第12話 賞金稼ぎの影
城へと戻る道中は、行きよりもずっと時間がかかった。
衰弱した商隊の生存者たちを、荷馬車に休ませながらの帰路だ。誰も彼も、まともに歩く体力すら残っていなかった。
「無理に急ぐ必要はない。ゆっくりいこう」
雷夕が手綱を握るロゼリアに声をかけると、彼女は小さく頷いて速度を緩めた。
荷台の隅では、リヴァールが交代で見張りに立ちながら、道中で拾った薬草を手際よく砕いていた。傷の応急処置には、剣の腕だけでなく、こういう地味な技術も欠かせない。
「ありがとうございます。……本当に」
荷台に横たわったまま、白髪交じりの商人が、掠れた声で何度も礼を口にした。名をトマスと名乗ったその男は、隊商を率いる立場だったという。
「隊のみんなも、家族も、もう駄目だと思っていたんです」
「無事だったんだ、それでいい」
「いいえ」
トマスは、震える手で雷夕の腕を掴んだ。
「いいえ、これで終わりにはできません。……私にできることなど、たかが知れていますが。いつか、必ずこの恩はお返しします。トマスの名にかけて」
その目には、疲労の奥に、確かな意志の光が灯っていた。
「大げさだな」
「大げさで結構。恩は、忘れた頃に返ってくるくらいが丁度いいんですよ」
トマスは、そう言って弱々しくも笑ってみせた。
道すがら、他の生存者たちからも、ぽつぽつと事情を聞くことができた。商隊が三つ襲われたというのは事実だが、殺されずに済んだ者は皆、労働力として売り払われる算段だったらしい。あと数日遅ければ、どうなっていたか分からない。
「際どかったわね、本当に」
手綱を握りながら、ロゼリアが呟いた。
「際どかったから、意味があったんだろ」
「相変わらず、屁理屈だけは達者ね」
軽口を挟みながらも、その声には安堵が滲んでいた。
城下に着いたのは、通りの軒先のランプに、一つ、また一つと火が入りはじめる頃だった。
*
生存者たちは、そのまま治療院へと運び込まれた。医師や看護の者たちが慌ただしく動き回る中、雷夕たちはひとまず役目を終えた。
「――俺はこれで」
リヴァールが、静かにそう切り出した。
「もう行くのか」
「探し物を続ける。……まだ、何も掴めていない」
その声には、僅かな疲労が滲んでいた。三年とはまた違う、もっと長い年月をかけて追っているものなのかもしれない――雷夕は、そんな気がした。
「仲間の誘い、まだ保留か」
「悪いが、もう少し待ってくれ。今の俺には、片付けなきゃならないことがある」
「急かすつもりはないさ。それに」
雷夕は、肩をすくめながら笑った。
「一度共闘した仲だ。困ったら、いつでも頼ってくれていい」
リヴァールは、その言葉に一瞬だけ目を見開き、それから小さく笑みを浮かべた。
「――覚えておく」
そう言い残すと、リヴァールは踵を返し、城下の雑踏へと消えていった。
*
執務室の机の上に、雷夕は、折り畳まれた紙を一枚、置いた。
何も言わずに。
アリシアが、怪訝そうにそれを手に取る。広げる。
――指先が、止まった。
「……これ」
「バルクの胸甲の内側に挟んであった」
ロゼリアが、隣から短く補足した。
「国境の向こうの、表に出ない仕事の筋から回ってきたって。この顔の傭兵を片付けたら、帝国のお偉いさんがたんまり払う。生け捕りでも、死体でも構わない――そう言ってたわ」
アリシアは、紙から目を離さなかった。
木炭の線を、指先でなぞる。気の抜けた目元。締まりのない口。
その指が、細かく、震えていた。
「……似てないだろ、それ」
雷夕は、わざと軽い声を出した。
「俺、もうちょっと男前だと思うんだけどな」
「――雷夕」
低い声だった。
アリシアが、顔を上げた。
笑っていなかった。
「これは、冗談で済む話じゃないわ」
「分かってる」
分かっている。
坑道で、バルクの歯を剥き出しにした笑いを見た時から、ずっと、腹の底が冷えている。
――その紙が、何枚刷られたと思う?
