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翌朝の私室は柔らかな陽光に包まれていた。レースのカーテンを透かして差し込む光が、アンティークの家具を優しく照らしている。俺とエミリオは朝食後のお茶を飲みながら、今朝の新聞に目を通していた。


「エリザベス・ウィンターフィールド殺害事件、容疑者逮捕」という見出しが大きく踊っている。記事では実験助手グレイソンの逮捕が報じられ、30年前の未解決事件に終止符が打たれたと報道されていた。だが、エリザベスの研究ノートの行方は依然として不明のままだ。


「結局…学院で調べるのはぱぁになっちまったからなぁ…」


俺は溜め息まじりに呟いた。窓の外では小鳥のさえずりが聞こえ、庭園の木々が朝風に揺れている。エミリオは給仕台の前で静かに咳払いをした。その表情には、「またですか」という諦めと、主を気遣う執事としての深い懸念が混ざり合っていた。


「仕方ありません」エミリオは丁寧にティーポットを扱いながら答える。「ご自身の身に起きたことを客観的に見れば、旦那様が許可を出せないのも当然でしょう」


過去視の力を極限まで使った結果、俺が医務室で倒れた時の出来事だ。父が研究室への出入りを禁じたのも無理はない。娘が意識を失って真っ青な顔をしているのを目の当たりにすれば、どんな親でも同じ判断をするだろう。


「そうなんだよなぁ…」


俺は紅茶に口をつけながら、静かに頷く。ジュリアが何を発見し、なぜ姿を消したのか。その謎を追う上で、学院の研究室は重要な手がかりのはずだった。だが今は、その扉は固く閉ざされている。


「決まってしまった事は仕方がない…」俺は窓辺に立ちながら、庭園の木々を見つめる。「とりあえず、過去視を認識して研究していた人物がいたとわかったんだ。それだけでもヨシとしなければな」


朝の陽が書斎の調度品を柔らかく照らし、紅茶の香りが静かな空間に漂っている。だが俺の心は、まだ得られていない答えを追い求めていた。エリザベスの研究は、この能力の本質に迫るものだったのかもしれない。そして、それは同時にジュリアの謎にも繋がっているような気がしてならない。


(次はどこから当たろうか…)


思案に耽っていた時、静かな時間を破るように、ノックの音が響いた。


「お客様がいらっしゃっています」メイドが丁寧に告げる。「マリー・フォスターと名乗る女性です」


「……?」


俺が首を傾げると、エミリオが説明を加えた。彼は淡々と語り始める。


「お嬢様はハドソン警部経由で、市井の方からも依頼を受けているのです。探偵としての評判は、かなり広まっているようで」


「……聞いてなかったんだが?」


「……ここしばらく」エミリオは言葉を選ぶように間を置く。その表情には、主を気遣う執事としての深い懸念が浮かんでいた。「お嬢様の事故がありましたので、グランフォード卿はともかく、新規の依頼はお控えして頂いていたのですが…」


「事故の後もまぁ…顔を合わせているもんな。断って何事かと思われても困るし…うん、お通ししてくれ」


しばらく待つと華奢な体つきの若い女性が現れた。上品な緑色のドレスに身を包み、金の刺繍が施された帽子を被っている。


「ジュリア・モリアーティ様…」マリーは丁寧にお辞儀をする。「突然の来訪、申し訳ございません」

「どうぞ、お掛けください」


エミリオの特訓の賜物か、自然と淑女らしい微笑みが浮かぶ。声の調子も、上品な令嬢のそれに近づいてきたように思う。短い期間ではあるが、努力が少しずつ形になってきているのかもしれない。


「実は…」マリーは震える指で、スカートの皺を整えながら切り出した。「音信不通だった父からの手紙についてご相談があって」


「お父様から?」


その言葉に込められた感情の機微に、俺は注意深く耳を傾けた。彼女の声には、父親に対する複雑な思いが滲んでいる。表情には言いようのない苦さが浮かび、それは決して良好とは言えない親子関係を物語っているようだった。


「音信不通と仰いますが…お父様とは、どのくらいお会いされていないのですか?」


慎重に言葉を選びながら尋ねると、マリーは一瞬目を伏せた。朝の陽が彼女の横顔を照らし、その表情には深い影が落ちている。


「ここ15年は会っておりません」彼女は一度深く息を吐き、静かに語り始めた。「私たち家族はアトランティアに住んでおりました。父は家計を助けるため、セインティアへ出稼ぎに行ったのです。10年前までは送金もありましたが、だんだんとぎれとぎれになり…ここ数年では入金すらありません」


窓から差し込む光が、彼女の指の震えを浮き彫りにしている。


「その間に私は結婚しまして、つい先日、夫の仕事の都合でセインティアにやってまいりました」


「お父様はそのことを…」


「知りません」マリーは即座に答えた。「教えていませんから」


その言葉には、諦めと怒り、そして深い悲しみが混ざり合っていた。


(不仲な家族か…)


