第11話 闇の中で交わる剣
市場での休日から、三日が経っていた。
「雷夕、ちょっといいか」
城の廊下で声をかけてきたのは、アリシアの副官を務める壮年の兵士だった。手には、封の切られた依頼書を携えている。
「正式な依頼だ。お前とロゼリア、二人に頼みたい」
「珍しいな、あんたが直接来るなんて」
「本来なら正規の討伐隊を出す案件だが……今は、な」
副官は、言葉を濁しながら地図を広げた。国境沿いの守りに兵力を割かれ、国内の治安維持に手が回らない――言われずとも、雷夕にも察しはついた。
「西の街道沿いで、無宿者上がりの盗賊団が暴れている。ここ半月で、商隊が三つやられた。荷を奪われるだけならまだしも、抵抗した御者が斬られた例もある」
「半月で三つ、か。えらい荒稼ぎだな」
「厄介なことに、根城が割れている。廃坑の奥だ。だが、正規の兵を割いて叩きに行く余裕が、今のうちにはない」
副官の声には、隠しきれない苦さが滲んでいた。
「だから、お前たちに頼みたい。傭兵としての正式な依頼だ。報酬もきちんと出す」
「分かった。それなら、話は早い」
雷夕は、差し出された依頼書に目を通しながら頷いた。この数週間、世話になりっぱなしのイヴァルキアだ。正規の依頼という形で恩を返せるなら、悪い話ではない。
工房に戻ってその話をすると、ロゼリアはすぐに支度を始めた。
「西の廃坑ね。あの辺り、地盤が緩いから、下手に暴れると崩落するかもしれないわ」
「そういうのは、現地で考えよう」
「相変わらず行き当たりばったりね、あんたは」
軽口を叩きながらも、ロゼリアは手早く道具箱に得物を詰めていく。
出発の朝、二人は連れ立って城を出た。国境地帯へと向かう道すがら、ロゼリアが地図を広げて印を指差す。
「盗賊のアジト、廃坑の奥、か」
地図に描かれた印を睨みながら、雷夕は小さく息を吐いた。
「無宿者上がりの集団らしいわ。近隣の村を襲って、荷を根こそぎ奪っていくって話」
ロゼリアの声にも、いつもの軽さはなかった。相手は魔物ではない――人間だ。
人間相手の仕事は、性質が違う。
二人が廃坑の入り口に着いたのは、日が完全に落ちた頃だった。
崩れかけた坑道の入り口。奥からは、微かに人の気配。
息を殺す。
足音を殺す。
――その、はずだった。
「――ッ」
闇の中、何かが動いた。
黒い影が、坑道の脇からするりと滑り出てくる。
考えるよりも先に、体が動いていた。
「そこか――!」
剣を抜き、影へと踏み込む。
鋼と鋼がぶつかる音。
――ギィンッ!!
衝撃が、腕を伝って全身に響く。受け止められた。
しかも、寸分の狂いもなく。
「――何者だ」
低く、抑えた声。誰何する響き。
闇に慣れない目で、雷夕はどうにか相手の輪郭を捉えようとした。灰色がかった髪。鋭く整った所作。だが、暗がりでは顔立ちまでは判然としない。
「そっちこそ、名乗ったらどうだ」
「盗賊にしては、口の利き方が丁寧すぎるな」
互いに剣を構えたまま、しばし睨み合いが続いた。
そこへ、駆けつけてきたロゼリアの手にした灯りが、坑道を淡く照らし出す。
「ちょっと、今の音――って、あんた!」
光に浮かび上がった相手の顔を見て、ロゼリアが声を上げた。
「知り合いか、ロゼリア」
「いや、面識はないけど……見覚えがあるのよ。城の近くで、何度か見かけたことがある」
言われて、雷夕も改めて相手を観察した。
整った身のこなし。隙のない構え。剣を握る手つきだけで、並の兵ではないと分かる。
「――俺はリヴァール・クロネン。イヴァルキアに雇われている身だ」
剣を下ろしながら、男は名乗った。
「霧島雷夕。同じく、イヴァルキア絡みの仕事でここに」
「霧島……?」
リヴァールは、記憶を辿るように僅かに眉を寄せたが、結局思い当たらなかったらしい。小さく首を振ると、それ以上は追及しなかった。
