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急ぎ足の音が石畳の廊下に響き、濃紺の制服を着た警官たちが姿を見せた。一行を率いてきたのは見覚えのある大柄な男性だ。


「ジュリア嬢」ハドソン警部が近づいてくる。「またお会いしましたね。今回も事件を追ってこちらへ?」


その声には、軽い冗談めいた響きが含まれていた。


「いえ、そういう訳では無いのですが…」


俺はなんとも言えない微笑みを浮かべる。本当に事件を追っていたわけではない。ただ単に、研究室を見学に来ただけなのに、事件の方から勝手に寄ってきただけだ!と内心で叫びながら。


背後では、エミリオがこれまたなんとも言えない雰囲気を醸し出している。「また事件に巻き込まれてしまった」という諦めと、「これも本来のお嬢様の日常だった」という理解が混ざったような複雑な空気を放っていた。おいおい、本物のお嬢様もこうだったのかよ…。


「では、現場を」


警部の声が引き締まる。倉庫の中には既に数人の警官が入り、慎重に現場の確認を始めていた。日が高くなり、天窓から差し込む光が部屋全体を明るく照らしている。


ハドソン警部は唸るような声を上げながら、壁の亀裂を覗き込んだ。その眉間には深い皺が刻まれ、長年の刑事としての経験が、この発見の重大さを直感的に理解しているようだった。


「これは…確実に人骨ですね」


警部の低い声が、古い倉庫の空気を震わせる。強い日差しに照らされ、散乱した白い骨片が不気味な存在感を放っていた。朽ちた白衣の切れ端が、長年の沈黙を破って何かを語りかけようとしているかのようだ。


「慎重に回収を。できるだけ原型を保ったまま」


警部の指示に従い、ベテランの警官たちが証拠品の回収に取り掛かる。一つ一つの骨が、まるで貴重な遺物のように丁寧に取り出されていく。朽ちかけた白衣の切れ端も、長年の埃を纏ったまま、証拠品として丁寧に包みに収められていった。


「警部」


一人の警官が証拠品を収めた包みの中から何かを取り出しながら近づいてきた。


「これが遺留品の中から見つかりました」


警官が差し出したのは、古びて変色した金属のプレート。それは研究者用の名札のようだ。長年の時を経て、表面は薄く錆び、端は僅かに歪んでいた。


警部がそれを受け取り、慎重に文字を確認する。長年の埃を軽く払うと、かすかに刻印が浮かび上がってきた。


「エリザベス・ウィンターフィールド…」警部がゆっくりと読み上げる。「研究主任…か」


「失礼」俺は警部に一声かけ、名札に指を伸ばす。触れた瞬間、いつものように過去視の力が働くはずだったが——。映像はぼんやりとしか見えず、断片的な記憶が霞のような形でしか浮かび上がってこない。


(やはり…)


経験上、新しい過去は比較的すんなりと読み取れるのだが、古い過去になるとノイズが乗ってしまい過去視が難しくなる。先日のグランフォード卿のティアラの時は、幸運なことに数十年前の過去が鮮明に見えたが、今回の30年という時の壁は、この能力にとっても大きな障害となる。名札から読み取れるのは、ぼんやりとした人影と、かすかな会話の切れ端だけ。


「ウィンターフィールド…」


声の方向へ視線を向けると、実験室の入り口近くにアレックスが立っていた。


(そうか、まだ現場に残っていたんだっけ…)


記憶を辿るように視線をうろうろとさせていると、アレックスは何かを思い出したかのように背筋を伸ばした。


「ヘレナ先生と同じ苗字では?」


「ヘレナ先生?」警部が首を傾げる。


「えぇと…悲鳴を聞いて僕たちの次に現場に到着した女性教授です」アレックスは早口で説明を始める。「確か去年でしたか?学院に赴任してこられて、医学部で人体の生理反応や脳の研究をなさっています」


俺は先ほど見た彼女の様子を思い出していた。名札が見つかった時の、あの表情。白衣の女性教授——ヘレナ・ウィンターフィールドの動揺は、やはり気のせいではなかったのだ。


