〜第五章〜 明かされる過去と天使の正体
「さて、皆には申し訳ないが、マルコ殿と二人きりにして貰えないだろうか」
全員が食事を終えた頃、そう切り出したのはリリアンだった。
(いや言い方……!)
すわ、また親父に揶揄されるかとジャンマルコは身構えたが、親父は意外にも家人の案内に従って大人しく退出していった。ただ去り際、ポンと肩を叩かれたのは彼なりの激励だろう。
(親父も勘付いたか)
わざわざ名指しで残された理由。これから行われるだろう話し合いには、きっと『ローマの聖職者』である自分に用があるのだと。
しかし——。
「なんでテメェは残ってんだよ……」
食後の紅茶を嗜んでいたアスタロトが、「え?」と顔を向けた。
「いや『え?』じゃねーよ! なんでオメーは残ってんだよ。そこの女が出ていけっつったろ」
「私はそんな言葉遣いはしない」
「そこじゃねぇだろ! この悪魔野郎は残ってていいのかよ!」
リリアンとアスタロトは顔を見合わせると、同時に首を傾げた。
「人じゃないし、いいんじゃないのか?」
「そうです。人間の事情には蚊ほども興味ありませんね」
「ほら」
「お前らそんなんで相棒名乗って大丈夫なの!?」
彼女の保身のためにも、なるべく悪魔に関与してほしくなかったのだが、なんて淡白な奴らなんだ。危惧したこっちが馬鹿らしくなる。
ジャンマルコは頭をガシガシと掻いて、「それで」と切り出した。
「何から話すんだ。おれは聞きてぇことが山ほどあるぜ」
「私は君たちの訪問も予想できた事態だからな。先に君からの質問に答えていくことにしよう。ただ、ひとつだけ聞かせてくれ」
「なんだよ」
「アレクシスが無罪だった場合、彼の命は保障してくれるのか?」
「そりゃあ無罪だったらな。うちだって面子がある。冤罪の奴を積極的に裁くほど馬鹿じゃねーよ」
「それを聞いて安心したよ。では、何から聞きたい?」
心底ホッとした様子のリリアンに、ジャンマルコは言葉を噤んだ。
これからの話の内容にも関わるが、もし冤罪が確定しなければ、アレクシスの処刑を行うのは自分なのだ。ここまで義父に心を寄せている人間の前で、当初の目的を口にするのがためらわれた。
「遠慮しなくてもいい。君が剣を扱えるところを見ると、おおよその予想はつく。……命を狙われる可能性も考えていた。だから今、アレクのことは厳重に護りを敷いている。まあ、君のことだ。それすらも突破してしまいそうだがな」
「なんでもお見通しかよ」
「私は彼の娘である前に騎士だからな。あらゆる最悪の事態を考えて、あらゆる手段を使ってでも護る使命がある」
「それが意味わかんねぇよ。女に騎士の称号は与えられねーだろ」
「知っている。ただの自称だ。……それでも、昔誓ったからな」
「は?」
「私のことはいい。何から聞きたい?」
さっそく、その「昔のこと」とやらが気になったが、まずは己の責務を果たすとしよう。
「先に言っておく。あとから騙されたと言われちゃあ敵わないんでね。おれは確かに神父だが、異端審問官でもある。異端審問官は解るか?」
「異端者審問は知っているが……君は裁判官なのか?」
「裁判官もいる。あとは異端者の調査、処分といったところか。そしておれは、主に処分が仕事だ。火刑以外のな」
「処分……処刑のことか?」
「それならおれでなくてもいい」
「まどろっこしいですね。処分も処刑も同じでしょう」
一応聞いていたのか、途中で口を挟んできたアスタロトを横目で睨む。
「暗殺だ」
「それは……」
一拍置いて、リリアンが息を呑んだ。
「両親も了承の上か?」
「ああ。最初は反対されたがな。誰かがやらなきゃならねぇんなら、それはおれがいい」
「君は優しいのだな」
「どこがだ。もう何十人とも知れない人の命を刈ってるんだぞ」
「それを他の人に任せたくなかったのだろう? 十分優しい」
「…………」
大抵、自分が暗殺者だと明かすと人間は距離を取る。だが、この女の感覚はどうなっていやがる。
辛いだろう、頑張っているな、そういう言葉を掛けられたことはあっても、「優しい」と言われたのは初めてだった。
(くそ、なんか調子狂うな……この女)
脳を介さずに喋っている節があり、それゆえに言葉が本心だと解る。解るからこそ余計にやりづらい。
