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全速力 前編

「それで、対価は?」

「はい、もちろんここにあります」

「・・・よし分かった。ついて来な」


 薄暗い馬小屋の中で、猿はメラニアから目を離さずに、警吏と魔石商店の老人の取引を聞いていた。基本的に彼らの逃し屋商売はこういった裾下の賄賂で事が進む。


 メラニアは最初に運ばれている時よりも大人しくなったが、いまだ反撃の好機を窺っている。あまりに暴れたので、布切れで作った即席の猿ぐつわと目隠しをつけられており、自分が今キンブルグのどこにいるのかも分からなかった。シャムランの安否も分からないので不安ではあったが、常日頃の鍛錬のおかげで、平常心を失う事はなかった。


「ほら、立て」猿が後ろ手に縛ったメラニアの腕を掴んで立ち上がらせる。


 しばらく歩くと準備の整った小型の馬車が用意されていた。警吏は案内が終わると早く行ってくれと言わんばかりに目で訴えかけてその場を去った。


「ありがとな、ジジイ。支払いはツケでいいか?」

「わしゃそういうことは知らんでな、妻がええ言うんならそれでええんじゃろ」


 そう言い残して老人もまたトボトボと家路に着いた。


「やっとここからおさらばできるな」


 2人きりになった猿は独り言を言うようにメラニアに語りかけた。


「安心しな、ちゃんと用が済んだら解放してやる。無抵抗の奴の顔面を蹴り上げる趣味はねぇから、大人しくしとけよ」


 猿はメラニアを担いで後ろに乗せ、布で覆って外から彼女を見えないようにすると、席に座って御者台に座ろうとした。すると彼はあることに気がついた。


「お前、まさかティレンか?」


 目の前に佇む馬に呼びかけると、反応するように馬車に繋がれた片方が振り向いた。


「ハハっ、マジか?こんなとこにいたのかよ、嬉しいぜ。ていうかバルカイ、お前もいるのか。悪いな、お前の主人はくたばっちまった。おいガキ、この街は頭のトンでる奴ばっかだが、しっかり馬を大切にするいい奴もいるんだな、気に入ったよ。今度また遊びに来るぜ」


 上機嫌で馬に合図を出し、馬車は街へ駆け出した。




 キンブルグは街壁に囲まれており、東西南北それぞれに門がある。猿は今キンブルグ内の北東から出発し、東門に向かうところだ。暗殺者はそこからシオロへ向かうはずだと読んで、東区に乱立する建物の屋根に待機していた。


「はぁ・・・・・はぁ・・・・・・ほんとに来るの・・・・・・・?」

「本当に彼がシオロに行くのなら、東門から行くのが手っ取り早い。私を撒いたと思っているのならここに来るはず」

「で、ここからどうするの?弓もボウガンもないけど」

「飛び降りる」

「あぁなるほ、ちょい待ち?」

「? あなたはできないの?」

「いやそりゃそうだよ!なんで屋根から地面に飛べて当たり前みたいに話してるのさ!」

「触媒を使えばできるから、てっきりあなたも出来るかと。服装からして魔術師だとお見受けするけど・・・」

「別にあたしは至って平和主義の魔術師なんで、そんな使い方知らないよ!」

「分かった。飛ぶ時は私があなたを担いで魔術を使う」

「えぇ・・・」


 しばらくすると、街の中心部から勢いよく馬車が走ってくるのが暗殺者の目に入った。


「来たぞ」


 シャムランは暗殺者に望遠鏡を手渡されたので彼女が指す方を覗いてみると、見覚えのある馬が見えた。その御者台には布で顔を隠しているが、額に靴底の形のような跡がくっきりと残った男が手綱を握っていた。


「あいつだ!でもメラニアがいない」

「捕まえて話を聞けばいい、飛ぶよ」


 暗殺者は猫を運ぶようにシャムランを小脇に担ぎ上げた。


「うわぁ!ちょっと待ってほんとにやるの!?」

「大丈夫、信じて」


 助走をつけるため後ろに数歩下がり、タイミングを合わせる。暗殺者はポケットから触媒を取り出し、なるべく猿に気づかれないよう身を屈めている。シャムランは外套のフードを目深に被り、なるべく地面を視界に入れないようにした。馬車が次第に近づいてくる。車輪のけたたましく回る音が聞こえてきた時、暗殺者は踏み出す。大股に駆け出し、屋根の縁ギリギリで飛び上がった。


