全速力 後編
暴走する二頭の馬は止まる気配を見せず、ただひたすら東へ突き進む。キンブルグの街壁が遠のいていくまま、いまだに猿と暗殺者の戦いに決着はつかない。
「なぁお前、ロホーナンに雇われたんだろ?俺が直接話をつけに行くから、一旦引き分けで手を打たねぇか?」
首を掴まれている暗殺者は当然ながら、まともに話すこともできない。しかし抵抗する手は力を緩めず、猿の手を喉から剥がそうとする。
「なぁ、別にお互い恨みはねぇだろ?三回瞬きしたら離してやるよ」
暗殺者は唾を猿に吐き捨てた。猿は顔に唾を滴らせて、馬乗りになっていた暗殺者を押し倒し、体勢を逆転させる。
「じゃあしょうがねぇ、お前の首を手土産に行くしかねぇか!」
彼は膝で暗殺者の腕を抑え、両手を喉に伸ばした。彼女は膝で猿の背中を何度も蹴るが、全く効かない。メラニアも加勢しようとするが、身を捩らせることしかできない。その様子を見た暗殺者が、足で短剣を蹴飛ばし、メラニアの目の前へ転がした。猿はまだ気付いていない。すぐに背中を向け背中に縛られた手で掴もうとするが、中々掴めない。短剣を掴むのに手間取っている間にも暗殺者の意識は次第に遠のいていく。勝ちを確信した猿が更に握りしめる手を強めた時、一本の矢が耳をかすめた。
矢は荷車に突き刺さっている。後ろを確認すると、キンブルグの騎兵が馬車を追いかけていた。続いて2本、3本と矢が飛んでくるが、まだ距離が離れている為か矢の狙いは正確ではない。しかし着実に騎兵との距離は縮まりつつある。
「おいガキ、そのまま正面に森が見えるだろ、そのまま突っ込め!」
「言われなくてもこの子たちはそのつもりらしいよ!?」シャムランは手綱を後ろに引っ張りつつ叫んだ。
森までそう遠くないが、まだ離れている。騎兵の矢の精度も次第に上がり、一度はシャムランの頭まで掠めた。着実に追いつかれてくる。猿が矢に気を取られて手を緩めたのを暗殺者は見逃さず、手首に噛み付いた。そのまま腕を引っ張り出し、猿の股間に殴打を喰らわせる。これには彼も流石に耐えられず、その隙をつかれてなされるがままに組み伏せられてしまった。ちょうどその時メラニアも腕の縄を切り離し、猿轡を解いた。
「っはぁ・・・!ありがとうございます。ところであなたは?」
「名乗る必要はない。それより───」
一閃が、暗殺者の背に飛ぶ。
運悪く矢が彼女を襲い、肩に突き刺さった。
身悶えていた猿はその隙を見逃さず、力任せに起き上がり、彼女を荷車から突き飛ばした。魔術の発動が間に合わず、あと僅かで荷車に手が触れそうになるが、そのまま野原に転げ落ちてしまった。
「あぁ・・・クソっ!もう二度とくんなよ!」
股間を押さえながら暗殺者を睨みつけた後、メラニアの方へ目を向ける。一瞬の間が二人を縛り付け、林の影が二人を覆うのと同時に、彼らは動き出した
メラニアが足の縄を即座に切り離し、攻勢に出る。猿が足元を狙われると読んで軽いステップで後ろに退がると、食らいつくようにメラニアはそのまま猿の懐へ飛び込み、両手で短剣を握りしめて腹を突こうとする。猿は受け流して彼女の腕を抱えるが、メラニアは掴まれた腕を支えにして両足で蹴りをくらわせる。彼は少しよろめいたが、依然と腕は抱えたままだ。頭突きを喰らわそうとするとすると、背後から騎兵の矢が飛んできて、彼の肩をかすめる。猿は周囲を確認して、目視できる騎兵は3人のみだと把握し、メラニアを振り回して矢を撃たせまいとし、なんとか時間を稼ごうとした。
騎兵の一人が馬車の真横まで迫り、御者台にいるシャムランと会話できるほどの距離まで近づくと、弓を引きながら彼女に叫んだ。
「今すぐ馬を止めろ!」
「止めたいんですけど、馬が言うこと聞かなくて!」
「ふざけたこと吐かすな!今すぐ止めれば命は取らん!」
「はい!?待ってください!あたしはメラニアを助けようとしてて──!」
「5秒以内に止めなければ馬を射殺す!早く止めろ!」
混乱するシャムランは、自分が誘拐犯の一味だと間違われている事に気づいた。考えてみれば、猿に抵抗していたのは先程落ちた暗殺者だけで、門を通り過ぎる際にパッと見ただけでシャムランもまた暗殺者の仲間だと気づかないのも無理はないと察した。むしろ今この状況なら、このまま馬を殺して無理やり止めてもらって、後で事情を聞いてもらった方がいいかもとシャムランは考えた。彼女が両手を上げながら、騎兵が5秒数えるのを待っていると、猿は短剣を騎兵に投げつけ、脇腹に命中させた。意識外からの一撃をくらった騎兵はよろめきつつも猿の方へ向き直り、矢を放とうとしたが、弦を引き絞る手に力が入らなくなったせいで手を誤って離してしまい、矢は木々の枝をかき分けて見当違いの方へ飛んでしまった。
