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死にたくなったら  作者: 狐目 ねつき
第三章 蠢動
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37話 正しさはいつも

 ――昼休みが終わりを迎える直前。校内放送で呼び出しを受けていたナナが、ようやく教室へと戻ってきた。


 彼女が教室に姿を見せた途端、リクは声を掛けようと、席から腰を浮かしかけた。だが、その一瞬を見透かされたかのような間の悪さにて、校内に昼休み終了のチャイムが鳴り響く。甲高い音が容赦なく教室中へと流れ込み、ささやかな衝動も、喉元まで上りかけていた声も、すべてをぶつ切りにしていった。


(君鳥さん……)


 ナナはリクに一瞥もくれず、少し早い歩調で、すたすたと自らの席へと戻っていく。彼女の表情は、遠目にではあるものの、怒っているようには見えず、泣き腫らしたようにも見えなかった。ただ、平静を装っている人間だけが纏う、妙に均一で隙間のない顔つき。貼りつけたようなその平坦さが、かえって不自然に映っていた。


(……なにを話してきたんだろう)


 リクは湧き上がる疑問を、結局また胸の奥へと押し戻すしかなかった。そして昼休みが明け、午後の授業が始まる。教室の空気はまだどこか湿っていて重苦しく、それと相反するように、窓の外では抜けるような青空と穏やかな陽射しが、燦々と校庭に降り注いでいる。


(問題は結局、解決したんだろうか……)


 窓越しに外を眺め、ぼんやりと考えに耽るリク。そのまま五分ほど授業が進行したそんな折で、教室の中に控えめなノックの音が響く。リクを含めた生徒たちが視線を向けた扉の外には、担任の奥戸が立っていた。彼は社会科の授業を担当していた教師と小声で短く会話を交わすと、特に不自然さもなくリクの名を呼ぶ。


「村崎くん、少しいいかな」

「あ……はい」


 返事とともに引いた椅子の音が、自分でも驚くほどに大きく聞こえた。


(どうして僕が……)


 胸の内にまず浮かんだのは、その疑問だった。朝から始まった一連の事情聴取のきっかけを作ったのが自分である以上、問題とはまったくの無関係でないという自覚はある。それでもなお、密告者じみた立場である自分がこうして改めて呼び出されるとなると、どこか落ち着かない。あまつさえ、軽い不信感すら心の表面に薄い膜のよう張りついてくる。


(うわ、みんなに見られるの嫌だな……)


 いやでも教室中から集まる視線を感じつつ、リクは無言のまま、そそくさと廊下に出た。教室の外で待っていた奥戸は、いつもの柔和さを残してはいるものの、どこか張り詰めた様子。彼に小さく『行こう』とだけ告げられ、生徒指導室の前まで連れていかれた。


「入って」


 奥戸に扉を開いてもらい、リクは中へと通される。初めて足を踏み入れる生徒指導室は、教室ほどではないが、想像していたよりも広かった。観葉植物の置かれた木製のローテーブルを、二つの革張りのソファが向かい合わせに挟み、脇には背の低い本棚が整然と並ぶのみ。もっと威圧的で、閉塞感を湛えた空間をリクは勝手に思い描いていたが、拍子抜けするほどに簡素なレイアウトだった。


(……少しだけ、エイトさんの部屋に似てるな)


 そんな場違いな感想が、ふと頭をよぎる。もちろん向こうの方がずっと雑然としていて、広さも雰囲気も、別物ではある。だが、テーブルとソファが正対している構図だけを切り取れば、どこか既視感めいたものを誘った。


「座って」


 客人にもてなすかのよう、奥戸から丁重にそう促される。リクは小さく頷き、入口から近い位置にあったソファへ静かに腰を下ろした。革がわずかに沈み込み、遅れて身体を受け止める。続けて奥戸も、ぎし、と小さな音を立てながら向かいのソファに座った。彼は背もたれに身を預けることなく、前傾気味の姿勢で、まっすぐリクと向き合う。


「クラスの問題は、解決したよ」


 開口一番、率直に奥戸が結論を告げる。声こそ穏やかではあるが、その響きの奥底には一仕事を終えたあとの安堵と、なお拭いきれぬ疲労が薄く沈んでいるようにも聞こえた。


「……はい」


 リクは短く相槌を打つのみで、それ以上の言葉がすぐには出てこない。


「主犯格は五人いた。全員、女子生徒だよ」


 奥戸は報告書を読み上げるよう冷静な調子で続ける。淡々としたその口調に私情は混じっていないようで、かえって事実の重さだけが強調されていく。


「その中には……先週の放課後、掃除当番で村崎くんと一緒になっていた二人も含まれていた」

「……そう、ですか」


 返答はできた。できたけれど、内臓のどこかの血の気が引いていく感覚がした。あの時、窓際で軽口を叩きながら雑に手を動かしていた二人。声色、笑い方、無責任さ。何食わぬ顔で日常の中へ溶け込んでいた加害の気配を、リクは改めて思い返し、やはり胸の奥に嫌悪とも虚無ともつかぬ感情が広がっていく。


