⑥
その言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
「過去視…ですか」俺は慎重に言葉を選ぶ。「具体的には、どのような研究だったのでしょう?」
ヘレナは深いため息をつき、窓の外に広がる学院の庭園を見つめる。陽光に照らされた彼女の横顔には、懐かしさと共に深い悲しみが刻まれていた。
「姉は…物に触れることで過去の出来事が見える人々の存在を研究していました」ヘレナは慎重に言葉を選びながら語り始めた。「当時は誰も信じようとしませんでした。『オカルトだ』『トリックに騙されているだけだ』と…学会では一笑に付され、研究費の打ち切りを求める声さえ上がっていました」
彼女は深いため息をつき、机の上に置かれた古い名札を見つめる。「でも、姉は科学者として、決して諦めなかった。被験者の身体に流れる微弱な電気を測定したり、骨相学の手法を応用して頭蓋骨の形状を詳細に記録したり…この現象を科学的に証明しようとしたんです」
警部は無言でメモを取り続けている。その手帳のページをめくる音だけが、静かな部屋に響いていた。エミリオの表情には、これまでにない緊張が浮かんでいる。彼もまた、「過去視」というキーワードに繋がりを見出しているのかもしれない。
「そして研究の最終段階で…」ヘレナの声が震え始める。彼女は白衣のポケットから一通の古い手紙を取り出し、手渡した。黄ばんだ封筒には、30年の歳月が刻まれている。「姉から最後に届いた手紙です。『人間の精神と身体の関係について、これまでの医学の常識を完全に覆すような事実が分かった』と…」
部屋が静まり返り静寂に満ちる。
「…その直後、姉は全ての研究データと共に姿を消しました」
陽光に照らされた研究室で、その告白は重い空気を我慢していた。
「ヘレナ先生」警部が静かに告げる。
「お姉様のことは必ず調べます。今はご協力いただきありがとうございました」 ヘレナは無言で頷いていた。
*
ヘレナの部屋を辞した後、俺とエミリオは人骨が発見された倉庫に戻っていた。
警察官が人骨を回収した倉庫は、ほこりっぽい空気と長い年月の重みに満ちていた。エミリオの表情は、いつになく動揺を隠しきれていない。
「ジュリアの過去視について、何か聞いたことはあるか?」俺は静かに尋ねた。エミリオは一瞬躊躇い、やがて小さく首を振った。「いいえ…お嬢様は自身の能力について、詳しく語ることはありませんでした」
俺は過去視の特性について説明し始める。「この能力には決まりがある。まず、生きているものからは読み取れない。まぁ、"生きている"の定義は複雑だが…ここではあまり詳しく話をしないとして…。基本的には、新しい過去ほど鮮明に見える。古い過去になるほど、映像にノイズが入り、見えにくくなっていく」
徐々に、俺はドレスの胸元のボタンを解き始めた。「お嬢様!?」エミリオが驚きの声を上げる。それを無視して俺は続ける。
「だが、古い過去が完全に見えないわけではない」俺は続ける。「30年前という特定の一点に、めちゃくちゃに集中すれば何かが見える可能性がある。ただし、その代償は結構きつい」
床に右手で触れながら、エミリオに向かってへらりと笑う。「エミリオ、ぶっ倒れた後はよろしくな」
エミリオの顔が青ざめる。「お待ちください…!」エミリオの悲痛な声を無視し、俺は全神経を30年前の過去、その一点に集中させた。
*
過去視の映像は、古びたフィルムのように歪み、断片的な記憶を紡ぎ始めた。倉庫の内部は不完全な改修の痕跡を残していた。剥き出しのレンガの間に粗雑な板が渡されていた。
男の動きは荒々しく、殺意すら感じられるほどの乱暴さだった。彼は白衣を着た女性を力強く運んでいる。女性の白衣は破れ、汚れ、生気を失った布のように宙なびいていた。彼女の身体は柔らかく、まるで抵抗する力さえも奪われているかのように、男の腕の中で無防備に揺れている。
彼女を運ぶ男の手は、冷酷なまでに確かだった。目的地に到着すると、エリザベスをまるで使い古した荷物のように、容赦なく床に投げ捨てる。その瞬間、彼女の胸元から一枚の名札が滑り落ちた。金色に輝く名札は床に叩きつけられ、エリザベス・ウィンターフィールドの名前が微かに光っていた。
対照的に、男の胸元には真鍮色の名札が輝いていた。金と真鍮、二つの金属の色合いは、二人の立場の違いを象徴するかのようだった。男は何かを呟く。その声は、抑えきれない憎悪に満ち満ちた、かすれた声。感情の激しい波が、言葉の端々に滲み出ていた。
「あんたが…あんたが悪いんだからな…!」
男の手が、レンガの間に渡された板を元の位置に戻す。暗闇が徐々に迫り、部屋は完全な闇に呑み込まれていく。セメントを塗り広げるような、鈍い音が静かに響く。まるで真実そのものを埋め込むかのように、音は空間を塞いでいた。光は徐々に消え、秘密は永遠に闇の中に葬られようとしていた。
突然、激しい痛みが頭蓋骨を引き裂くかのように襲う。まるで無数の電光が脳内で炸裂するような、鋭く切り裂くような痛み。感覚は歪み、意識は現実と過去の狭間で揺らめいていた。記憶の断片が、鮮明な映像と曖昧な印象が入り混じり、脳裏で激しく衝突する。
*
「お嬢様!!」
エミリオの悲痛な叫びが、俺を過去の世界から現実へと引き戻した。しかし、もはや身体は限界を超えていた。視界にはちかちかと無数の星が乱舞し、音は遠く歪んでいく。無茶をした過去視の代償は、容赦なく苛烈だった。
「見えたぞ…」
最後の言葉を絞り出す瞬間、意識は完全に途切れた。周囲は真っ暗。エミリオの声は遠く、遠く。まるで深い井戸の底から聞こえるような、かすかな響きだった。
毎日12時更新予定です。




