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レーヴァルト戦記 ~最弱のコピー能力が別の魔法に化けるので、恩人の領主を守るために戦います~  作者: 深夜のトースト
第1章 銀の盾と、劣化の傭兵

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第2話 名乗りと、決意と

 キィィィィィ――ン。


 音が、違った。


 高く、細く、耳の奥を錐で抉るような響き。男の手のひらの上で、空白の白が、拳ほどから、人の頭ほどへと膨れ上がっていく。


(――動け)


 膝に、力を込める。


 泥の中で、指が滑った。立ち上がれない。


 その雷夕の前に、また、銀色が立った。


 罅だらけの円盤を、それでも前へ突き出して。魔法陣が、弱々しく明滅しながら、どうにか花を開く。さっきの半分の大きさもない。蜘蛛の巣の線が、あちこちで途切れている。


「……おい、それ、もう」


「分かってる」


 振り向かずに、彼女は言った。


「分かってるから、黙ってて」


 ――その、両脇から。


 ガシャン、と。


 盾が、並んだ。


 さっき雷夕に「何者だ」と叫んだ、若い守備隊の兵。その隣に、もう一枚。さらに、もう一枚。泥だらけの兵たちが、肩で息をしながら、震える腕で盾を掲げ、彼女と雷夕の前に壁を作っていく。


「お、お下がりください、領主様……!」


 誰かが、上擦った声で言った。


 あの光の前では、盾など紙一枚にもならない。ここにいる全員が、それを知っている。


 それでも、誰も、退かなかった。


 男の目が、すうっと動いた。


 盾の壁へ。


 その向こうで、ようやく起き上がりはじめた自分の兵たちへ。


 押し飛ばされて折り重なった兵の山。絡まった槍。泥の中を這い回る、さっきまでの最前列。隊列と呼べるものは、もう、どこにも残っていなかった。


 一瞬。


 手のひらの白が、揺らいだ。


 男は、盾の壁の隙間から、膝をついた雷夕を見た。


 値踏みする目だった。


 帳簿に載っていない品物を見つけた商人のような――冷たい、計算の目。


 白い光が、すうっと、手のひらに吸い込まれて消えた。


「――退け」


 短い命令が、戦場を渡った。


「陣を立て直す。動けぬ者は引きずってでも連れ戻せ」


 ブォォォォ――……。


 角笛が、黒煙の間に低く長く響く。帝国兵たちが、這うように、転がるように、後退を始めた。


 男は、最後に一度だけ振り返った。


「覚えておけ、小僧」


 口元が、僅かに歪む。笑ったのではない。獲物の匂いを覚えた獣が、牙を見せただけだ。


「バルトレン・ガイアー。――その名を、忘れるな」


 磨き抜かれた鎧の背中が、退いていく兵の波の向こうへ、消えていった。


 *


 最後に聞こえたのは、からん、という小さな音だった。


 宙に舞い上がっていた誰かの兜が、ようやく落ちてきて、麦畑の畝に転がったのだ。


 戦場に、静けさが戻っていた。


 雷夕は、泥の上に、尻から座り込んだ。


「……勝った、のか?」


「勝ってないわ」


 銀髪の女が、静かに訂正した。


「退いてくれた。――それだけよ」


 掠れた声だった。


 彼女は、周りに集まってきた兵たちに向き直る。


「負傷者を街道の後ろへ。動ける者は手を貸して。帝国が戻ってくるかもしれない――見張りを、丘の上に二人」


 短い指示に、兵たちが、はっとしたように散っていく。


 その背中を、最後の一人まで見送ってから。


 彼女は、剣を、鞘に納めようとした。


 カチ、と。


 切っ先が、鞘口の縁に当たって、滑った。


 もう一度。


 カチ。カチ、カチ。


 入らない。


 細かく、止めようもなく、その手が震えていた。


 彼女は、自分の手を見下ろした。それから、ちらりと、散っていった兵たちの方を振り返った。誰も見ていないのを、確かめるように。


 ――そして、雷夕と、目が合った。


「……」


「……」


 彼女の頬に、さっと朱が差した。


 雷夕は、ゆっくりと立ち上がった。膝はまだ笑っていたが、どうにかなった。彼女と、街道の方との間に――兵たちの視線を遮る位置に、何気なく立つ。


「手、貸そうか」


「……見なかったことにして」


「何を?」


 しれっと返すと、彼女は、一瞬だけ目を見開いた。


 それから、小さく、息を吐いた。


 雷夕が鞘口に手を添えてやると、震える切っ先は、今度こそ、するりと中に収まった。


 カチン。


「――ありがとう」


 ほとんど、聞き取れないくらいの声だった。


 近くで見ると、思っていたよりずっと若い。煤と返り血に汚れた頬。半分ほど解けて、肩に落ちた銀の髪。籠手の隙間から、まだ滲み続けている血。


(……さっきの、あれ)


 ――今度は、私の番。


 あの光の前で、震えながら呟いていた言葉。


 何の「番」なのか、雷夕には分からない。分からないけれど、あれが、誰かに聞かせるための台詞じゃなかったことだけは、分かった。


 怖くて、怖くて、それでも前に出るために。自分の背中を、自分で押すための言葉だ。


 彼女は、すっと背筋を伸ばした。


 さっきまでの震えが嘘のように、片手を胸に当てる。


「名乗りが遅れたこと、詫びるわ。――私は、アリシア・クレイン・レーヴァルト。このイヴァルキアを、預かっている者よ」


「レーヴァルト……って」


 この国に入る前に聞いた名だ。国境沿いの小さな技術国の、領主の家の名。


「まさか、領主……?」


「ええ。現当主。今は"辺境の小娘領主"なんて呼ばれているけれどね」


(――マジか)