猿はメラニアの短剣をぶん取ってもう一度投げつけようとしたが、騎兵が大人しく後退していくのを見て、防衛にまわった。
「ティレン、バルカイ!左に行け!」雑多な獣道が分岐に迫ると、猿はそう叫んだ。
馬たちは迷う事なく息の合ったタイミングで左に曲がり、より荒い道のりに向かって進んだ。猿は荷車の隅へ移動し、メラニアを後ろから羽交い締めにしてしゃがむことで、残りの騎兵から射線を彼女で遮る。先程確認した2人の騎兵の後ろから、4、5人が続いて迫っている。馬車の前方は次第に明るくなり、森を抜けつつある。
「ガキ!このまま行けば村がある!そこまで行けばお前も助かるぜ!」
「いや別にあたしはあんたの仲間じゃないし!なんなら今ここであんた殺してあいつらにその首よこしてやってもいいけど!?」
「やってみろクソガキ!お前も矢避けの肉盾にしてやるよ!」
「うっさいジジイ!そのクソガキに一度捕まえられた癖にみっともない!」
「2人とも舌噛む前に黙ってください!ところで、まだ他に仲間がいたんですか?」
「厳密に言うと仲間じゃねぇが、あそこには俺に貸しがある連中がいる!なんとかしてくれるさ!」
森を抜けると、猿の言っていた通り、遠くに村らしきものが見えてきた。しかし森から村の間には矢を遮るものが何もない。馬たちも全速力で走り続けていたせいか、疲労が蓄積してキンブルグから出た時よりも勢いは衰えている。次第に騎兵に追いつかれ、馬車は3人の騎兵に囲まれた。飛び道具は短剣一本と、荷車に元々あった棒切れ2本。流石にこれでは太刀打ちできないと猿は考え、後ろの御者台に手を回し、シャムランの小袋に手を突っ込んだ。
「ちょっと!」
「少し借りるぞ、2、3個だけだ」
彼は衣服の内ポケットから投石紐を取り出した。ポケットに入れてても外側から目立たない為、装備を全て没収したメラニアでも気づかなかったものだ。彼はメラニアを床に押し付け、触媒を紐に当てがい軽快に回し始めた。
「いやあんたどうせ魔術使えないでしょ、何する気!?」
「俺にだって使える魔術はあるんだよ、見てな!」
投石紐の回転が最高潮に達した時、猿は腕をしならせて触媒を投げ飛ばした。普通の石と変わらない重さの触媒を頭にくらった騎兵は、一瞬硬直した後に落馬して平原に転げ落ちてしまった。
「何が魔術さ!勿体無いじゃん!」
「魔術でも物理でも、頭に重い一撃くらえば人はくたばるんだよ!」
その後も続いて2投、3投と続き、全て命中させてなんとか後続を食い止めていた。事前に魔石商店で触媒をかき集めていたおかげで予備はまだ十分にある。このまま無事村まで辿り着ける調子だった。追跡する騎兵の数も次第に減っていき、残り3人にまで残ったところで、シャムランは村から何者かが走ってくるのが見えた。
「誰か来たよ!あれがそのお仲間?」
「おう!やっと来たか!!これでなんぐうぇっ」
突然、猿が倒れ込んだ。彼の喉には紐が絡まっており、両端に重りが仕込まれていた。シャムランが慌てて正面を向くと、また同じものが空から降ってきて、真横に落ちてきた。増援の方をよく見ると、また一つ、二つと何者かが投げている様子が目に入った。主人の異常を察知した馬は暴れてしまい、歩調が合わなくなり始めた。後ろの騎兵たちも村から襲いかかる投擲物によって馬の足が絡め取られてしまい、派手に馬から転げ落ちていた。
事態を把握できないシャムランは馬を落ち着かせる為、彼らを宥めて一度停止させた。近づいてくる村人たちに対してピンと両手をあげて降伏の姿勢をとると、彼らも攻撃の手を止めて、次第に近づいてきた。馬は彼らに威嚇して近寄らせまいとしたが、それを無視して村人の1人がシャムランに近づいてくる。村人といっても、伸ばしっ放しの髭に所々破れた衣服のせいで、盗賊と言っても誰も疑わないような見た目だった。
「あんたら誰だ?」
「あ、あの、後ろでくたばってる人が、この村に行けば助かるって・・・」
「どいつだ・・・ん?こいつ・・・猿じゃねぇか!おいお前ら!」
無精髭の男が合図すると、彼らはシャムランとメラニアたちを拘束して馬車から引きずり出し、ついでに猿を無造作に降ろして担ぎ上げた。
「いや待って待って!あたしらこいつの仲間じゃないって!」
「どう言う事ですか!さっき助けてくれるって──」
「事情があんだよ。安心しな、こいつら意外と礼儀正ぶぇっ」猿を担ぎ上げた村人の1人から罵声がわりの拳を喰らって黙らされた。
「黙ってついて来い、後で言い分は聞いてやる。あそこの馬も持ってけ」
そのまま彼ら3人と、追跡に来ていた騎兵3人は村に連行されてしまった。
肝心の猿は臆する様子もなく、無精髭の男から向けられる侮蔑を込めた目線に不敵な笑みを浮かべた。




