何者
「悪いババァ!少し遅れた!」
彼がそう言った後、ほんの僅かの間、その場にいた全員が時でも止められたかのように静止した。
老婆は誰なのか分からない困惑によって、シャムランの場合はさっきまでの緊張が解けるような第一声に気を取られて、メラニアの場合、先日懲らしめたはずの盗賊との再会に驚いた為。その驚きは猿も同様だった。
その静止した空間の中で真っ先に動き出したのはメラニアと猿だった。彼女は瞬く間もなく"猿"に接近し、彼の顔めがけて蹴り上げる。しかし"猿"はその足を掴みとり、バランスを崩した彼女を倒した後、余った手で彼女の顔を床に押さえつけた。
遅れてシャムランが加勢しようとしたが、踏み出そうとした足が石造りの床にめり込んでいるせいで前に進めなかった。彼女は幻覚かと思ったが、そのまま足が床に吸い込まれ下半身丸ごと床に飲み込まれてしまった。腰あたりで止まったおかげで腕は使えるので上半身を精一杯ねじり抜け出そうとするも、ピクリとも動かない。彼女は取っ組み合っていた2人を見てみたが、彼らも同様だった。メラニアは顔の表面と手足以外を、"猿"は膝辺りまで床に飲み込まれていた。
「あぁ思い出した、久しぶりだねぇ、猿」
シャムランが体をよじって後ろを向くと、いつの間にか持っていた杖を床に差し込んだ老婆が何もないかのように佇んでいた。杖の先端についた魔石が反応して橙色に薄く光り、老婆だけが床に飲み込まれずにいた。
「手を離しんさい、もう大丈夫だから」
猿は指示通り手を離して立ち上がろうとすると、床に埋まっていた足を砂から引き抜くように出した。
「なんでこいつらが・・・」猿はまだ困惑が抜けきらずにそう呟いた。
「こっちのセリフです!というかなんで彼に協力するんです、お婆さん!」
「あたしが聞きたいよ、一体あんたらどういう関係なんだい?というかその間抜けヅラの傷はどうした?」
「色々あってこのガキ2人にとっちめられたんだ。なんとか逃げてきたがな」
「あんたも鈍ったね、しかも事前に連絡もよこさず日中に顔出すなんて」
「追っ手を撒いてたんだ。今回は何かおかしい、手を貸してくれ」
「どこまで行くんだい?」
「シオロに戻る。便はあるか?」
「1時間で手配するよ」
老婆は部屋の奥に向かい階段の奥に叫んだ
「おいあんたぁ!仕事が入ったよぉ!シオロ行き一丁ぉ!」
ほぉい、と2階から男の声がした。彼女の夫の声だ。
シャムランは老婆がすれ違う時に隙を見て杖を奪おうとしたが、あえなく杖を高く持ち上げられたせいで腕をがむしゃらに動かすことしかできなかった。
「で、どうするんだい?始末はそっちでしてくれた方がありがたいけど」
「こっちのガキはフォイル家の娘だから人質に使える。そっちはそのまま埋めてもらって構わない」
「埋めっ・・・!?」
「だからうちは掃除屋じゃないっての・・・ほい、縄」
老婆は埃の被った縄を猿に投げ渡し、シャムランを処分する方法を考えている様子で椅子に座り直し彼女を見つめた。猿は見事な早業でメラニアの手足を縛り、老婆に目配せすると、さっきまで身動きが取れなかったのが嘘かのようにするりと地面から引っ張り上げられ、猿に担がれた。メラニアはもちろん暴れて抵抗したが、猿は危うい様子もなく奥の部屋まで運んで行った。
「ところでババァ、鍔の尖った変な帽子を被った殺し屋について何か知らねぇか?」扉を開ける前に猿は尋ねた。
「いや、知らんね。そいつに追っかけられてるのかい?」
「仲間がそいつに3人共殺された。わざわざ独房の中でだ。離反したはずの俺をわざわざ刺客を送り込んでまで殺すなんて、ロホーナンぐらいしかいねぇが、あいつらしくねぇと思ってな」
「だからシオロね、でもいいのかい?本当に刺客を雇ったのがロホーナンなら、わざわざ死地に赴くようなものだよ」
「あいつとは後腐れなくいたいからな」
そう言って彼は部屋の中に入った。店に残されたのはシャムランと老婆の2人だけになり、シャムランは腕に全力をこめて床から抜け出そうとしていた。
「無駄だよ、分かってるだろう?あんたがくたびれる前に少し話をしようじゃないか」
「話すっ・・・ことなんてっ・・・フッないとっ・・・思い・・・ますけ・・・フンッ・・・どぉ!」
「あんた、父親に会いたくはないのかい?」
「今までっ・・・顔も見せっなかった人にっ・・・興味なんかっ・・・!」
「そうかそうか。少し老人の戯言に付き合ってくれないかい?」
「嫌って・・・言ってもっ・・・フッどうせ・・・話すんでしょっ!」
