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第五話 孤独

早乙女美幸には、最近少し気になることがあった。


転校してきてから、もう何日かが過ぎた。

クラスにも少しずつ馴染んできた。

昼休みになれば一緒に食事をしようと誘ってくれる友人もできたし、放課後には買い物に誘われることもある。


三年前までとは、まるで違う生活。


教室で笑い声が聞こえる。

誰かがくだらない冗談を言う。

次の授業の宿題を忘れたと騒ぐ。


そんな何気ない光景の一つ一つが、美幸にはどこか新鮮だった。


だが、そんな教室の中で、一人だけ気になる生徒がいた。


窓際の席に座る、あの少年。


授業中は、ちゃんと教室にいる。

教師の話を聞いているのかいないのか、いつも静かに席に座っている。

自習ともなれば、机に頬杖をついて窓の外を眺めていることも多い。


だが休み時間になると――

いつの間にか、いなくなる。


最初はトイレにでも行っているのだろうと思った。

ところが、そうではないらしい。


十分程度の休み時間ならまだいい。

昼休みになると、ほとんど教室にいない。


そして時には――


「……あれ?」

次の授業が始まっても戻ってこない。


教師も慣れているのか、

「またあいつか」

と呆れたように言うだけだった。


しばらくすると、何事もなかったように戻ってくる。


怒られても気にした様子がない。


それどころか教師のほうが、途中から叱ることを諦めてしまう。


不思議な人。

それが、美幸の彼に対する印象だった。


「ねえ」

ある日の昼休み。

美幸は近くにいた女子生徒に尋ねてみた。


「彼って、いつも休み時間になるといなくなりますよね」


「ああ、あいつ?」

女子生徒は気にも留めていない様子で答えた。


「いつものことだよ」


「どこへ行っているんですか?」


「さあ?」


「誰も知らないんですか?」


「知らないっていうか、気にしたことないなあ」

そう言って笑う。


「前にも言ったでしょ。ああいう奴なんだって」


それで話は終わってしまった。


美幸だけが、教室の空席を見つめていた。


――ああいう人。

それで済ませてしまえば、それまでなのだろう。


誰かと喧嘩をしているわけではない。

いじめられているわけでもない。

話しかけられれば、必要最低限の返事くらいはする。


ただ、自分から誰かの輪の中へ入ろうとしない。


まるで――

最初から、人との間に一枚の壁を作っているような。


なぜだろう。

美幸自身にも、分からなかった。


ただ少しだけ、気になった。


     ◇


数日後。

体育の授業を終えた美幸は、校庭から校舎へ戻ろうとしていた。


ふと、何気なく上を見た。

青空を背景に、校舎がそびえている。


その屋上。

フェンスの向こうに、人影が見えた。


「あ……」

見覚えがある。


フェンスにもたれかかり、街のほうを眺めている。


あの少年だった。


「……あそこにいたんですね」

美幸はしばらく屋上を見上げていた。


やがて何かを決めたように、校舎へ戻った。


階段を上る。

一階。

二階。

三階。

そして最上階。


屋上へ続く扉の前まで来る。


本来なら、生徒が勝手に出入りしてよい場所ではない。


扉には一応、

《関係者以外立入禁止》

と書かれていた。


美幸はドアノブに手をかけた。

回してみる。


開いた。

「…………」


少し考えてから、扉を押した。


風が吹き込んできた。

髪が大きく揺れる。

眩しさに目を細めながら、美幸は屋上へ出た。


そして――いた。


フェンスにもたれかかり、少年が街を眺めている。

こちらには気づいているはずなのに、振り返ろうともしない。


美幸はゆっくりと近づいた。

「ここにいたんですね」


返事はない。


「いつも休み時間になると、どこかへ行ってしまうから」


「…………」


「どこに行っているんだろうって、少し気になっていたんです」


やはり返事はない。


美幸は少年から少し離れた場所で立ち止まった。


同じようにフェンス越しの街を見る。

街のあちこちでは、今日も復興工事が続いていた。

遠くから重機の音が聞こえてくる。


しばらく二人とも何も話さなかった。


気まずい沈黙。

――になるはずだった。


けれど美幸には、不思議とそうは感じられなかった。


風の音。

遠くから聞こえる工事の音。

校庭から響いてくる生徒たちの声。


それらを聞きながら、美幸は口を開いた。

「皆と一緒に、お話はしないんですね」


少年は答えない。


「休み時間になると、いつも一人でここにいるんですか?」


「…………」


「私、嫌われているのかと思いました」


その言葉に、少年が、ほんの少しだけ美幸のほうを見た。


初めて反応した。

美幸はそれを見逃さなかった。


「だって、最初に挨拶したときも何も言わずに行ってしまいましたし」


少しだけ頬を膨らませる。


「さすがに傷つきますよ」


少年はしばらく黙っていた。

やがて――

「……別に」


小さな声だった。


美幸は目を瞬いた。

初めて、まともに彼の声を聞いた気がした。


「別に?」


「嫌ってない」


それだけ言うと、少年は再び街へ視線を戻した。


美幸は少し驚いたあと、

「そうですか」

と笑った。


そして少年の隣まで歩いていく。

ただし、少しだけ距離を空けて。

同じフェンスにもたれた。


「じゃあ、ここにいてもいいですか?」


「…………」


返事はない。


「嫌なら嫌って言ってくださいね」


「…………」


やはり返事はない。


美幸は空を見上げた。

「では、嫌ではないということで」


少年がちらりと彼女を見る。

美幸は少し得意そうに笑っていた。


少年は何も言わなかった。

追い返しもしなかった。


二人は並んで街を眺めた。


しばらくして、美幸が呟いた。

「ずいぶん、直りましたね」


少年の表情が、ほんの少し変わった。

「三年前は、こんなじゃなかった」


「……ええ」


「ここから見える場所も、ほとんど壊れてた」


美幸は黙って街を見つめる。

少年もまた、それ以上は何も言わなかった。


二人とも知っている。

三年前、この世界で何が起きたのか。


だが――

二人が見た三年前は、まるで違う。


一人は、地上から。

一人は、空に浮かぶ要塞から。


そして二人はまだ知らない。


あの日。

燃え盛るガルグラシアの中で。


二人の運命は、すでに一度交わっていた。

「また来てもいいですか?」


帰り際、美幸が尋ねた。

少年は答えなかった。

美幸は少し待った。

それでも答えない。


「では、また来ますね」

勝手に決めて、屋上の扉へ向かう。


扉を開ける直前、美幸は振り返った。

「それでは、また」


扉が閉まる。


少年だけが残された。


「…………」


しばらくして。

誰もいなくなった屋上で、少年が小さく呟いた。


「……好きにすれば」


当然。

その声を聞く者はいなかった。

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