「でも、今のところ、出てきたのは一枚だ。持ってたのは、たまたま俺たちが依頼で叩きに行った盗賊の頭目。向こうから狙いに来たわけじゃない」
「今のところは、ね」
「今のところは、だ」
アリシアは、紙を机の上に置いた。
それから、しばらく、黙っていた。
燭台の炎が、ぱちりと爆ぜる。
「バルク……元帝国国境軍、か」
やがて、静かに口を開く。
「軍規違反で除隊になった者が、辺境で盗賊に身を落とす例は、珍しくないの。厄介なのは、そういう手合いが、時折、帝国の非公式な仕事を請け負っていること。――今回は、その証拠が出てきてしまった」
「アジトの設備も、妙に統制が取れてたわ」
ロゼリアが、腕を組んだ。
「素人の寄せ集めにしては、出来すぎ。誰かが、後ろで糸を引いてた可能性は捨てきれない」
「報告書に残して、国境の守備隊にも回しておくわ。この似顔絵の写しと一緒に。――似たものを持った者が、関所を通ろうとしたら、すぐに分かるように」
アリシアの声は、もう、領主のものに戻っていた。
テキパキと、次の手を並べていく。財宝の扱い。商隊への補償。押収品の目録。
けれど、その間も、彼女の視線は、何度も、机の上の紙に戻っていった。
*
「――さて。じゃあ私はこれで。押収品の仕分けをしないと」
ロゼリアが、書類を抱えて立ち上がった。
扉の前で、ちらりと振り返る。
「あとは、お二人でごゆっくり」
「な――」
からかうような一言を残して、ロゼリアは出ていった。
ぱたん、と扉が閉まる。
執務室に、二人だけが残った。
「……あいつ、ああいうとこあるよな」
「いつもよ」
アリシアは、小さく溜め息をついた。
それから、机の上の似顔絵を、裏返した。
自分の目に、入らないように。
「――少し、休んだら?」
「休んでたろ。市場で」
「あれは、倒れた後の療養でしょう。休みとは言わないわ」
アリシアは、手元の書類を揃えながら、さりげない調子で続けた。
「あなた、城下のこと、まだよく知らないでしょう」
「まあな。市場と工房と、あとは飯屋くらいしか」
「もったいないわね」
アリシアの表情が、わずかに和らいだ。
「南の通りに、古い書庫があるの。旅人の記録や、各地の風物誌が集められていて。何十年も前の行商人の日記まで残っているのよ」
「日記、ねえ。地味な楽しみ方だな」
「馬鹿にしないの。知らない土地の話を読むのが、昔から好きだったのよ」
少し拗ねたように、口を尖らせる。
「それと、東の広場の近くに、腕のいい仕立て屋もあるわ。あなたのその上着、そろそろ傷みが目立つでしょう」
「痛いところ突くな、それ」
雷夕は、袖口のほつれを誤魔化すように引っ張った。
「あとは……北の水路沿いに、小さな菓子屋があるの。行商人がお土産によく買っていく店で」
「詳しいんだな、随分と」
「小さい頃、よく忍び出て歩き回ったから」
「護衛も連れずに?」
「護衛には内緒でね。乳母には、随分と怒られたものだけれど」
悪戯っぽく笑うアリシアの横顔に、雷夕は、思わず見入った。
さっきまで、紙を持つ指を震わせていた人と、同じ顔だとは思えなかった。
(……ああ、そうか)
気づいた。
この人は、話を逸らそうとしてくれているのだ。
あの紙から。あの紙に描かれた男の、これからから。――たぶん、雷夕のためだけじゃなく、自分自身のためにも。
「案内、してもらえたりするのか」
何気なく口にした一言に、アリシアは、一瞬、虚を突かれたように瞬きをした。
「……そうね。私も、たまには息抜きが必要かもしれない」
小さく笑って、頷く。
「近いうちに、時間を作るわ。あなたに、この国のいいところを見せてあげる」
「楽しみにしとく」
執務室を辞す間際、アリシアが、ふと付け加えた。
「――ああ、それと。護衛は、連れていくから」
「乳母に怒られた側から、学んでないのか」
「学んだから、連れていくのよ」
アリシアの目が、ほんの一瞬だけ、裏返した紙の方へ流れた。
「……今は、私一人の身じゃないもの。あなたも」
*
――その頃。
帝都ガルドヴァールの一室では、バルトレン・ガイアーが、届いたばかりの報告書に目を通していた。
「……バルクが、討たれただと?」
乾いた声で呟き、報告書を机に叩きつける。
「あの男、腐っても元国境軍の剣士だぞ。しかも、あの傭兵と、もう一人――」
「元帝国騎士団の男、だそうです」
傍らに控える副官が、静かに補足した。
「イヴァルキアの傭兵と、結託しているようで」
「厄介、で済む話か」
バルトレンは、苛立たしげに指先で机を叩いた。
「写しを一枚、裏の筋に流してやった結果がこれだ。……あの男なら、国境の向こうで勝手に嗅ぎ回ってくれると踏んだのだがな。向こうから首が転がり込んできて、それでも獲れんとは」
机の端には、残り九枚の似顔絵の写しが、重ねて置かれている。
騎士団上層部からの封書は、もう灰になった。だが、そこに書かれていた一文は、灰になっても消えない。
――次の報告が"処理済み"でない場合。
「……もう、半端な駒は使わん」
バルトレンは、傍らに置かれていた、別の書類の束を手に取った。
「――この者を使う」
「グレンタ、ですか」
「腕は確かだ。金さえ積めば、どんな依頼でも受ける自由契約の傭兵でな。珍しいスキル持ちを狩ることにかけては、帝国の内でも名が通っている」
バルトレンの口元に、酷薄な笑みが浮かんだ。
九枚の写しの、一番上の一枚を取り上げる。
封筒に、滑り込ませる。
封蝋を、垂らす。
深紅の蝋が、とろりと広がって――似顔絵の男の顔を、封の内側に閉じ込めた。
「届けろ。今夜のうちにだ」




