第18話 読まれる
空き家の空気が、張り詰めていた。
蝋燭の炎だけが、小さく揺れている。
「――出させる前に、終わらせようか」
グレンタの声に、雷夕は剣を抜いた。
鞘走る音が、やけに大きく響く。
「引く気は、なさそうだな」
雷夕は、剣を正眼に構えた。
「突っ走らないでくださいよ。同時に行きましょう」
ケインが、腰を落として抜刀した。
「サポートするわ」
ロゼリアも、道具袋の紐を解きながら、静かに一歩下がった。前衛はケインと雷夕、後方から支援する立ち位置。三人の間には、言葉のいらない役割分担が、既に出来上がっていた。
「後ろの二人は逃げないか。――そうかい」
グレンタの口元から、笑みが消えた。
「命拾いする機会を、自分から捨てるとはな」
言い終えるより早く、彼女の体が沈んだ。
いや。
(――速い)
目で追い切れなかった。気づけば、彼女はもう、雷夕の眼前に迫っていた。
狙いは、最初から一人――喉元へ伸びる手刀。
「――させるかッ!」
割って入ったのは、ケインの剣だった。
鋭い金属音。
ガキンッ――!
弾かれ、グレンタは軽く後方へ跳んだ。
顔色ひとつ、変えない。
「殺すのは、そこの男一人で済む話だ。お前らを付き合わせてやる義理はないんだがな」
「巻き添えで結構」
ロゼリアが、涼しい顔で言い返す。
「三人揃って、護衛任務中でね」
「――勝手にしろ」
グレンタは、それだけ言い捨てると、再び姿勢を沈めた。
「ッ、――ラア!」
ケインの剣が、唸りを上げて薙ぐ。
当たらない。
グレンタの体は、まるで斬撃の軌道を最初から知っていたかのように、紙一重で流れていく。
「なッ――!?」
空振ったケインの背後に、既にグレンタは回り込んでいた。
その手には、小刀。
「――させるかッ!」
雷夕の剣が、割って入る。
鋭い金属音。
ガキンッ――!
弾かれた小刀が宙を舞い、グレンタは何事もなかったように後方へ跳んだ。
息一つ、乱れていない。
「粉なら効くかしら――!」
ロゼリアの声とともに、白い粉末が宙に散った。目潰し用の道具袋の中身だ。
だが。
グレンタは、粉が撒かれる寸前――ほんの僅かに早く、体を横に流していた。
「――外れた?」
ロゼリアの声に、初めて動揺が滲む。
「まぐれじゃ、ないわね」
「ああ」
雷夕は、剣の柄を握り直した。
掌に、じっとりと汗が滲んでいる。
息が上がっているのは、こちらだけだった。
三対一。それでも、掠り傷一つ、負わせられていない。
(――なんでだ)
剣筋も。間合いも。仕込みのタイミングも。全部、外れる。まるで、始まる前から知られているかのように。
「――なんで、当たらないのよ……!」
ロゼリアが、堪えきれずに声を上げた。
(――待て)
雷夕の脳裏に、違和感が走る。
躱すのが、速いんじゃない。
(――躱し始めるのが、早すぎる)
剣を振り出す、その瞬間より前に。踏み込む、その瞬間より前に。彼女の体は、既に動き始めている。
(見えてる――んじゃない。知ってる、のか?)
「気づいたか」
グレンタが、唇の端を吊り上げた。
「――視えるんだよ、私には」
それだけだった。
種明かしになど、微塵も興味がないという顔。
「動く前の、お前ら全員がな」
フードの下、猟師の目が、獲物を舐め回すように三人を見渡す。
「――まずい」
ロゼリアが、掠れた声で呟いた。
「読まれてる、って……そういうこと……!?」
「ああ」
雷夕も、剣を握る手に、じわりと冷たいものが這い上がるのを感じていた。
(――こいつには、勝てない)
剣も、連携も、意味をなさない。読まれている限り、何をしても後手に回る。
言葉を返す間もなく、彼女の体が沈んだ。
「――ッ!」
鋭い蹴りが、ケインの脇腹を抉る。
ドッ――!
「ぐ――ぁッ!?」
くの字に折れ、膝をつくケイン。
「ケイン!」
「構うな――ッ! まだ、立てる!」
声だけは、まだ折れていなかった。
(このままじゃ――)
焦りが、喉の奥を焼く。
三対一。それでも、押されている。攻撃は全部読まれ、防御はいつも一手遅れる。
(――なら)
剣を握る手に、力を込める。
グレンタの残像――先読みの気配。目に焼きつけ、握り締める。
「食らえ――『劣化』ォッ!!」
吠えると同時、掌に魔力が渦を巻いた。
来る。
これまで見た、どの発動よりも――
(――えっ?)
膨れ上がるはずだった奔流は、力なく空気に溶けていった。
しゅる、と。
まるで、燃え尽きる線香花火の、最後の一粒のように。
「――え?」
ロゼリアの声が、裏返る。
「そんな……なにも起きないじゃない……!?」
「は?なんだそれは?」
グレンタの目から、すっと色が抜けた。
獲物を見定めていた、あの猟師の光ではない。
まるで、期待外れの拾い物を放り出す時のような、冷めた目だった。
「――噂ばかりが、先走っていたか」
落胆を隠しもしない声だった。
グレンタの体が、再び沈んだ。
(――来る)
剣を構え直す。
間に合わない。分かっていた。彼女の一手は、いつだって、こちらより早い場所にある。
「――ッ!」
肩を、焼けた刃が薙いだ。
ビリッ、と裂ける感触。遅れて、血の熱が滲む。
「雷夕――!」
「まだだ」
声が、掠れた。
(まだ――何も、終わってねぇ)
膝が笑う。息が上がる。頭の隅の冷静な部分が、限界を告げている。
勝てる目が、見えない。




