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ドレスの裾を持ち上げながら、俺たちは悲鳴の方角へと急ぐ。


角を曲がった先で、俺たちが目にしたのは痛ましい光景だった。白色の制服を着た女子学生が、漆喰の剥がれかかった壁にもたれかかるようにして座り込んでいる。彼女の顔は紙のように青ざめ、震える両手で自分の肩を必死に抱きしめていた。真珠のような汗が額を伝い、制服の襟元は明らかな動揺で乱れている。その周りには既に数人の学生たちが集まり始めており、心配そうな表情で彼女を見守っていた。ざわめく声が静かな廊下に反響している。


「大丈夫ですか?」


俺が声をかけると、彼女はゆっくりと潤んだ瞳を上げた。その茶色の瞳には、まだ恐怖の色が残っており、長いまつげが震えている。


「あ、あの…倉庫の整理を、していたんです」


少女の声は震え、それは囁くような小さな音量だった。細い指が制服のスカートの生地を強く握りしめている。


「古い実験器具を片付けようと思って…その時、壁に…」


その言葉に導かれるように、俺は少女の視線の先を追った。古い倉庫の壁――築100年は超えるであろう深い赤褐色の煉瓦造りの壁に、不吉な亀裂が走っている。何かの衝撃で内側の煉瓦が崩れ落ち、まるで開いた傷口のような黒い空洞が覗いていた。


「中をのぞいたら…」


少女の声が掠れ、その言葉は途切れ途切れになる。白い制服の襟元が大きく上下し、呼吸が乱れているのが見て取れた。震える唇から、やっとの思いで言葉が零れ落ちる。


「骨が…人の骨が…!」


その衝撃的な告白に、周囲が一斉にざわめいた。「嘘でしょう?」「本当に?」と不安げな声が重なり、学生たちの間に動揺の波が広がっていく。窓から差し込む朝の光が、彼らの青ざめた表情を浮かび上がらせていた。


エミリオが俺の横で即座に身構える。黒燕尾服の袖の下で、その手が微かに震えているのが分かった。執事としての冷静さを保ちながらも、主の身を案じる緊張が全身から滲み出ている。


一方、アレックスは科学者らしい冷静な目つきで状況を観察していた。濃紺の瞳には理性的な光が宿り、まるで実験の異常な結果を分析するかのように、事態を客観的に見つめている。


「エミリオ」


俺は静かに、しかし確固とした意思を込めて告げた。淑女らしさを保ちながらも、探偵としての判断が自然と声に滲む。


「警察とお父様、両方に連絡を」


「承知いたしました」


エミリオは一礼し、その動作には一片の無駄もなく、即座に行動を開始する。黒い燕尾服が廊下の影に溶けていくように消えていった。


「アレックス様、申し訳ありませんが」


俺は科学者の青年に向き直り、慎重に言葉を選ぶ。


「警察が来るまで、この場所に誰も近づかないよう、お願いできますか?」


「もちろん」


アレックスは深く頷いた。彼の表情には、科学者としての冷静な分析力と、人命に関わる事態の重大さを理解した真摯な眼差しが混在していた。その濃紺の瞳には、これが単なる学術的な関心を超えた事態であることへの認識が宿っている。


俺は慎重に、ドレスの裾を持ち上げながら倉庫の入り口まで歩み寄った。足音を立てないよう気を配りながら、一歩ずつ近づいていく。朝の光が亀裂から差し込み、壁の向こうの空間を不気味に照らしている。埃っぽい空気が光の筋の中で舞い、まるで長い間封印されていた空間の吐息のようだった。


そして確かにそこには、時の流れによって白く変色した骨が散らばっていた。いくつもの骨片が不自然な角度で折り重なり、かつて人の形をしていたとは思えないほど無残な状態で横たわっている。朽ちかけた布きれのようなものも混ざっており、それは白衣のような――。


石造りの壁の隙間から漏れ出す生暖かい風が、俺の頬を撫でていった。まるでその向こうに眠る何者かが、密やかな吐息を漏らしているかのように。


生徒たちが不安げに佇む中、急ぎ足の音が近づいてきた。


「一体何が起きているのかしら…」


透き通るような声が響き渡る。廊下の先から白衣を纏った美しい女性教授が現れ、その後ろを実験助手らしき中年の男性が小走りで追いかけていた。朝の陽が廊下に差し込み、女性教授の白衣が柔らかな光を帯びている。