「さっき話してたダングランについてだが、どうも気になるんだよ。あいつはいい奴だった。もうあいつを知ってる人は私以外生きとらんし、せめてどう死んだかくらいは知っておきたいんだよ。あんた、本当に何も知らんのかい?」
「知らないん・・・だってばぁ!」
「残念だよ、その肌の色、あいつの孫と会えたと思って嬉しかったのに」
そう言い終わって老婆が椅子に戻ると、体を押し上げようとしていたシャムランの手が急に地面に飲み込まれ、次第に腹まで地面に埋まってしまった。止まることなくどんどん体が飲み込まれていくシャムランを眺めていた老婆は、その哀れな様を眺めるのに夢中で、新たなお客に気づくのが遅れてしまった。
いつからいたのか定かではないが、彼女は店の入り口に突っ立っていた。真っ黒な装束に鍔の尖った帽子、老婆が気づかないはずもなかった。さっき猿から聞いた特徴にピッタリと当てはまる風貌を認識した途端、杖を地面に打ち鳴らした。
暗殺者が立つ床の周りから即座に無数の棘が伸び、天井に突き刺さる。装束が針に巻き込まれたので殺せたと思ったが、暗殺者は最小限の動きで棘の合間を縫うように躱し、装束を脱ぎ捨ててシャムランの頭を跨ぎ、老婆に襲いかかる。懐から抜いた短剣が老婆の喉に触れるまであと僅かといったタイミングで、シャムランが叫んだ。
「まだ殺さないで!」
暗殺者は一瞬戸惑ったが、彼女の叫びを聞き入れ、杖だけ奪って先程の老婆の様に杖を地面にこづいた。すると地面から突き出た針が床に引っ込み、身動き一つ取れなかったシャムランも自力で腕を出せるようになった。
「ふぅ・・・ありがと。使えるんだ、魔術」
シャムランが全身を床から抜き終わっても殺し屋は答えず、もう一度杖を打ち、老婆を椅子ごと沈ませた。首から下が見えなくなるところで留まり、老婆は束の間の安堵を享受する暇もなく2人に見下ろされていた。
この致命的な状況でも眉ひとつ動かさない老婆にまず暗殺者が尋ねた。
「ここに男が来なかったか?」
お婆さんが答える前にシャムランが口を開いた。
「さっきの人?そうだ!まだ間に・・・」
言い終わる前に扉を勢いよく開けたが、そこはもう既にもぬけの殻だった。扉の奥はごく普通の家屋と同じ作りで、まるでしばらく誰もいなかったかのように静穏としていた。
「合わなかった・・・いや!さっきお婆さんがシオロ行きの便を用意するって!」
「本当か?」殺し屋はお婆さんにしゃがみ込んでまた尋ねた。老婆はピクリとも目を動かさない。
「そうだ!2階にもう1人いたよ!」
暗殺者はすぐに階段を登ったが、2階も同様に誰もいなかった。彼女は一階に戻り、再び老婆に詰め寄った。
「どこに手配した?」
「神に聞きな」
「逃し屋の命は軽いぞ」殺し屋はまた短剣を老婆の喉に当てがった。
「こんなんでベラベラ喋っちゃ、うちの商売に傷がついちまう」
「あの世でも商うつもりか?」
「こんな事に時間を使ってる暇はないよ!」シャムランが割って入った。
「それにさっき手配したばっかだから今から走ればまだ間に合うかも!」
「あてもないのにどこへ走るんだい、お嬢さん?」
「うるっさいなぁ!ていうかあたしのお守り返してよ!」
「それは杖を持ってるこいつに言ってくれないかい?」老婆が殺し屋の方に目配せする。
殺し屋はシャムランの鬼気迫る目に応えて、杖をこづいて手だけ出るようにした。老婆の右手に握られていたお守りをシャムランが取ろうとするが、老婆はお守りを握りしめ、頑なに離そうとしない。
「ちょっと、なんで──」
「あんたは知るべきだ。自分が何者なのかを」
小声でそう囁くと、老婆は素直に右手を開いた。
「は・・・?どういう──」
「ところで、あなたはどうする?」困惑するシャムランに殺し屋が口を挟む。
「・・・そりゃ行くよ!友達が攫われたんだもん!」
「友達?」
「あいつに攫われたの!人質にされて!ウチは警吏に通報するならあなたはあいつを───」
「駄目。奴らはどの道見つけられない。それに私も追われる身だ。」
「あっそうか、いやでもあなたも手配犯・・・ん〜!いいや!分かった!行こう!」
シャムランは迷いを振り切るように頭を振り、棚にある使えそうな魔石を手当たり次第に袋の中に突っ込んだ。
「ちょっとお嬢さん、そりゃうちの商品──」
「これでおあいこ!じゃあねおばさん!二度と来ないから、こんな店!」
「・・・まいど」
シャムランは店を出る前に、殺し屋の方を向いて尋ねた。
「ところでその、あなた名前は?ウチはシャムラン」
「必要ない」
「そう、じゃ帽子ちゃんで」
「・・・そう呼びたいならそれでいい」
店から飛び出して、シャムランは旅なんてするんじゃたかったとうっすら思った。