(普段、職場にはこんな奴いないからな)
教会は威厳を保つためならば、必要に応じて隠蔽も司法取引にも応じる。時には汚い仕事を命じられることもあった。
しかし、どんな時も「否」と言ってはならない。それが忠実な教会、ひいては神の下僕だからだ。
(こいつみたいなのが職場にいたら面白いだろうな)
上層部は軒並み胃を痛めそうだが。命令が不服なら即座に否と唱えていそうだ。なんなら相手を怒らせても、さらに火に油を注ぎそうである。
そこまで容易く想像できて、ジャンマルコは無意識にふっと微笑んだ。
「どうかしたのか?」
「いや、なんでもねぇ。気にするな」
「そうか。なら話は戻るが、君の剣はやはり母君から教わったのか?」
「ああ、もうあんたは気づいてたろ。お袋も元は暗殺者だ。もちろん、踊り子だったのも本当だがな」
「なるほど。アニーの言うことによれば、確か父君との出逢いは巡礼の最中だったか。いったい何が暗殺者の母君の胸を打ったんだろうな」
「いや、単に互いの一目惚れだ。……つーか、この話はどうでもいいだろ! 掘り下げんなっ」
「そんなことはない。とても興味があるよ。私の実の父親とは正反対だからな」
「は? お前、実の父親のこと知ってんのか?」
言ってから気づく。踏み込み過ぎたか。
「悪ぃ。忘れてくれ」
「別にいいさ。でも、これは誰にも話したことがないな。まあ、話す機会もなかったからだが……」
不意に胸元へ視線を向けられ、ジャンマルコは思わずたじろいだ。
何を見ているのかと下を向けば、そこには自身の首から下げた十字架が揺れていた。
「私の父親は神父だったらしい」
「は? 神父? ……らしい?」
思いがけない単語に、勢いよく顔をあげる。
リリアンの視線も十字架から外れ、ジャンマルコへと戻った。
「私の母は、今思えばきっとどこかの令嬢だったんだと思う。私に読み聞かせをしてくれていたからな。どういう経緯でスラムに来る羽目になったかは知らないが……ああ、そうだとしたらビスケットの味も既に知っていたのかも。それでもアニーの手作りには敵わなかっただろうけどな」
「ビスケット?」
昔を思い出して恍惚とした表情から一転、再び笑みが消えたリリアンは、ジャンマルコの問いに緩く首を振って「なんでもない」と流した。
「たぶん父親は、そこで母を見初めたんだと思う。仮にも神父だったし、人の目を盗んで女性と交流するのにはうってつけの場所だったんだろう。だけど、母が私を身ごもった時、奴は私ら親子を捨てた……らしい。私はまだ生まれてもいなかったから当然知る由もないが、物心つく頃に、母がたまにそう嘆いていた時があったんだ。私は小さかったし、独り言に近かったんだと思う。いつもなら気丈に振る舞う女性だったからな」
「だった? 母親はどうしたんだ」
「ふはっ、本当に遠慮がなくなったな」
「ここまで聞いて後に引けるか。無遠慮なのは承知の上だ」
「構わない。ただ、聞いて面白い話ではないからな。さっきも言った通り、幼いながらも父親は神父ということだけは覚えていた。ある日、スラムに熱病が流行ってな。母も高熱を出してしまった。そんな時、父親のことを思い出して、助けを乞いに色んな教会を探しに回ったよ。あいにく顔も名も知らなかったが、私はどうやら母親によく似ていたから、会えば向こうが解ると思ったんだ」
「……会えたのか?」
「会えたさ。九件目くらいの小さな教会でな。幼い私を見て『サラ』と言ったよ。……ああ、サラは母の名だ。それで父が判明した私は、母の病気のことを話し、必死に助けを求めたよ」
そこでリリアンは自嘲気味に笑った。
「助けてと言った私に、奴はなんて返したと思う?」
「……」
「『神聖な場所に病を持ち込むな』だと」
ジャンマルコは絶句した。
それは……あまりにも不誠実で、身勝手な言葉だった。
「更には、自分は父親じゃないとも言われたよ。今なら解る。母との間に私を作った途端に逃げたのも、娘の存在を否定したのも……すべては破門を恐れてのことだったのだろう。だからこそ、君が羨ましいと思ったんだ。聖職者の矜持より家族を取る父親を持つ、君がね」
「母親は、その後……」
「亡くなったよ」
ジャンマルコは深々と息を吐き出した。なるほどな。