 奥戸は構わず話を進める。


「昼休みに、君鳥さんとその五人を同席させた。事情を確認して、先生の方から厳しく叱りつけた上で……面と向かって謝罪もさせた」


 ローテーブルの上に落ちる陽の筋が、雲でも流れたのか、ほんのわずかに揺らいだ。


「君鳥さんは、怒ったりはしなかったよ。少なくとも表面上はね。平静を装っているようには見えたが、それでも彼女たちの謝罪を受け入れた」


 受け入れた、という言い回しが妙に引っかかった。許した、とは少し違う響きだ。あるいは、奥戸もそこを慎重に言い分けたのかもしれない。


「ただ、君鳥さんは一つだけ彼女たちに要望を出した」


 奥戸がそこで一拍を置く。


「〝今後は関わらないで〟――だそうだ」


 実にナナらしい、と思った。責め立てるでもなく、涙ながらに恨み節をぶつけるでもなく、ただそれだけを、最低限の線引きとして差し出したのだろう。


「君鳥さんは……強い子だね」


 奥戸は感心とも自戒ともつかぬ顔で、ぽつりとそう零した。だがリクは、その言葉にすぐさま頷くことができないでいる。


(……強い、か)


 強い――確かに、そう見える。けれどそれは、脆さを外へ漏らさないよう、必死に耐え抜いた先の結果かもしれない。強さと諦めは、時としてあまりにも似た顔をしている。


「そう……ですね」


 それでも最終的に、リクは小さく相槌を打つ。わざわざ否定をする必要も無いと思ったからだ。


「もちろん、これで完全に終わりとは思っていない。先生も今後は、これまで以上に目を光らせていくつもりだよ。けれど、とりあえず一つの区切りとして、今回の問題はひとまず解決ということになる」


 ここまでの奥戸の口調は、いつものフレンドリーさは鳴りを潜め、理路整然としていて説明に無駄がなかった。だからこそ、余計に疲れているのがわかる。彼は今日一日でクラスの半数以上を相手に話を聞き出し、わずかな証言をつなぎ合わせ、この結論へと辿り着いたのだった。疲労も、心労も、計り知れないものがあるだろう。


「……報告は以上だよ」


 ようやく背もたれに背中を預けた奥戸は、胸につかえていたもの全てを放出するように、深く息を吐いた。その様子を見て、リクも張っていた肩ひじを脱力させる。五分程度の会話だったはずなのに、妙に長く感じられた。


「君が教えてくれたおかげで、先生も動くことができた。本当に感謝しているよ」

「いえ……」


 真正面からの誠心誠意に対し、リクは遠慮がちに返答を濁らせる。どこか居心地が悪く感じるのは、自分が決して、混じり気のない善意だけで動いたわけではないと自覚していたからだ。だが、それを奥戸に訴えたところで意味が無いだろう。やり場のないジレンマじみたこの感情を、しばらく抱えて生活しなければと思うと、気が滅入りそうだ。


「――よし、じゃあ話はこれで終わりだ。授業に戻ろうか」

「はい」


 少しの沈黙が流れたあと、奥戸が立ち上がり、リクも続けて腰を上げた。


「あ、そうだ」


 なにかを思い出したかのようなその声とともに、扉へと歩を進めていた奥戸の広い背中がピタリと止まり、背後に立つリクのほうへ振り返って向き直る。


「このあいだ話した三者面談の日取りについてなんだけど……ゴールデンウィーク明けの来週の月曜日の放課後、16時からはどうだろうか?」


 そういえば、とリクは少しだけ表情をハッとさせたのち『大丈夫だと思います』とだけ伝える。エイトの職業が自営業なため、日程の都合は可能な限り学校側に合わせられるという旨もついでに付け足してあげた。


「良かった。伝えるのが遅れてしまって申し訳ないね。保護者の方には先生のほうから改めて連絡をするよ」


 そう告げられてリクは頷き、奥戸とともに生徒指導室を後にした。廊下に戻ると、乾いた静けさが身体を包み込んでくる。その静寂の中を漂うようにして、リクは教室への道をゆっくりと歩み出した。


(君鳥さん、これで……良かったのかな)


 問題は、一応の形として解決には至った。そう言い切ることはできる。だが、人の内側にこびりついたものまで綺麗に剥がれ落ちるほど、この世界は都合よくできていない。


 正しさというものは、いつも間に合わない。誰かが傷ついた後で名前をつけ、誰かが壊れかけた後で規則を持ち出し、誰かが泣き終えた後でようやく謝罪を並べる。それでも、次に同じ傷を増やさないためには、その遅れてきた正しさに縋るしかないのだろう。


(良かった、と思うしかないのか……)


 いつも、いつもそうだ――

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