俺は内心で深いため息をつく。探偵時代、似たようなケースを何度も見てきた。大抵の場合、現地で別の女性を作り、妻子を捨て去るというパターンだ。そういった依頼の悲しい結末を何度も目の当たりにしてきた経験が、俺自身の人生観にも影響を与えていたのかもしれない。


結婚という選択肢を真剣に考えることなく、アラサーの探偵として独身を貫いてきた理由の一つは、おそらくそこにあった。もちろん、もし運命的な出会いがあれば別だったかもしれないぞ…と、誰に向けたわけでもない言い訳を心の中で空しく呟く。


「私も最初は恨みこそすれ、今ではもう存在も忘れていました」マリーの声は静かに、しかし確かな感情を滲ませながら響く。「ですが、いきなりこのような手紙が送られてきたのです」


「ふむ…」


彼女が差し出した封筒は、上質な紙が使われているようだ。封蝋には何かの紋章が押されているが、見慣れないデザインだ。俺は手に取り、いつものように過去視の力を働かせる。だが——。


(何だ…これは?)


過去の映像は、まるで霧の中を覗き込むように曖昧だった。普段なら手紙が書かれた瞬間や、封をする時の様子が鮮明に浮かび上がるはずなのに、今回は不自然なほど焦点が定まらない。まるで誰かが意図的に過去の痕跡を消し去ったかのような違和感がある。


「…中を拝見してもよろしいでしょうか?」


俺は開封の許可を求める。マリーが小さく頷くと、丁寧に封を開く。手紙は達筆な文字で書かれ、インクの香りがまだ僅かに残っている。


その内容は——長年の音信不通を詫び、自身の命が長くないことを告げ、遺産を譲渡したいという趣旨のものだった。文面には悔恨の情が滲み、まるで人生の最期に和解を求めるような切実さが込められている。


「マリーさんは」俺は慎重に言葉を選びながら尋ねた。「どうされたいと思っていらっしゃるのですか?」


「…父に会うべきかどうか、悩んでおります」


マリーの声には深い迷いが込められていた。


「父のことは…」マリーは窓の外に視線を向けながら、静かに言葉を紡ぎ始めた。「憎んでいます。母と私を捨てて、音信不通になった父を、どうして許せるでしょうか」


その声には長年抑え込んできた怒りが滲んでいたが、同時に何か別の感情も混ざっているようだった。

「でも…」彼女は深いため息をつく。「もうすぐ死ぬかもしれないと言われては…一度会っておかないと、後悔するのではないかと」


レースのカーテンが朝風に揺れ、その影がマリーの憂いを帯びた表情の上で揺らめいている。


「この先ずっと、『あの時会っておけば良かった』と悔やむことになるのではないかと思うと…」

(なるほど)


俺は内心で理解を示す頷きを返した。彼女が求めているのは、会うべきか会わざるべきかの判断ではない。ただ、その決断の背中を誰かに押して欲しいだけなのだ。


「マリーさん」俺は柔らかな口調で語りかける。「どちらを選んでも後悔は残るものです。ですが、もし私が同じ立場なら…一度だけでも、父の顔を見に行くかもしれません」


エミリオが給仕台で紅茶を準備する音が静かに響く中、俺は慎重に言葉を選んで続けた。


「それは許すためではなく、ただ…これで終わりにするための、区切りとして」


マリーの瞳に、僅かな安堵の色が浮かんだように見えた。彼女が求めていたのは、まさにそんな言葉だったのかもしれない。


「その…申し上げにくいのですが」マリーは僅かに躊躇いながら言葉を継ぐ。「父に会う時、もし可能でしたら…ご同行いただけないでしょうか」


その申し出には、未知の状況への不安が滲んでいた。15年ぶりの再会に、一人で向き合う勇気が持てないのだろう。


「もちろんですわ」俺は淑女らしく微笑む。


その言葉を聞いたマリーの表情が、まるで重荷を下ろしたかのように明るくなる。来た時の憂いを帯びた足取りとは打って変わって、彼女は軽やかな様子で私室を後にした。エミリオが丁寧に玄関まで案内する中、俺はその後ろ姿を見送っていた。


「ジュリア…」


不意に背後から声がして、振り返ると父であるモリアーティ卿が立っていた。いつの間にそこにいたのだろう。その表情には、普段の威厳ある科学者の面影は無く、ただ娘を案じる父親としての深い憂いが刻まれている。


「その…私は」卿は言葉を詰まらせ、どこか複雑そうな表情を浮かべる。「できうる限り、お前の信頼を損ねないようにしたいと思っている」


その声には、学院での事件以来の後悔と、娘への深い愛情が込められていた。


(なるほど…)


俺は内心で苦笑する。漏れ聞こえたのであろうマリーの事例が、父娘の関係について考えさせるきっかけになったのかもしれない。


安心して欲しい、客観的にみてあんたが娘を愛していることは十分わかってるからさ。




毎日12時更新予定です。

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