第3章-1 新車発表会から10日後
86-S6の新車発表会から10日が過ぎた。
確定したオーダーが購入・リース合計で約1,000、SNS等での反応も良く、1年目で5,000台を超えるオーダーが入りそうとの営業経験者の読みである。
特に海外からの賛美の声が強いのが特徴であった。
さもありなん、と紳士も思う。
彼も米国に住んだ経験があるが、86-S6やRX-zzのような車は、あの広大な大陸で一日700マイルを走破するアメリカ人に好まれるだろうと思った。
86-S6だとサイズが米国人の好みに対して小さすぎるので、買った瞬間に後部座席が外されているかもしれないが。
RX-zzなら、そのまま4人乗りで行けるだろう。
15時55分。
来客が到着したので、会議室兼の応接室に案内したとの連絡があった。
短く礼を述べて、応接室に移動する。
「お久しぶりです」
旧知のその男は、コーヒーカップをソーサーに置いて言った。
応接室のぼろさに驚いたのだとしも、表情には表れていなかった。
コーヒーはいい豆を使っているので、そちらには文句はなかったと思いたい。
「86-S6の引き合いはいかがですか?好調でしょう」
旧知ではあるが、さほど深く関係してこなかった、同じ業界の大立者は話を継いだ。
「おかげさまで、10日で購入希望数が年間生産目標を超えましたよ・・・どれだけ作れるのか、が悩みですが」
紳士は、にこやかに回答した。
しばらくの間、挨拶と業界の噂話が交換される。
敵ではないが味方でもない相手との、車間距離を慎重に図るような社交的な会話の向こうに、紳士は来客の意向をつかもうと自然に努力している自分に気づき、自らを嘲笑した。
沁みついた癖は、簡単には修正できないのだった。
大立者は言った。「当方の大先輩方からは、大目玉ですよ・・・あの車は、うちで出すべきだった、とえらい剣幕で」
「もしそちらから販売されていたとしたら・・・車名はS1300とかになったんでしょうか?」
「それとも、CR-SXとか、あるいばビートSとか、だったかもしれませんね。もっとも、うちは直列6気筒エンジンとは縁が薄かったですが」
「御社は・・・イメージとしては4気筒、高回転、という感じはしますね」
大立者は小さく笑った。
「そうですね。少なくとも私が現役の頃はそうでした」
「直列6気筒はお嫌いですか?」
「いえ」即答だった。
「嫌いというより、縁がありませんでした」
少し間を置く。
「もっとも、1300ccで直列6気筒というのは・・・」
彼は苦笑した。
「あえて言葉を飾らずに、本音を申し上げます。設計責任者は正気だったんですか?」
紳士は笑った。噴き出した、と言ってよい。
大立者の反応は、彼が現役のころだったら同じことを言っただろうと思わされ、素直におかしかった。
「たぶん正気とは言えませんね。最終的に承認した、私が言える立場ではありませんが。合理性で考えたら、4気筒か、3気筒でもいいくらいです。」
「でしょうね」大立者はうなずいた。「私なら、即却下します。製品会議で提案されたら、5分も話を聞きませんな、きっと。1気筒あたり200cc強、フリクションもコストも増える。合理的な理由はどこにもありません」
「まあ、そうでしょうね・・・まともな会社なら」紳士は悠然という。自社のことがまともでないと言っているのに等しいが、それはある意味、MTエンヂニアリングという会社の真実だった。
「その代わり・・・」大立者は語を切った。「その代わり、こんな完成車を持ってこられたら話は別です。買います」
「もしかして、もうウイッシュリストに?」
大立者は、少しだけばつが悪そうに、頷いた。「実は発表会の翌日に」
「早いですね。ありがとうございます」
「社長経験者には特権がありまして」
「ほう」
「どうしても欲しい車は、コネを総動員できるんです。研究用とか比較用とか、屁理屈をつけて・・・実際、この電気自動車の時代に、面白い試みだと思っているんですよ」
大立者はコーヒーカップを置いた。
「我々は二十年以上かけて電動化を進めてきました」
「はい」
「ですから、その価値も限界も、内燃機関が取って代わられた理由も、知っているつもりです」
「そうですね。一番のターニングポイントは、東日本大震災だったと思います。あのインシデントが、社会の雰囲気を一変させてしまった、と言っていいでしょう」
東日本大震災。2万名を超える死者・行方不明者を出した、日本の歴史上でも最大級の地震。
その直後に、日本郵便は持てる全BEVを被災地区に回してV2Gで被災者を支援、他地区はICE車だけでなんとか済ませる運用で、被災地に対して絶大な支援を実施したのだった。郵便の配達に若干の遅延が生じるケースもあったが、文句をつけた国民は、仮にいたとしてもその声は一切聞こえてこなかった。
