第20話 俺じゃない、俺の手
城門をくぐると、篝火の明かりが、石畳の上に長い影を落としていた。
出迎えの兵たちが左右に道を空ける中、アリシアが真っ先に駆け寄ってきた。
「――良かった。三人とも、ちゃんと帰ってきた」
肩の力が抜けたのが、傍目にも分かった。
「お疲れ様。よく頑張ってくれたわね」
労いの言葉に、ロゼリアが小さく頷き、ケインも律儀に一礼した。
「――って、雷夕。その包帯、どうしたの」
「ちょっと、かすっただけだ」
「かすっただけで、その巻き方はしないでしょう」
じとっとした目で見つめられ、雷夕は視線を逸らした。
「……手加減してくれ」
「無茶しないでって、前にも言ったのに」
拗ねたような口調に、もう責める気配はなかった。
「今度、埋め合わせしてもらうから」
「何を要求される気だ、それ」
「さあ、何かしらね」
悪戯っぽく笑うアリシアに、雷夕は苦笑を返すしかなかった。
医師団が呼ばれ、三人はそれぞれの手当てを受けた。
ケインは数日の安静を言い渡され、それでもなお現場に立とうとする顔のまま、渋々と自室へ運ばれていった。
*
数日後。
工房の扉をくぐると、薬品の匂いに混じって、いつもの金属を削る音が響いていた。
棚に並んだ薬瓶。壁際に積まれた鉱石の欠片。作業台の上には、いつも通り工具が乱雑に散らばっている。
拡大鏡を額に押し上げたロゼリアが、顔も上げずに手を止めた。
「――肩、見せて」
ロゼリアは、挨拶より先にそう言った。
包帯を解くと、赤黒く塞がりかけた傷口が、灯りの下に晒された。思ったより、治りは早い。
「順調ね。跡は残るでしょうけど」
「勲章代わりだ」
「強がり言わない。痛かったでしょうに」
巻き直された包帯は、心なしか、前よりも丁寧だった。
「――で、本題だけど」
ロゼリアは、作業台の上に広げていた紙の束を、雷夕の前に押し出した。
ケインから聞き取ったという、戦闘中の動きの記録。踏み込みの角度、剣筋、間合いの詰め方――几帳面な字で、事細かに書き起こされている。
「ケインに聞いたのか」
「当事者の感覚なんて、当てにならないから」
ロゼリアは、拡大鏡越しに紙面を睨みながら言った。
「覚えてるんでしょう、一応」
「一応どころか、しっかり覚えてる」
雷夕は、額を押さえた。
剣を握る指から、力が抜けたこと。世界が、置き去りにされたように感じたこと。体が、勝手に動いていくのを、ただ眺めていたこと。全部、覚えている。
ただ――それを"自分がやった"という実感だけが、どこにもない。
「見てた、っていう方が近いかもな。俺の体を、俺自身が」
「でしょうね」
ロゼリアは、紙面から目を離さないまま、淡々と続けた。
「ケインの記録だと、あんたの動き、途中から明らかに変わってる。踏み込みの軌道が、無駄なく最短距離になってる。剣筋も、力任せから、最小限の動作に」
「――俺が?」
「あんたが」
ロゼリアは、ようやく顔を上げた。
「まるで、誰か別の人間が体を動かしてるみたいに、って。ケインが、そう言ってた」
「――言い得て妙だな」
「大袈裟に言えば、ね。厳密には違うと思うけど、多分」
「多分て」
「さあ」
ロゼリアは、悪びれもせず肩をすくめた。
「にしても、俺の意思とは関係ないところで俺が大暴れしてたって、複雑な気分だな」
「暴れてた、というより洗練されてた、が近いけどね」
ロゼリアは、紙を束ね直しながら、目を輝かせた。
「劣化コピーした『予測』が、そのまま出るんじゃなくて、"制御を手放す"っていう真逆の形で出てる。相変わらず、あなたの力は理屈が通らない」
「褒めてるのか、それ」
「最上級の褒め言葉よ」
まるで、面白いおもちゃを見つけた子供のような顔だった。
「――お前、その顔の時が一番食えないんだよな」
「失礼ね」
ロゼリアは、口を尖らせながらも、満更でもなさそうだった。
「まあ、次に同じことが起きるかは、まだ分からないけど」
「そこは相変わらずか」
「だから」
道具袋から、あの腕輪を取り出す。
使い込まれた革紐に、小さな金属の飾りがいくつも縫い付けられている。灯りを受けて、その一つ一つが、鈍く光った。
「これ、ちょっと弄らせて」
「また改造か」
「見つけたばかりの面白い現象、放っておけるわけないでしょう」
言ってから、ロゼリアの声が、少しだけ低くなった。
「……それに。あの空き家の水晶」
作業台の隅に、布を被せた塊がある。あの夜、瓦礫の下から掘り出したものだ。
「狙って写した時は、この腕輪で散らせた。工房で試した通りに。――でも、あなたが手放して出した時は、散らしきれなかった。無心で出す劣化は、揺らぎの大きさが、桁違いなのよ」
「つまり、一番強く出せる時が、一番見られやすいってことか」
「そういうこと。だから、弄らせて」
「俺は実験台じゃないんだが」
「今更、何言ってるの」
あっけらかんと言い切るロゼリアに、雷夕は苦笑した。
「――ま、任せとくか」
伸びをしながら、椅子の背に体を預ける。
窓から差し込む光の筋に、細かい埃が舞っている。
その光の中、ロゼリアは早速、小さな工具を手に腕輪を分解し始めていた。
からん、と外れた金具が、作業台の上で小さく跳ねる。
その横顔を眺めながら、雷夕は、ゆっくりと肩の力を抜いた。
――こん、こん。
控えめなノックの音がした。
扉の隙間から、ひょこりと顔を出したのは、城の若い侍女だった。両手で、小さな封筒を大事そうに抱えている。
「霧島様、こちらにいらっしゃると伺って。……アリシア様から、お手紙です」
受け取って、封を切る。
見慣れた、几帳面な字だった。たった一行。
『埋め合わせの日、決めたわ。三日後の夜、空けておくこと。――これは、頼みごとじゃなくて、命令よ』
雷夕は、しばらくその一行を眺めていた。
横から覗き込んだロゼリアが、ぷっと吹き出した。
「……何を要求されるのかしらね」
「知るか」
そう言いながら、口の端が、勝手に緩んでいくのを、雷夕は止められなかった。