彼女の顔に浮かんでいた深い悲しみ。そして、どこか懐かしむような、あるいは後悔めいた色。全ては、この遺留品の持ち主との何らかの繋がりを示唆していた。


「話を聞いてみる必要がありそうですね」


俺の言葉に、警部が無言で頷く。



医学部棟の一室で、ヘレナ・ウィンターフィールド教授は静かに椅子に腰掛けていた。窓際の重厚な木製の机の前で、白衣の襟元には控えめな真珠のブローチが光を帯びている。窓から差し込む陽光が、彼女の疲れた表情を柔らかく照らしていた。


「ご協力いただき、ありがとうございます」警部が丁重に一礼する。「私はハドソン警部。そしてこちらが…」


「ジュリア・モリアーティと申します」俺は淑女らしく会釈を交える。「モリアーティ卿の娘で、警部のお手伝いをさせていただいております」


ヘレナは僅かに目を見開いた。学院の教授であれば、モリアーティの名前の重みは十分理解しているはずだ。


「それで…お話とは」彼女は言葉を選ぶように間を置く。研究者らしい冷静さを保とうとしているが、その指先が微かに震えているのが見て取れた。「先ほどの…白骨の遺体に関してでしょうか」


警部はゆっくりと胸ポケットから、古びた金属の名札を取り出した。


「先ほどの遺体の傍らで発見されました」警部は慎重に言葉を紡ぐ。「遺体本人がこの名札の方かどうかは、これから調べますが…エリザベス・ウィンターフィールド…この方をご存じでしょうか?」


その瞬間、ヘレナの表情から血の気が引いていくのが見えた。青白い指が名札に向かって伸びかけ、しかし途中で止まる。まるでその真実に触れることを恐れているかのように。


長い沈黙の後、彼女は深い息を吐き出すように言葉を絞り出した。その声には、30年の重みが込められていた。


「エリザベス・ウィンターフィールドは…私の姉です」


陽光の中に、重い告白が静かに響いた。


「姉のエリザベスは…30年前に失踪したんです」


ヘレナの声には、長年封印してきた感情が滲んでいた。医学者らしい冷静さを保とうとしているものの、その指が無意識に白衣の袖を握りしめる。陽光に照らされた彼女の横顔には、深い影が落ちていた。


「姉のエリザベスは優秀な研究者でした」ヘレナは懐かしむように目を細める。「特に神経伝達物質の研究では画期的な成果を上げ、学会でも高い評価を受けていました。研究主任として、次世代を担う存在として期待されていたんです」


彼女は一瞬言葉を詰まらせ、より慎重な口調で続けた。


「ですが…ある研究を始めてからは、周りの目が変わっていきました。『非科学的だ』『学院の名を貶める』と…。でも姉は諦めなかった。むしろ、反対の声が強まるほど研究に没頭していったように思います」


ヘレナの声は次第に小さくなっていく。「そんな中、突然姿を消して…。手紙も、電報も、一切の連絡が途絶えたままです」


警部は静かに頷きながら、手帳にメモを取っていく。その手つきには長年の経験が滲み、ページをめくる音だけが静かな部屋に響いていた。エミリオは部屋の隅で控えめに立ち、主の安全を見守りながら、状況を観察していた。


「当時の警察は…単なる失踪として処理しました」ヘレナの声には苦々しさが混じる。「姉は"非科学的"と批判される研究を続けていて、学会からのバッシングも強くなっていましたから。精神的な限界を迎えて、自ら姿を消したのだろうと…そう判断されたんです」


「ある研究とは?」


俺は静かに尋ねた。その問いに、ヘレナの表情が微かに曇る。窓の外では小鳥のさえずりが聞こえ、陽光の中で舞う埃が、どこか現実離れした雰囲気を醸し出していた。重厚な本棚の影が、彼女の後ろに長く伸びている。


「姉は…特殊な才能を持つ人々の研究をしていました」


彼女はゆっくりと説明を始める。その口調には、科学者としての冷静さと、30年前の記憶への感傷が混ざり合っていた。


「具体的には、過去を見る能力を持つ人たちの、脳の活動や生体反応を科学的に解明しようとしていたんです」


毎日12時更新予定です。

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