に前へ出る。矢が、石が、再び降り注ぐ。


凍りついた地面で足を取られる兵。折れた梯子にしがみつく兵。


統率された巨大な生き物のはずだった隊列が、初めて――綻びを見せた。


やがて、後方で角笛が鳴った。


低く、長く。


退却の合図だ。


*


丘の向こうへ引いていく黒い染みを、雷夕は外壁の上から見送った。


膝から、力が抜けそうになる。


だが、まだ立っていられた。


「――終わった、のか」


「終わった、というより」


老将が、いつの間にか隣に立っていた。


腕を組んだまま、遠くを見つめている。


「終わらせられた、が正しい」


「同じことじゃないのか」


「違うな」


老将の目が、初めて雷夕を見た。


「奴らは、様子見に来ただけだ。本気で落とすつもりなら、あの程度の兵数では来ない」


淡々とした声。それでも、続く言葉には、確かな重みがあった。


「――だが、その様子見を、ここまで綺麗に叩き返した部隊は、そう多くない」


*


夕刻。


外壁の修復に追われる兵たちの声を背に、雷夕たちは持ち場を離れた。


疲労が、今になって全身に染み渡ってくる。


「……腹、減ったな」


「私も。あと、手が震えてる。緊張の反動ね」


差し出したロゼリアの手のひらは、確かに小刻みに揺れていた。


ケインだけは、いつも通り涼しい顔をしている。


「お前は疲れないのか」


「疲れているとも。表に出さないだけだ」


言われてみれば、鎧の下、握った拳の関節が、白くなっていた。


*


砦の詰所に戻る道すがら、すれ違った古参の兵の一人が、足を止めた。


無精髭に覆われた顔。数日前まで、こちらを見る目には、明らかな懐疑の色があった男だ。


その男が、何も言わずに、軽く頭を下げていった。


短い、それだけの仕草。


だが、これまで一度もなかったことだった。


「――今の」


「見た」


ロゼリアが、口元を緩める。


「認められた、ってことよ。多分」


多分、でいい。


今はまだ、それで十分だった。


石畳を踏む足音が、三人分、静かに詰所へと続いていく。


明日も、また同じ丘の向こうから、何かがやってくる。


それでも――今日を、越えられた。


その事実だけを胸に、雷夕は夜へと歩を進めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。