原子力発電所も全基が冷温停止に成功し、日本の原子力技術の高さと安全性を国際的に印象付けた。
ある研究では、その数年前に実施されていた外部電源の冗長化がなされていなかったとしたら、複数の原子力発電所に炉心溶融が起こった可能性がある、としている。
しかし、現実には、ベースロード電源とBEV・V2Gの組み合わせの有用さが、国際的に実証されたのであった。
「その結果として世界は、原子力発電とBEVの時代に進みました」
大立者はそう言った。
「後から振り返れば当然に見えます。しかし当時、BEVが急速に主流になると思っていた人は少なかった。電池などの要素技術、インフラ、すべてが揃うとは考えにくかったですからね」
「その少数が、NRMアライアンスでしたね・・・あれ以降の数年間、彼らの活躍は、称賛に値するものでした」
紳士の言葉に、大立者が苦笑する。
「そうですね。私たち・・・ここはあえて『私たち』と言わせていただきますが、私たちはNRMアライアンスの先進性が称賛された分だけ、肩身が狭い思いをしました。言葉を飾っても仕方ありませんね、私たちは『負けた』のです、あの時、一度」
「そうですね」 紳士の表情にも苦みの成分が濃くなる。「あの時はなかなか辛かったですね」
「はい。主力の米国市場ではまだ売れ行き好調でしたが、あのころには近い将来には完全にBEV生態系が勝つ、というのが社会の共通認識になっていました」
紳士は言葉をつなぐ。
「そして、内燃機関への投資は絞られ、BEV投資はインフラを含めて推進され、そこに運送業界向けで先行していた自動運転の法規制が一気に進んだ。あれだけの好条件がそろうことは、シミュレーション上の極端なシナリオはともかく、現実にはあり得ないと思っていました」
「そこに発生したのが、富士山噴火・・・今度は、BEVがすべて、という風潮にも冷や水が浴びせられた。
しかし、その時には、すでに遅かったのです・・私たちを含めて、内燃機関車への投資は絞られて久しかった。
自動車の開発には最低5年以上かかる。また、BEVへの移行が間違っていた、というのも違う。
BEVは高度な文明の上に成立するもので、災害復興というごく限られた状況では弱かった、というだけで。
実際、富士山噴火の後も、内燃機関車への投資再開の機運は盛り上がりませんでしたし」
「また、NRMアライアンスは、あの局面でも上手に動かれました。遊休したばかりのE-POWERの工場を再稼働させ、受注も入らないうちから生産を開始していた・・・あれは、真に称賛に値する行動だった、と今でも思います」
大立者はかすかに首を振った。
「あれは私にはできなかった」
「・・・」
「少なくとも、私が社長だった会社では」
紳士は頷いた。
「私にもできませんでした。シリーズハイブリッドを量産していなかったので、やりたくとも出来なかった、というのが正しいかもしれませんが、事実としてNRMアライアンスは動き、私たちが所属していた会社は動けなかった」
紳士は、ぬるくなったコーヒーを一口飲みほし、わずかに表情をしかめた。苦かったようである。「それが全てです」
「そのあとのMFG法対応では、すべての自動車会社が頑張りましたが・・・」
「面白いもので、内燃機関車不足の批判は、NRMさん以外に多く寄せられた気がしますね」紳士の言葉を受け、大御所が苦笑する。
その傾向は確かにあった気がする。紳士は当時、社長職を退き、会長職として財団活動を中心に活動していたが、陰に日向に、非難に近い声を与えられたものである。
「そうですね・・・MFG法の成立にも少なからず汗をかいたつもりなのですが」
しかしながら、世間の評価は、「BEV普及の進展にも、富士山復興支援にも、存在感を示せなかった」とされがちなのであった。
今は会長職からも退き、名ばかりの相談役もMTエンヂニアリング設立を機に辞任し、公式には古巣との雇用関係はない。
思えば、古巣の会社、世界最大級の自動車会社のしがらみは、常に有形無形で強い桎梏であった。
今、そのすべてを、少なくとも公式には、終了させた。
それでも、新会社に勧誘した人々、新製品に教務を示してくれる人への責任はあるのだが・・・かつてとは比べ物にならない自由な立場、少ない制約で製品を企画できる立場に、紳士はようやく立てたのだった。
内燃機関の膨大な知的財産、生産設備もかなり自由に使用可能だ。それらが、自動車会社本体ではもてあまされるようになっていたが故のことであるが・・・
今、紳士は、かつてないほどに、彼が思う「良いクルマ」を作れる自由を得ている。
もっとも、自由とは、野垂れ死ぬ自由なのかもしれなかった。
社会背景説明会。地味ですいません。