 落下してすぐ、シャムランは突然体が引っ張り上げられたかのような体感を味わった。下から突風が巻き起こり、急激に減速した。


 目の前に馬車が迫り、ブレーキも間に合わず暗殺者と猿が衝突しようとするその時、猿の持ち前の反射神経が功を奏する。咄嗟に後ろの荷車へ転がり、暗殺者の短剣を間一髪で交わした。暗殺者はシャムランを御者台に座らせて猿の方へ近づいた。


「勘弁してくれよ!」


 猿も短剣を抜き、暗殺者に襲いかかる。ガタゴトと走る狭い荷車にも関わらず、二人は物ともせず剣を交える。


 二人の腕はほぼ互角で、不安定な足場も相まって膠着した戦いだったが、暗殺者が布に包まれていたメラニアによってつまづいたのを猿は見逃さず、体当たりで荷車から突き落とした。


 と思ったのも束の間、暗殺者の左手に握られていた触媒が一瞬の閃光を発すると、風に持ち上げられるように荷車に飛び戻り、暗殺者は油断した猿の脇腹に蹴りを入れた。馬車から突き飛ばす程の威力ではなかったが、姿勢を崩すのに十分だった。暗殺者が間髪入れずに短剣を突き出して飛び込む。しかし猿はしゃがんで短剣を避け、メラニアを覆っていた布を掴み、暗殺者の眼前に広げると、布越しに短剣を突き刺した。


 猿は手応えを感じた。短剣を抜き、暗殺者を蹴り飛ばすと、彼女はさっきのように荷車に戻ることなく、布に絡めとられてゴロゴロと道端に転がっていった。


「やっとか・・・しつこかったな・・・」


 御者台に座っていたシャムランは呆気に取られたまま手綱を握っていた。猿もやっと彼女に気づいたが、焦ることなくメラニアを担ぎ上げた。


「お前、あの時いたガキか。このままシオロまで飛ばせ」


 メラニアの頬に短剣が当てられた。彼女は見えない目の前にいるのがシャムランだということに今気づいた。シャムランはこっそり触媒を詰め込んだ小袋に手を入れようとしたが、それに気づいた猿はメラニアの首に剣先を当てた。


「妙な手品はしないほうがいいぞ」


 シャムランは小袋から手を離し、猿に見えるように上げた。このまま走ればもう少しで門に着く。街壁付近にいる警備兵が気づいてくれるはずだが、メラニアが人質にされているせいで彼らは身動きが取れない。キンブルグから抜けた後で彼らが何かしら動いてくれるはずだが、後手に回ればきっと彼には追いつかない。今ここで手綱を引っ張って馬を止めたらメラニアは殺されてしまう。彼女は必死に案を考えるがこの不利な状況では頭もまともに回らない。


 打つ手がない、彼女は諦めかけていた。


 次第に街壁が迫ってくる。もはや猶予はない。目の前には猪突猛進する馬車を避ける一般人と、刻一刻と迫ってくる門と、腕から血を垂らして待ち構える暗殺者しかいない。


「ん?」


 シャムランが二度見すると、暗殺者は風の力を借りて瞬く間に猿の懐へ飛び込み、彼の左肩に短剣を突き刺した。あまりの速さと突拍子のなさに反応が遅れ、彼は避けることができなかった。担いでいたメラニアを落として倒れ込み、暗殺者に馬乗りで体勢を崩された猿は、振り下ろされる短剣を自分の剣で危うくも捌き、痛む左腕を無理矢理動かして彼女の首を掴んで。暗殺者は首を掴まれた際に短剣を手放してしまったので、素手で抵抗しようとするが、腕の長さが猿と比べて足りないせいで、顔面を殴ろうとしても鼻先を掠めることしかできない。彼の左腕を殴るが、猿の顔が歪むばかりで暗殺者の首を絞める手は弛まない。


「ティレン!バルカイ!止まるな!」猿が叫ぶと、二頭の馬はそれに呼応するように加速する。


 二人が互角の取っ組み合いをするうちに、メラニアの目隠しが解け、やっと視界が開けた。周りの状況を確認すると、とうとう門まで辿り着いていた。門は開かれたままで、警備兵も流石にこの騒ぎに気付いたのか、門を下ろそうとするが間に合いそうにない。


 暗殺者が猿の動きを食い止めている今が好機だとシャムランは思い、手綱を引っ張って馬を止めようとした。しかし馬は一向に止まる気配がない。右へ左へ引っ張っても同じだった。


「そりゃご主人様のピンチだけどさぁ!止まってよぉ!」


 勢いを緩めることなく、遂に門を突破した。

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