「壁の奥から人骨が見つかったのです」俺は説明する。「現場の保全のため、入室は控えていただけますでしょうか?」


「はぁ?」実験助手が鼻で笑うような声を上げる。「何の権利があってそんなことを?」


彼の声には露骨な嫌悪感が込められ、薄い唇が皮肉めいた笑みを作る。「見る限り、どこぞの貴族の子女のお方ですか?貴女に一体何ができるんですか?」


その傲慢な物言いに、周囲の学生たちが顔をしかめる。なるほど、あまり評判の良い人物では無いようだ。


「申し遅れました」


俺は形だけの淑女らしい仕草——とはいえ、エミリオがいない今、それは明らかに適当な物だった——を添えながら告げる。探偵時代の癖が出たのか、相手を見下ろすような目線になってしまっている。


「私はジュリア・モリアーティ。そう、モリアーティの娘ですわ」


最後の言葉には、意図的な尊大さを滲ませた。普段なら絶対に許されない態度だが、今は逆にそれを利用しようという魂胆だ。


「もっ…モリアーティ卿の!?」


実験助手の声が見事に裏返る。先ほどまでの横柄な態度が嘘のように、顔から血の気が引いていく。白衣の袖が微かに震え始めるのが見える。突然の事態に、彼の不機嫌な表情が見るも無残な動揺へと変わっていった。


「何ができるのかという事ですが」


俺は穏やかな——しかし、これでもかというほどの皮肉を込めた声で続ける。エミリオが見たら「お嬢様はそんな顔をしません!」と卒倒しかねない生意気な微笑みを浮かべながら。


「警察と父への連絡は既に済ませております。今は証拠の保全のため、私が現場を監視していただけです」


言葉に意図的に力を込める。今度は完全に上から目線だ。視線は15度上方などという上品なものではなく、完全に見下ろすような角度。これはもう、淑女の作法というよりは、不良の番長といった雰囲気かもしれない。


「もし実験助手様が」その呼び方にも明確な皮肉を込める。「責任を持って見張ってくださるのでしたら、私は喜んでお引き取りいたしますわ」


おびえたような男に追加で一言。「よろしいですか?貴方、責任を、持てますよね?」


一言一言に意図的な間を空け、まるで子供を諭すかのような口調で告げる。これはもう完全に喧嘩を売っているようなものだった。エミリオがいない今、アラサー探偵だった頃、なめてかかる相手に良く使っていた尊大な物言いが思い切り顔を出している。


実験助手の顔が見る見る蒼白になっていく。先ほどまでの威張り散らした態度は影も形もなく、今や完全な敗北者のような惨めな表情を浮かべていた。口を開きかけては閉じ、また開きかけては閉じる。まるで沸騰した湯気を必死に飲み込もうとする薬缶のような様相だ。


「そ、それは…」


完全に詰んでしまった実験助手の目が泳ぎ、冷や汗が首筋を伝っていく。周囲の学生たちからは、小さな笑みが漏れ始めていた。


(エミリオには絶対に見せられない振る舞いだったな…)


俺は内心で少しばかり反省しながらも、この場の主導権を完全に握ることには成功したようだ、と密かに満足していた。


「まあまあ」


白衣の女性教授の声が、優雅な調べのように廊下に響く。その声音には、長年の教職で培われた温かみのある権威が滲んでいた。銀色がかった黒髪を艶やかに束ね、知的な雰囲気を漂わせる彼女の存在感が、この場の緊張を少しずつ和らげていく。


「警察が来るまで、皆で冷静に待ちましょう」


その穏やかな声には、不思議な説得力があった。まるで実験室で予期せぬ反応が起きた時のように、冷静に状況を判断し、適切な対処を促している。


「グレイソン、生徒たちを落ち着かせてくださいな」


実験助手への指示は、柔らかでありながらも明確な命令の響きを帯びていた。白衣のポケットに差した金縁の眼鏡が、朝の光を受けて煌めく。


「……ちっ。わかりましたよ」


グレイソンは歯軋りするような音を立てながら、不承不承といった様子で頷いた。先ほどまでの惨めな表情に、わずかな救いを見出したかのようだった。


その時だった。


女性教授の視線が、ふと壁の亀裂から覗く人骨へと向けられた。白衣の裾が静かに揺れ、その動きに合わせて陽光が彼女の横顔を照らす。整った顔立ちには、科学者としての理性的な冷静さが刻まれていたが、その奥に、何か言い知れない感情が渦巻いているのが見て取れた。


深い色の瞳が、まるで過去の記憶を追うように揺らめく。痛ましさと悲しみ。そして、何か懐かしむような、あるいは後悔めいた色が、その表情に混ざり合っていた。彼女の細い指が白衣の布地を無意識に握りしめ、その仕草には明らかな動揺が滲んでいた。


毎日12時更新予定です。

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