第六話 正体
休日のショッピングモールは、多くの人で賑わっていた。
家族連れ。
買い物袋を両手いっぱいに抱えた若者。
フードコートで食事を楽しむ人々。
子供たちの笑い声。
三年前には失われていた、ありふれた休日の風景。
復興が進んだとはいえ、まだ閉鎖されたままの区画もあるし、品不足で空いたままの商品棚も珍しくない。
それでも人々は買い物をし、食事をし、笑っていた。
早乙女美幸も、その中にいた。
「美幸ちゃん、こっちこっち!」
「待ってくださいよ」
クラスメイトたちに呼ばれ、美幸が小走りで後を追う。
転校してきてから、まだそれほど日は経っていない。
それでも美幸は、すっかりクラスに馴染んでいた。
友人と買い物へ出かける。
そんな当たり前のことさえ、美幸にとっては新鮮だった。
「次どこ行く?」
「お腹空かない?」
「さっき食べたばっかりじゃないですか」
笑い声が上がる。
そのときだった。
――轟音。
建物全体が震えた。
「きゃっ!」
悲鳴とともに照明が明滅する。
続いて、吹き抜けの各階から次々と叫び声が上がった。
「動くな!」
武装した男たちが姿を現した。
一人ではない。
二人。
三人。
さらに増えていく。
非常口。
エスカレーター。
各階の通路。
いつの間に入り込んでいたのか。
完全武装した集団が、ショッピングモールを制圧していく。
「全員、その場に伏せろ!」
「逆らうな!」
逃げようとした客が銃口を向けられ、その場にしゃがみ込む。
泣き出す子供。
子供を抱きしめる母親。
何が起きているのか理解できず、呆然とする者。
人々は吹き抜け中央の広場へ集められていった。
美幸も友人たちとともに、その中にいた。
「テロ……?」
隣の少女が震える声で呟いた。
美幸は答えなかった。
そのかわり、武装集団を見ていた。
いや――
集団ではなく、彼らが身につけているものを。
やがて、武装した者たちが左右に分かれた。
その間を、一人の女が歩いてくる。
長い金髪。
目元を隠すサングラス。
そして、その身を包む黒い修道服。
異様なのは、その胸元だった。
刻まれている紋章。
それを見た瞬間、人々の間に動揺が走った。
忘れるはずがない。
三年前。
世界中が恐怖した紋章。
「嘘……」
誰かが呟いた。
「ヴェルガル……」
女が口元を歪めた。
周囲の武装集団が道を開ける。
「シスター」
一人が頭を下げる。
女――シスターと呼ばれた人物は、吹き抜けに集められた人々を見渡した。
そして両腕を広げる。
「喜べ、地球人ども!」
声がモール中に響いた。
「お前たちは、我が神聖ヴェルガル帝国の至高なる実験のための材料として選ばれた!」
一瞬の静寂。
そして――
悲鳴が爆発した。
「ヴェルガルだ!」
「生きていたのか!」
「助けて!」
「逃げろ!」
「うるさい」
女が、騒いでいた一人へ視線を向けた。
そしてただ一言。
「黙れ」
男の身体から力が抜けた。
糸の切れた人形のように、その場へ倒れる。
「ひっ……!」
悲鳴が止まった。
「安心しろ。死んではいない」
女はつまらなそうに言った。
「実験動物には鮮度が必要だからな。ここで殺してしまっては意味がない」
サングラス越しの視線が、人々をなぞる。
「もっとも――ここで騒ぎ立てる程度のものなら、至高なる実験には使えん」
笑う。
「せいぜいαの餌にでもしてやるさ」
その言葉に、人々の顔から血の気が引いた。
三年前の記憶。
空を覆った異形。
人間を襲った生体兵器。
忘れようとしていた恐怖が、一瞬にして蘇った。
そのとき。
人質の中から声が上がった。
「……アポストール」
誰が言ったのか分からない。
「アポストールだ!」
別の誰かが叫んだ。
「そうだ! 俺たちにはアポストールがいる!」
希望を見つけたように、声が広がっていく。
「アポストール!」
「助けてくれ!」
「英雄!」
「また俺たちを助けてくれ!」
アポストール。
アポストール。
アポストール。
三年前と同じ名が、ショッピングモールに響き渡った。
美幸の表情が変わった。
「――無理よ!」
人々の声が止まる。
制したのはシスターではない。
人質の中にいた美幸だった。
「美幸ちゃん……?」
友人が驚いて彼女を見る。
美幸は立ち上がった。
「助けてくれるはずないじゃない!」
怒っていた。
普段の穏やかな彼女からは想像もできないほどに。
「みんな、自分たちが彼に何をしたのか忘れたの?」
誰も答えない。
「戦争の最中は英雄、救世主って持ち上げておいて……戦争が終わった途端、今度は危険だ、怖い、監視しろって」
美幸は人々を見渡した。
「それで、自分たちが危なくなったら、また『助けてください』?」
唇を噛む。
「そんな都合のいい声を、彼が受け止めなきゃならない理由なんて――どこにもないわ!」
静まり返った。
その沈黙を破ったのは、女の笑い声だった。
「ふっ……ふふふ」
シスターが肩を震わせている。
「不憫なものだな、アポストールとやらも」
ゆっくりと美幸へ近づいてくる。