「――悪い。城下で聞いたような気がするが、俺はしばらく街を離れていたんでな」
「そりゃ、都合がいいような、悪いような」
互いに剣を鞘に納めると、ようやく張り詰めていた空気が緩んだ。
「――で、お前はここで何をしている」
「盗賊討伐の依頼だ。イヴァルキアから正式に受けた仕事でな。あんたは?」
その問いに、リヴァールは僅かに視線を逸らした。
「――個人的な用件だ」
「個人的、ねえ」
ロゼリアが、探るような目を向ける。リヴァールは、それ以上語る気配を見せなかった。
(何か、抱えてるんだな)
雷夕は、それ以上踏み込まなかった。
訳あり同士が詮索し合わないというのは、傭兵稼業で培った、数少ない美徳の一つだ。
「まあ、いい。だが、盗賊がここにいるのは事実だ。あんたの用件がどうであれ、鉢合わせした以上、放っておくわけにもいかないだろう」
「――巻き込む、と言ってほしいところだが」
リヴァールは肩をすくめながらも、剣の柄に手をかけ直した。
「否とは言わん」
軽口を交わしながらも、三人の間に流れる空気は、いつの間にか刺々しさを失っていた。
*
坑道の奥から、複数の足音と、下卑た笑い声が響いてくる。
「――来るぞ」
リヴァールの声に、雷夕は剣を構え直した。
松明の明かりとともに、盗賊たちが姿を現す。数は、七、八人。誰もが手に手に、粗末だが実用的な武器を携えている。
「おいおい、鼠が三匹紛れ込んでるじゃねえか」
先頭に立つ、体格のいい男が下卑た笑みを浮かべた。
「返り討ちにして、身ぐるみ剥いでやるよ」
「その台詞を言うやつは、すぐに泣いて許しを乞うんだよな」
雷夕が一歩、前に出る。
「まあ今回は――すぐに退場してもらうがな」
その一言を合図に、盗賊たちが雄叫びを上げて突っ込んできた。
「――ラアアアッ!!」
最初の一人が、大振りの斧を振り下ろす。
雷夕はそれを半身で躱し、そのまま懐に飛び込んで柄で鳩尾を打った。
崩れ落ちる、一人目。
「甘い」
リヴァールの剣が、雷夕の脇を掠めるようにして走った。
閃光。
背後に迫っていたもう一人の盗賊が、声もなく崩れ落ちる。
「……助かった」
「礼はいらん。連携が乱れると、俺が困る」
そう言いながらも、リヴァールの太刀筋には一切の無駄がなかった。
初対面とは思えない、並の剣士とは格の違う手並みだと、雷夕は素直に舌を巻いた。
ロゼリアが背後から放った目眩ましの魔道具が、闇の中で白く弾ける。
「今よ!」
視界を奪われた盗賊たちが、次々と崩れていく。
だが――
「――待たせたな、雑魚どもが」
奥から現れたのは、ひときわ体格の大きい男だった。手にした大剣は、他の者たちの得物とは比較にならないほど重量感がある。全身に刻まれた無数の傷跡が、只者ではない来歴を物語っていた。
「その面……"鬼腐れのバルク"か」
リヴァールが、僅かに息を呑んだ。
「知ってるのか」
「噂程度にはな。かつては帝国国境軍でも名の知れた剣士だったはずだ。……何年か前に、軍規違反で除隊になったと聞いたが」
「へえ、俺の武勇伝を知ってる坊やがいるとはな」
バルクと呼ばれた男は、愉快そうに喉を鳴らした。
「除隊なんて上品なもんじゃねえよ。上官をぶった斬って逃げただけだ。……まあ、おかげでこうして、自由気ままにやらせてもらってる」
男は、大剣を軽々と担ぎ上げると、三人を睥睨した。
「三人がかりでも、俺には届かねえよ」
地を蹴る。
速い。図体に見合わない、鋭い踏み込み。
振り下ろされる大剣を、雷夕とリヴァールが同時に受け止めた。
――ズシッ。
両足に、重い衝撃が突き刺さる。
「重いな、こいつ!」
「文句を言ってる暇があるなら――手を貸せ」
「言われなくても!」
大剣が引き戻され、二撃目が横薙ぎに走る。雷夕は身を沈めて躱し、リヴァールが逆側から斬りかかる――が。
