第四話 日常
休み時間を告げるチャイムが鳴った。
担任が教室から出ていくと同時に、待ってましたとばかりに何人もの生徒が席を立った。
向かう先は、もちろん一つ。
「ねえねえ、美幸ちゃん!」
「どこから来たの?」
「前はどこの学校?」
あっという間に、早乙女美幸の席の周りに人だかりができた。
転校生には付き物の、お決まりの質問タイムである。
少年は少し離れた自分の席から、その様子を眺めていた。
普段なら興味など持たない。
だが、今日ばかりは違った。
――さて。
彼女は、なんと答えるのだろう。
「美幸ちゃんって、どこから来たの? 九州? それとも北海道とか?」
美幸は少し困ったように笑った。
「私は、昔から父の仕事の都合で海外を転々としていました」
「海外?」
途端に周囲から声が上がる。
「すごっ」
「じゃあ英語ペラペラ?」
「どこの国にいたの?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問にも、美幸は嫌な顔ひとつしなかった。
「大戦が始まった頃は、ヨーロッパにいました」
そこで、ほんの少しだけ表情を曇らせる。
「戦火の中で両親を亡くしまして……しばらくは向こうで知り合った方々のお世話になっていたんです」
先ほどまでの賑やかな空気が、一瞬だけ静まった。
「あ……ごめん」
質問した女子生徒が申し訳なさそうに俯く。
「いえ。気にしないでください」
美幸はすぐに微笑んだ。
「その後、日本に親戚がいることが分かりまして。その方を頼って、久しぶりに日本へ戻ってきたんです」
「そうだったんだ……大変だったね」
その言葉に、美幸は静かに頭を下げた。
少年は何も言わず、そのやり取りを聞いていた。
海外を転々としていた。
大戦時にはヨーロッパにいた。
戦火で両親を失った。
日本の親戚を頼って帰国した。
――なるほど。
よくできている。
少なくとも、転校してきた一人の少女の経歴として不自然なところはない。
三年前の戦争で戸籍や行政記録の多くが失われた現在なら、なおさらだ。
「今はどこに住んでるの?」
「好きなアーティストとかいる?」
「日本の食べ物とか久しぶりなんじゃない?」
「今度さ、みんなで何か食べに行こうよ」
質問はすぐに明るいものへ戻った。
「はい。ぜひ、ご一緒させてください」
美幸も楽しそうに答えている。
その笑顔を見ながら、少年はふと思う。
三年前。
燃え盛るあの場所にいた女と、今ここで笑っている少女。
同じ人間だと言われても、知らない者なら信じないだろう。
もっとも――
彼女自身も、自分があの場所にいたことを知る少年が、この教室にいるとは思ってもいないだろうが。
やがて美幸がこちらを見た。
目が合った。
彼女は一瞬だけ周囲の生徒たちに断りを入れると、少年の席までやってきた。
「まだ、ご挨拶していませんでしたよね」
少年は答えない。
美幸は気にした様子もなく微笑んだ。
「早乙女美幸です。これからよろしくお願いします」
差し出された言葉に、少年はしばらく黙っていた。
「…………」
やがて何も答えないまま、席を立つ。
そのまま美幸の横を通り過ぎ、教室を出ていった。
「あ……」
美幸が振り返る。
「気にしなくていいよ」
クラスメイトの一人が苦笑した。
「あいつ、ああいう奴だから」
「別に美幸ちゃんが何かしたわけじゃないよ」
「そう……ですか」
美幸は少年が出ていった扉をしばらく見つめていた。
やがて、いつもの微笑みに戻る。
「それなら、いいんですけど」
◇
屋上には風が吹いていた。
少年はフェンスにもたれ、眼下に広がる街を眺めた。
三年。
戦争が終わって、それだけの時間が過ぎた。
それでも街のあちこちには、まだ傷痕が残っている。
クレーンが伸びている。
ショベルカーが瓦礫を運ぶ。
大型トラックが資材を積んで走っていく。
朝から晩まで、復旧工事の音が途切れることはない。
その中には、自衛隊の車両も混じっていた。
かつて戦うために使われていた車両が、今では瓦礫や物資を運んでいる。
迷彩服を着た隊員たちも、銃ではなくスコップや工具を手にしていた。
日本だけではない。
世界中で同じ光景が繰り広げられている。
三年前、神聖ヴェルガル帝国に対して生き残った各国の防衛戦力は、今ではその多くが武器を置き、復興のための力として使われている。
皮肉なものだ、と少年は思った。
人を殺すために作られた機械が、今は、人の暮らしを取り戻すために働いている。
そのときだった。
遠くから、場違いな音が聞こえてきた。
甲高いエンジン音。
一台ではない。
何台もの改造バイクが、道路を蛇行しながら走っている。
少年は思わず眉をひそめた。
「……よくやるよ」
まだガソリンだって貴重なはずなのに。
復興が進んでいるとはいえ、燃料も資材も十分に行き渡っているわけではない。
そんな中で、わざわざ燃料を浪費して集団で走り回っている。
だが、それを取り締まる警察にも余裕がない。
交通整理。
行方不明者の捜索。
犯罪の増加。
避難地域の警備。
復旧した地域の治安維持。
やるべきことはいくらでもある。
暴走する若者を追い回すために、人員を割いている余裕などなかった。
「世紀末映画じゃないんだから……」
少年は小さく呟いた。
もっとも。
世界そのものが一度、本当に終わりかけたのだ。
そう考えれば、映画より質が悪い。
それでも――
街は生きている。
重機が動く。
人が働く。
車が走る。
馬鹿な連中が、貴重なガソリンを燃やして騒いでいる。
そんなことさえ。
三年前には、できなかった。
少年は空を見上げた。
青い空。
もう、そこにガルグラシアはない。
黒い裂け目もない。
αも。
βも。
何もいない。
「…………」
平和になった。
そう思っていた。
少なくとも――
このときまでは。