「かつては人類の救世主。そして今では、人類にとって新たな脅威か」
美幸は睨み返した。
「女」
シスターが足を止める。
「随分と威勢がいいな」
その顔を覗き込む。
「気に入った。どうだ? お前なら実験材料としてではなく、我がヴェルガルへ迎え入れてやってもいいぞ」
美幸はしばらく黙っていた。
そして――
ふっと笑った。
「随分と偉そうな口をきくようになったものね」
「何?」
「――シスター・レイシー」
女の表情が固まった。
「……なぜ」
周囲の武装兵たちにも動揺が走る。
「なぜ貴様が、私の名を知っている?」
美幸は一歩前へ出た。
先ほどまで人質だった少女が。
今度は逆に、レイシーを見下すような眼差しを向ける。
「まさか、私の顔を忘れたというの?」
「…………」
「レイシー」
美幸は眼鏡を外した。
「あなたに技術を教えたのは誰だったかしら」
レイシーの顔から、余裕が消えた。
「その顔……」
声が震える。
「まさか……」
サングラスを外した。
「カリム……?」
美幸は答えない。
「ドクター・カリム……!」
レイシーが目を見開いた。
「貴様……生きていたのか!」
早乙女美幸。
海外を転々としていた少女。
戦争で両親を失い、日本の親戚を頼って帰国した転校生。
その経歴は――
すべて偽りだった。
「どうして……ガルグラシアで死んだはず……」
だが驚愕は、やがて歪んだ笑みに変わった。
「……まあいい」
レイシーが笑う。
「貴様が生きていたのには驚いたが、時代はもう変わった」
「?」
「貴様が残した研究は、この私が引き継いだ」
腕を広げる。
「そして完成させた!」
レイシーの周囲に立っていた武装兵たちが、突然苦しみ始めた。
「ぐっ……!」
身体が膨張する。
骨格が歪む。
皮膚を突き破るように異形の器官が現れ、人間だった姿が見る間に変貌していく。
悲鳴。
だが、それはもはや人間の声ではなかった。
数秒後。
そこに立っていたのは、人と怪物を無理やり融合させたような異形だった。
「見るがいい!」
レイシーが叫ぶ。
「これこそが、貴様が完成させることのできなかった新たなる生体兵器――」
異形たちが咆哮する。
「【γ――ガンマ】だ!」
美幸は怪物たちを見た。
驚くこともなく。
ただ――呆れたように。
「……それ、完成させたの?」
レイシーの眉が動く。
「何?」
「その研究なら、途中で欠陥を見つけたから凍結したのよ」
「…………」
「まさか、私が捨てた研究をありがたがって完成させていたなんて」
美幸はため息をついた。
「相変わらずね」
そして、わずかに笑う。
「だから、いつまで経っても私を超えられないのよ。レイシー」
「――黙れ!」
レイシーの顔が怒りに歪んだ。
「いつまでも先輩面するな!」
γたちが唸る。
「私の頭脳は、もう貴様を超えている!」
美幸は動かない。
「貴様だけは――」
レイシーが腕を振り下ろした。
「ここで殺してやる!」
数体のγが、一斉に美幸へ襲いかかった。
「美幸ちゃん!」
友人たちが悲鳴を上げる。
鋭い爪が迫る。
美幸は逃げない。
ただ、小さく唇を動かした。
『――来い』
空間が、歪んだ。
「なっ……!」
美幸の周囲に、四つの亀裂が走り、光が溢れた。
そこから――
異形の存在が姿を現した。
人の姿に近い。
だが、人ではない。
翼。
鎧。
そして、生物とも機械とも判別できない身体。
四体の――
異形の天使。
γが飛びかかる。
次の瞬間。
轟音。
一体目が床へ叩きつけられた。
二体目が吹き飛ぶ。
三体目が翼に絡め取られ、そのまま壁へ投げつけられる。
圧倒的だった。
レイシー自慢のγたちは、わずかな時間で制圧された。
「そ……れは……」
レイシーの顔から血の気が引く。
「まさか……」
美幸が眼鏡をかけ直した。
「分かったようね」
四体の天使が彼女を守るように立つ。
「これは【ε――イプシロン】」
レイシーが絶句する。
「研究所に残したγ。そして、その次のδ」
美幸は静かに告げた。
「そのすべてを超える――究極の完成形よ」
「馬鹿な……」
レイシーが後ずさる。
「ヴェルガルの技術を……」
そして叫んだ。
「ヴェルガルの人間が、ヴェルガルの邪魔をするというのか!」
美幸の表情から笑みが消えた。
脳裏に蘇る、三年前。
燃え上がる空中要塞。
崩れ落ちる天井。
逃げ場のない炎。
そして――
炎の向こうから現れた、黒い姿。
美幸は胸元へ手を当てた。
「あの日」
静かな声だった。
「業火の中で、私は死ぬはずだった」
レイシーが黙る。
「でも――彼が助けてくれた」
黒い翼。
黒鋼の大剣。
敵であるはずの自分へ差し伸べられた手。
「だから決めたの」
四体のεが翼を広げた。
「一度失ったはずのこの命――」
美幸はレイシーをまっすぐ見据えた。
「彼のために使うって」
そして。
かつて神聖ヴェルガル帝国の科学者だった少女は、地球の人々を背にして立った。
「彼が守ろうとした、この世界」
四体の守護天使が構える。
「――今度は私が守ってみせる」