 一国の領主が。最前線で。倒れた兵士の襟首を掴んで、引きずっていた。


「……俺は、霧島雷夕。ただの、流れの傭兵だ」


「ただの、ではないでしょう」


 アリシアの目が、まっすぐに雷夕を捉えた。


「バルトレン卿の『滅光』を、丸ごと別物に変えた。それだけじゃない。変わったものを見て、すぐに兵たちに押させた。――あれは、あなたが考えて、やったことよね」


「……まあ、な」


 雷夕は、がしがしと頭を掻いた。


「俺のは『劣化』っていう固有スキルでさ。見た力を、劣化させてしか写せない。しかも、何に化けるかは毎回でたらめ。正直、まともに形になったのは、今のが初めてだ」


「初めて」


「初めて。――だから、何が出るかに賭けるのは、やめた」


 雷夕は、自分の手のひらを見下ろした。まだ、じんと痺れている。


「出たもんを、どう使うか。そっちなら、俺が決められる」


 アリシアは、少しの間、黙って雷夕を見ていた。


 それから、表情を改めた。


「率直に聞くわ。――あなたの力を、私たちに貸してもらえないかしら」


 手当てをしていた兵たちが、はっと息を呑む気配がした。


「イヴァルキアには、帝国と正面から張り合えるだけの兵はない。技術と結束だけで、どうにか食いつないでいる小さな国よ」


 アリシアは、街道の向こうを見た。


 黒煙の、その先。まだ煙の上がっていない遠い麦畑と、点々と見える、小さな家々の屋根。


「それでも。この土地に生きる人たちを、私は、守りたい」


 飾らない声だった。


(守りたい、か)


 三年。色々なものを見てきた。金のために国を裏切る将も、仲間を盾にして逃げる傭兵も。


 ――こんなにも迷いなく、それを口にできる人間には、会ったことがない。


「……一つだけ、確かめていいか」


「何かしら」


「今の頼みは、さっきの力を見たからだよな」


「ええ。それは、否定しない」


 即答だった。


「じゃあ――その前は」


 雷夕は、アリシアの右腕を見た。


「俺の前に飛び込んできた時。あんた、俺の何を見て、ああしたんだ」


 アリシアは、きょとんとした。


 問われた意味が、本当に分からない、というように。


「何も」


 当たり前のことを言うように、続ける。


「誰かが死にかけていた。だから、前に出た。――それ以外に、理由が要る?」


 雷夕は、思わず笑った。


 笑うしかなかった。


 あんなに震えていたくせに。剣ひとつ、鞘に戻せないくせに。


「……いや。要らない」


 一歩、前へ出る。


「霧島雷夕。――あんたに、借りを返させてもらう」


 言ってから、付け足した。


「それと。次に、あんたがああいう顔して前に出る時は――隣に、俺がいる」


 アリシアの目が、丸くなった。


 それから、ふっと、口元が緩んだ。煤だらけの頬が、ほんの少しだけ、年相応にほどける。


「……ええ。頼りにするわ」


 差し出された手は、細くて、冷たくて、剣だこだらけだった。


 雷夕は、その手を、しっかりと握り返した。


「ようこそ、イヴァルキアへ。――歓迎するわ、霧島雷夕」


 *


 そこから半日ほど離れた、帝国軍の野営地。


 天幕の中で、バルトレン・ガイアーは羽根ペンを走らせていた。


「バルトレン卿。負傷者の数がまとまりました」


 入口で、副官が背筋を伸ばす。


「死者は、思いのほか少なく。……ほとんどが、押し飛ばされた際の打ち身と、捻挫です」


「だろうな」


 バルトレンは、顔も上げずに言った。


「あれは、人を殺す力ではなかった」


「は……」


「人を殺す力なら、対処はたやすい。より強い力で潰せばいい」


 ペン先が、止まる。


「――あの小僧は、殺す力でもないものを、その場で兵の武器に変えた。厄介なのは、力ではない。使った頭の方だ」


 カリカリと、紙を引っ掻く音が、再び天幕に満ちる。


 やがて、ペンが置かれた。


 『イヴァルキア国境にて、特定不能の異能を確認。保持者はイヴァルキア軍に協力する傭兵と思われる。当方の魔法を別種の効果へと変質させ、これを即座に戦術へ転用、我が隊の陣形を崩壊させた。看過すれば、今後の作戦行動に重大な支障をきたす恐れあり――早期の排除を、進言する』


「それと」


 バルトレンは、副官を見た。


「あの傭兵の顔を、近くで見た者がいるはずだ。探して、描かせろ」


「は。――既に、一枚」


 副官が、懐から折り畳んだ紙を差し出した。


 広げる。


 木炭で走り描きされた、若い男の顔。どこか気の抜けた、締まりのない目元。


 バルトレンは、しばらく、それを眺めていた。


 それから、机の上の小刀を、無造作に取り上げた。


 ダンッ――!


 刃が、似顔絵の眉間を貫いて、机に突き立った。


「写しを作れ。十枚だ」


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