第2話 日常
黒板には、チョークで大きく書かれた文字があった。
《自習》
それが、今の学校の現実だった。
世界が再び動き出して、すでに三年。
学校も例外ではなく、ゆっくりと再開された。
だが、大戦の爪痕は深く、教育者の数は全国的に不足していた。
一人の教師が複数の教室を掛け持ちするのも当たり前。
その結果、授業の多くは自習となり、放任に近い状況が常態化していた。
この日もまた、いつもと変わらない自習時間。
教科書を広げる者もいれば、眠る者、スマホをいじる者、
そして、大声で笑い合いながら、昔話に花を咲かせる者たちもいた。
学ぶというより、“生き延びた者同士が再会を喜ぶ時間”。
そんな空気が、教室の空間を満たしていた。
そのときだった。
「転校生を紹介するぞ」
教室の扉を開けて入ってきた担任が、ぽつりとそう言った。
一瞬、ざわめきが起こる。
しかし、すぐに全員が黙り込んだ。
教壇の横に立つ少女を目にした瞬間、教室全体の空気が変わった。
「初めまして、早乙女美幸です。今日からよろしくお願いします」
澄んだ声が教室に響く。
ウェーブのかかった長い髪。
白い肌に、特徴的な丸い黒縁メガネ。
華やかすぎず、それでいて人目を引く整った顔立ち。
誰が見ても、美少女と呼ぶにふさわしい存在だった。
「早乙女美幸です。よろしくお願いします」
もう一度、丁寧に頭を下げた彼女の言葉が繰り返される。
――早乙女、美幸。
その名を聞いて、ある少年は目を細めた。
知っている名だった。
偽名だということも、彼には分かっていた。
だが、少女のほうは彼のことなど知らないはずだ。
記憶しているはずもない。いや、知るべきでもない。
それでも彼は、何も言わなかった。
彼女が、こうして学校へ通えるようになったこと。
それだけで、この世界が本当に“平和”を取り戻したのだと――
少年は静かに、実感していた。