「――甘い」
バルクは、体を捻っただけで、その一撃を大剣の腹で受け流した。がら空きになった隙に、返す刀で蹴りを叩き込む。
「ぐっ――!」
リヴァールの体が、坑道の壁まで吹き飛ばされた。
「リヴァール!」
「無事だ……だが、こいつ、見た目通りの馬鹿力じゃない」
立ち上がりながら、リヴァールが忌々しげに呟く。
バルクの太刀筋は、力任せの一撃とはまるで違った。踏み込みの深さ、体重の乗せ方、力を抜くべき瞬間の見極め――全てに、かつて名のある戦場を渡り歩いた者の勘が宿っている。
「元軍人は伊達じゃない、ってか」
「減らず口を叩く元気があるなら、次を凌げよ」
言葉の途中で、バルクの姿が消えた。
――否、消えたように見えるほどの踏み込みだった。
「――ッ!」
雷夕は咄嗟に剣を掲げたが、受け止めきれず、体ごと後方へ押し流される。膝が笑う。腕の感覚が、痺れて薄れていく。
「くそ、ちょっとやそっとじゃ崩れないな……!」
三合、四合と刃を交える。だが、押しているのは明らかにバルクの方だった。数の利はあっても、地力の差がじりじりと二人を追い詰めていく。
ロゼリアが放った牽制の魔道具も、バルクの纏う分厚い闘気に阻まれ、思うような効果を上げられない。
「このままじゃ、押し切られる――!」
ロゼリアの声に、焦りが滲んだ。
(考えろ――このまま力比べを続けても、先に音を上げるのはこっちだ)
雷夕は、荒い息の下で必死に頭を巡らせた。
リヴァールと目が合う。多くを語らずとも、意図は伝わった。
「――一度だけ隙を作る。合わせろ」
「上等だ」
リヴァールが、あえて大きく踏み込み、正面から斬りかかった。バルクの意識が、完全にそちらへ向く。
「悪手だな、小僧」
バルクの大剣が、リヴァールを迎え撃つように振り上げられる。
その一瞬。
「『劣化』ッ!」
叫びとともに、雷夕は頭目の振りかぶった一撃を目に焼き付け、掌に魔力を集束させる。
放たれたのは――刃の重さを吸い込むような、奇妙な粘性を帯びた霧だった。
頭目の大剣が、纏わりつく霧に阻まれ、振りが鈍る。
「――なんだ、これは!?」
「今だ!」
リヴァールの声が響いた瞬間、雷夕は地を蹴っていた。
鈍った一撃の内側へ、迷わず飛び込む。
剣が、確かな手応えとともに、頭目の得物を弾き飛ばした。
「――なっ……!」
バルクの顔に、初めて明確な焦りが走る。得物を失った隙を、リヴァールが見逃すはずもなかった。
「終わりだ」
二方向からの斬撃が、ほぼ同時に叩き込まれる。
バルクは、それでも尚、獣のような反射神経で急所だけは外させたが、両膝から力が抜けるのまでは防げなかった。
崩れ落ちる巨体。
坑道に、束の間の静寂が満ちた。
*
「……にしても、初対面でここまで息が合うとはな」
乱れた呼吸を整えながら、雷夕がそう言うと、リヴァールは剣を鞘に納めながら小さく頷いた。
「悪くはなかった。お前の力、噂通り読めん」
「褒め言葉として受け取っておく」
ロゼリアが、縄で盗賊たちを縛り上げながら、こちらを横目に笑った。
「あら、いい雰囲気じゃない。仲間ができたみたいで」
「仲間、ねえ」
リヴァールは、その言葉に僅かに眉を動かしたが、すぐに視線を坑道の奥へと戻した。
「――俺は、もう少しここに残る。探し物が、まだ終わっていない」
「探し物って、さっきの"個人的な用件"か」
「……そうだ」
それ以上は、何も語らなかった。
だが、その横顔に浮かんだ翳りに、雷夕は何かを感じ取っていた。
(帝国時代の、何か、か)
深くは聞かない。それが、今の距離感なのだろう。
「終わったら、城に顔出せよ。あんたなら、歓迎されるはずだ」
雷夕がそう言うと、リヴァールは意外そうに目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「……考えておく」
