第8話 届けられた光
――軋む車輪の音が、まだ遠い。
それでも、砦の物見櫓の上から、その音を最初に聞きつけたのはロゼリアだった。
「……来た!」
弾かれたように立ち上がった彼女の声に、雷夕は手にしていた砥石を止めた。
「補給の隊列か?」
「ええ。定期便のはずだけど――予定より、二日も早い」
眉根を寄せながらも、ロゼリアの声音には隠しきれない期待の色が滲んでいた。
*
土埃を巻き上げながら、荷馬車の隊列が城門をくぐってきたのは、それから半刻ほど後のことだった。
先頭を進む護衛の兵が、疲れた顔に、それでも確かな安堵を浮かべて手を上げる。
「イヴァルキア城より、補給物資を運んで参りましたッ! 食糧、薬、それから――」
荷馬車の一台から飛び降りた御者が、布に包まれた木箱を大事そうに抱え、まっすぐロゼリアの元へと駆け寄ってきた。
「ロゼリア様! 工房から、これを!」
「――やっと!」
木箱の留め具を外すロゼリアの指先が、隠しきれない興奮に震えている。
蓋が開かれた瞬間、鈍い金属の光沢を放つ品々が姿を現した。
腕輪。それも、雷夕が見慣れたものより一回り大きく、幾つもの細かな細工が新たに刻まれている。
「新型の撹乱腕輪よ。出発前に渡していた設計図を、工房のみんなが仕上げてくれた」
指先で撫でるように機構をなぞりながら、ロゼリアが囁くように続ける。
「感知範囲を撹乱するだけじゃない。今度のは――発動の瞬間だけ、魔力の波形そのものを、別人のものに偽装する」
「――は?」
「つまり、劣化を使っても、"誰が"使ったかを悟らせにくくなる、ってこと」
事もなげに言ってのけるロゼリアの顔には、隠しきれない誇らしさが浮かんでいた。
*
木箱は、それだけではなかった。
医療用の圧縮包帯。日持ちのする携行食。そして――底の方から出てきたのは、小さな筒状の道具が幾つも束ねられたものだった。
「これは?」
「信号弾よ。色ごとに意味を割り振ってある。増援要請、撤退、包囲――声が届かない距離でも、指示を伝えられる」
ロゼリアは筒の一つを掲げ、日の光に翳した。
「戦場で一番怖いのは、敵の強さそのものより――仲間と、意思疎通が取れなくなることだから」
その言葉に、雷夕は隣にいた砦の老将が、微かに目を見開いたのに気づいた。
「……大した発明だな」
低く漏れた呟きに、ロゼリアがわずかに口角を上げる。
「イヴァルキアは、力で劣る分を、工夫で埋める国です。誰かが、そう教えてくれたので」
*
その日の午後、砦の中庭で、ロゼリアによる簡単な講習が開かれた。
集まったのは、若い兵から歴戦の古参まで、二十人ほど。
「――こう握って、こう捻る。それだけです」
実演してみせるロゼリアの手つきに、最初は懐疑的だった兵たちの表情が、少しずつ変わっていく。
「本当に、これだけで敵に居場所が知れないのか?」
「保証はできません。でも――何もしないよりは、ずっとマシです」
正直すぎるその物言いに、周囲からどっと笑いが起きた。
張り詰めていた空気に、久しぶりの緩みが差し込む。
雷夕は、少し離れた場所からその光景を眺めていた。
(こういうのも、悪くないな)
剣も、魔法も、劣化も振るわない。それでも、確かに戦況を変えうる力が、ここにはあった。
*
夕刻、荷馬車から降ろされた最後の一箱――届いた私信の束を、ケインが兵たちに配って回っていた。
家族からの手紙。故郷の様子を知らせる文。中には、涙ぐみながら封を切る若い兵の姿もあった。
雷夕とロゼリアの元にも、一通ずつ届けられていた。
差出人は、アリシア。
短い一文だけが、丁寧な字で綴られていた。
『――無事な帰りを、待っています』
それだけ。
それだけで、十分だった。
*
夜、割り当てられた石室で、雷夕は新型の腕輪を手に取り、篝火の灯りに翳していた。
冷たい金属の感触。その奥に、確かな誰かの手の温もりが込められている気がした。
「明日には、隣の防衛線にも同じものを届けに行くわ」
工具袋を肩にかけながら、ロゼリアが扉の前で足を止める。
「戦いは、まだ始まってもいない。……でも、これで少しは、対等に立てる」
雷夕は腕輪を握り締め、静かに頷いた。
「ああ」
届けられたのは、ただの道具じゃない。
遠く離れた場所から、確かに繋がっている誰かの想いだ。
その重みを胸に刻みながら、雷夕は迫り来る明日へと、静かに意識を研ぎ澄ませていった。




