↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
1/6

第一話 英雄(改稿版)

第一話 英雄


――それは、あまりにも突然の出来事だった。

空が、割れた。


まるで天そのものが怒りに震え、大気を引き裂いたかのように。


雲ひとつない真昼の空に、突如として巨大な黒い亀裂が走った。


初めは誰もが、自分の目を疑った。


道行く人々が足を止め、空を見上げる。


車は道路の途中で停まり、ビルの窓には異変を察した人々が集まった。


やがて黒い亀裂は音もなく広がっていき――その向こうから、巨大な構造物が姿を現した。


都市ひとつが、そのまま空に浮かんでいる。

そう錯覚するほどの威容だった。


後に人類は、それをこう呼ぶことになる。


――『空中要塞ガルグラシア』。


ガルグラシアが地球上空に出現して間もなく、世界各地の空に巨大な立体映像が映し出され、そこに現れた者は、自らを『神聖ヴェルガル帝国』の使者と名乗った。


そして告げた。

地球人類に対する、一方的な宣戦布告を。


交渉もなかった。

要求もなかった。

降伏を勧告する言葉すらなかった。


彼らが人類に与えたものは、ただ一つ。

――侵略という現実だけだった。


ガルグラシアの各所が開き、無数の黒い影が飛び出した。


触角と鋭い角を持つ異形の存在。

翼らしきものは見当たらない。それでも空中を自在に滑空する姿は、地球上の生物に例えるならばイトマキエイに似ていた。


だが、その姿を生物と呼んでよいのかさえ、当時の人類には分からなかった。

後に【α(アルファ)】と呼ばれることになる、神聖ヴェルガル帝国最初の生体兵器である。


αは群れをなし、地上へと降下した。

そして――攻撃を開始した。


そこに軍人と民間人の区別などなかった。


街が破壊され、人々が逃げ惑う。


世界各国の政府も、ただ手をこまねいていたわけではない。


各国空軍が緊急発進。

戦闘機がガルグラシアへ向かい、艦隊からは巡航ミサイルが発射された。

地上部隊も迎撃態勢に入り、ありとあらゆる近代兵器が、突如現れた侵略者へと向けられた。


人類が長い歴史の中で築き上げてきた軍事力。

そのすべてが、一斉に牙を剥いた。


――だが。


ガルグラシアが、光を放った。


ただ一筋。


空から地上へ降り注いだその閃光を、人々は後に畏怖を込めてこう呼んだ。

『神罰の光』。


光が世界を覆った瞬間、異変は起きた。


電子機器が沈黙した。

飛翔していたミサイルは制御を失い、次々と空中で崩壊する。

戦闘機は操縦不能となり、あるものは緊急脱出を余儀なくされ、あるものはそのまま地上へと墜落した。


レーダーは敵を映さない。


通信も繋がらない。


照準装置も作動しない。


近代兵器を支えてきた電子技術そのものが、意味を失った。


人類が誇った軍事力は、たった一度の光によって沈黙したのである。


そしてガルグラシアは、さらなる生体兵器を投入した。


今度は、人類にとって馴染みのある伝説上の怪物たちに酷似していた。


グリフィン、ペガサス、キマイラ。


翼を持つ獣たちが次々と市街地へ降り立ち、逃げ惑う人々を襲った。


後に【β(ベータ)】と総称されることになる生体兵器群である。


αが空を制圧し、βが地上へ侵攻する。


軍事力の大半を失った人類に、それらへ対抗する術はほとんど残されていなかった。


空を奪われた。

街を奪われた。

そして、少しずつ希望までもが奪われていった。


誰もが思い始めていた。

――人類は、ここで終わるのではないか。


そのときだった。

彼が現れたのは。


漆黒のフルフェイスヘルメット。

全身を覆う、黒い鎧。

背には、夜そのものを切り取ったかのような漆黒の翼。

そして手には、自らの身の丈ほどもある黒鋼の大剣。


所属不明。


国籍不明。


名前さえ分からない。


ただ一つ分かっているのは――

彼の力が、神聖ヴェルガル帝国に通用するということだけだった。


大剣が振るわれると、αが両断された。


黒い翼が空を駆けると、人類の戦闘機を一方的に撃墜した異形の群れが、次々と地上へ落ちていく。


βが襲いかかるが、彼は退かない。


獣の爪を鎧で受け止め、その巨体ごと大剣で薙ぎ払った。


銃も。

ミサイルも。

最新鋭の兵器さえ通用しなかった敵を――

彼は、たった一人で倒していった。


人々はその姿を見た。


瓦礫の陰から。


避難所のテレビから。


辛うじて復旧した通信網を通じて世界へ拡散される映像から。


悪魔のような黒い翼を持ちながら、人間を守って戦う者。


その姿を、誰かがこう呼んだ。

『悪天使――アポストール』


誰が最初にそう呼んだのかは、今となっては分からない。

だがその名は瞬く間に世界中へと広がった。


アポストール。


敵に屈さぬ力を持ち、人類の側に立つ存在。


その黒い鎧に宿るものが天使の加護なのか、それとも悪魔の呪いなのか。


誰にも分からなかった。


だが、そんなことはどうでもよかった。


彼は戦っていた。

人類を守るために。


少なくとも――

そのときの人々は、そう信じていた。


やがてアポストールは、単身、空中要塞ガルグラシアへと乗り込んだ。


世界中の人々が、その行方を見守った。


だが、要塞内部で何が起きたのか。

それを知る者はいない。


一日。

二日。

三日。


アポストールは戻らなかった。


人々の間には、再び絶望が広がり始めた。


彼もまた敗れたのではないか。


最後の希望さえ失われたのではないか。


誰もが、そう思い始めた頃だった。


――ガルグラシアが、消えた。


爆発したわけではない。

墜落したわけでもない。


あれほど巨大だった空中要塞が、忽然と空から姿を消したのである。

それと同時に、地上を蹂躙していたαもβも、次々と姿を消していった。


そして。

数日ぶりに、彼は帰ってきた。


アポストールは何も語らなかった。


ガルグラシアで何があったのか。

神聖ヴェルガル帝国とは何者だったのか。

なぜ彼だけが、あの敵と戦うことができたのか。


その答えを、人類が知ることはなかった。


ただ、戦争は終わった。


人類は勝利した。


いや――

アポストールが、人類に勝利をもたらした。


世界は彼を讃えた。


救世主。

守護者。

人類の希望。

史上最大の英雄。


あらゆる言葉が、黒い翼を持つ名もなき戦士へと贈られた。


それから三年。

破壊された街には再び建物が立ち並び、人々の生活も少しずつ日常を取り戻していた。


子供たちは学校へ戻り。

店には客が戻り。

街には笑い声が戻った。


世界はようやく、あの日以前の姿を取り戻そうとしていた。


人類を救った英雄――アポストール。

その名を知らない者はいない。


だが。

三年前、彼を救世主と讃えた人々の多くは、まだ知らなかった。

英雄を見る人々の眼差しが、時とともに変わってしまうことを。


そして何より――

誰も知らなかった。


あの日。

燃え上がるガルグラシアの中で下された、ほんの小さな一つの選択が。


やがて世界の運命そのものを変えることになるなど。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。