*
「さて。せっかくだ、奥まで検めておくか」
ロゼリアの提案で、三人は坑道の最深部へと足を進めた。バルクが陣取っていた一角には、粗末な寝床の他に、木箱がいくつも積み上げられている。
「――これは」
箱の蓋を開けたロゼリアが、小さく息を呑んだ。
中には、金貨の詰まった革袋、宝飾品、上等な織物。どう見ても、盗賊風情が扱うにしては、質の良すぎる品ばかりだった。
「随分と溜め込んでたんだな」
「まあ、頭目があいつだったんだ。……納得はいくな」
リヴァールが、箱の中身を一瞥して呟く。元は名の知れた軍人だ。目利きも、荒稼ぎの手際も、並の無宿者とは一線を画していたのだろう。
「これ、依頼主に届ければ、報酬とは別に礼金も出るかもしれないわね」
ロゼリアが、商人らしい算段を早くも巡らせ始めていた。
その時。
「――待って。あれ」
ロゼリアが、坑道のさらに奥、鉄格子の嵌まった小部屋を指差した。
薄暗い格子の向こうに、うずくまる人影がいくつも見える。
「……人か!?」
雷夕は駆け寄り、格子越しに声をかけた。
「大丈夫か! 今、開ける!」
力任せに錠を叩き壊すと、中から数人の男女がおずおずと顔を上げた。誰もが痩せ細り、怯えた目をしている。
「あ、あんたたちは……」
「イヴァルキアから来た。もう大丈夫だ」
震える声で礼を告げる彼らは、どうやら、この数週間で被害に遭った商隊の生き残りらしかった。奴隷として売り払われる寸前だったのか、手足には縄の痕が生々しく残っている。
「商隊が三つやられた、って話だったな」
雷夕は、彼らの姿を見つめながら、静かに拳を握った。
荷を奪われるだけでは済まなかった被害の実態が、ここに来て初めて、はっきりと形を持った。
「みんな、動けるか? 外まで連れていく」
リヴァールが、衰弱した一人を背負いながら、静かに言った。
*
生存者たちを坑道の外へ送り出してから、雷夕は、縛り上げた頭目の前に戻った。
バルクは、坑道の壁に背を預けて座り込んでいた。両膝から流れた血が、足元の土を黒く濡らしている。それでも、その目だけは、まだぎらぎらと光っていた。
「……縄、きつすぎたか」
「てめえに心配される筋合いはねえよ」
バルクは、血の混じった唾を吐いた。
それから、雷夕の顔を、下からじろじろと眺め回した。
値踏みするような目。
――どこかで、見た目だ。
「くっ……くくっ」
喉の奥で、バルクが笑いはじめた。
「何がおかしい」
「おかしいさ。笑うしかねえだろう。――探す手間が省けたと思ったら、向こうから首が歩いてきやがったんだからな」
雷夕の背筋を、冷たいものが這い上がった。
隣で、リヴァールが、剣の柄に手をかける。
「どういう意味だ」
「胸の、内側だ」
バルクが、顎で自分の胸甲を示した。
「見てみな。てめえの面だよ」
雷夕は、膝をついて、バルクの胸甲の留め紐を解いた。
内側に、折り畳まれた紙が一枚、挟み込まれていた。汗と脂を吸って、端がよれている。
広げた。
木炭で、走り描きされた、若い男の顔だった。
どこか気の抜けた、締まりのない目元。
――自分の、顔だった。
「……これ」
ロゼリアが、灯りを近づけて、息を呑んだ。
「国境の向こうの、表に出ねえ仕事の筋から回ってきた」
バルクは、愉快そうに喉を鳴らした。
「この面の傭兵を片付けたら、帝国のお偉いさんが、たんまり弾んでくれるんだとよ。生け捕りでも、死体でも、構わねえってな」
紙を持つ指先が、冷えていく。
国境の戦場。白い光の向こうで、こちらを値踏みしていた、あの目。
――バルトレン・ガイアー。その名を、忘れるな。
「……あんたが、これを」
「俺だけだと思うか?」
バルクが、にい、と、血に濡れた歯を剥き出しにした。
「――その紙が、何枚刷られたと思う?」