「会った時からやけに聖職者に執着してると思ったら、嫌っていたのか。いや……恨んでいた、の間違いか。大丈夫なのか? おれと話すのも、実は苦痛なんじゃねぇのか」
「勘違いしないでくれ。確かに聖職者は信用ならない部分もある。今回のアレクのこと然りな。だけど、全員が同じではないとも理解しているつもりだ。それに……そんな父親でも存在したおかげで私が生まれ、アレクとも出逢えた。そこは感謝している」
「……母親の墓地は?」
「なんだ、祈ってでもくれるのか?」
「これでも神父なんでね」
まさか肯定されるとは思わず、リリアンは一瞬言葉に詰まった。
「……熱病が広がるのを抑えるため、他の患者の遺体と一緒に焼かれたよ。スラムじゃよくある話だ。アレクがうちの庭に母の墓を作ってくれたが……棺の中は空だ。だから、気持ちだけ貰っておく。ありがとう」
「墓があんなら、そこにお前のお袋はいる。……話し合いが終わった後でもいい、案内しろ」
「いいのか?」
「おれがそうしたいから言ってんだ。黙って祈らせろ」
殊勝なのか横暴なのか解らない台詞に、リリアンはふっと微笑んだ。
「ああ……ありがとう」
そこで、ふと気づいたようにアスタロトが口を開いた。
「そういえば、実の父親は生きてるんですか?」
「なんだ、あなたも聞いていたのか。さあ? どうだろうな。あの日以来会っていないからな」
「わたくしには、どうしてもあの男が黙ってむざむざ見逃すとは思えないのですが」
「おい悪魔。突然なんだ。あの男って誰だよ」
「きっとアレクシスのことだ。うーん……アレクには話したことはないけど、彼のことだから既に調べていそうだな」
「なるほど。では、もう生きてはいませんね」
「待て。急に物騒になるじゃん?? え、アレクシスってそういう男??」
「筋金入りの親ばかです。もしくは突き抜けた親ばか。もっと言えば常軌を逸した親ばかですね」
「とりあえず親ばかなのは解った」
「まだ解っていませんね。娘に欠片の不幸でも味わわせたら、命で償わせるような男です」
「やべー奴じゃねーか!!!!」
現在囚われていることや冤罪の件、そしてリリアンが護ると豪語していたことから、勝手に大人しい印象を抱いていた。まさかそこまで娘を溺愛している奴だったなんて。
「考えてもみなさい。リリアンの育ての親ですよ?」
「あ、今すげぇ腑に落ちたわ」
そういえば、娘のこいつは義父のためならば本物の悪魔すら利用する奴だった。
「確かにアレクが知ったなら、あの男の片腕くらい貰いそうだな。でも、もう昔のことだし、今は思い出すことも少ないくらいだから……まだ生きているんじゃないか? たぶん。おそらくは」
「もっと希望を持て!」
「そこまであの男に興味がない」
「もし住処にいたら、挨拶でもしておきましょうか」
「つまり地獄じゃねぇか。いや、地獄に落ちるだろうけどよ」
同情の余地もない男だが……いや、ほんと同情の余地がねぇ。心配して損した気がしてきた。
「——さて」と、リリアンが無理やり話を切る。
「私のことでずいぶん時間を取ってしまったな。私に聞きたいことはなんだ? 最初にも言ったように、答えられることなら何でも答えよう」
「……まずは謝らせろ」
「え?」
「おれは……親父が付いてきたのは完全に想定外だったが、お前の養父の暗殺の命を受けてここに来た。調査はもちろんするつもりだったが、お前の唯一無二の存在を手に掛けるところだった。すまない」
わざわざ立ち上がり、深々と頭を下げるジャンマルコに、リリアンも慌てて立ち上がった。
「謝る必要はない。それが君の仕事だったんだろう」
「それでも、だ。冤罪ならなおさらだな」
「信じてくれるのか」
「おれの職業柄、簡単に信じることはできねぇ。してはいけねぇ。……けれど、理由があるのは解った。この際証拠はいい。冤罪と言い切る理由を聞かせてくれ」
そこから再び着席したジャンマルコは、事のあらましをリリアンから聞かされた。
ルシファーのやらかしのくだりにも驚いたが、何よりも驚いたのは——。
「……司祭長が」
「やはり信じられないか。君と同じ聖職者だからな」
「いや、おれらも人間だ。間違いだって犯す。だが……」
それこそリリアンの実父だって神父だったのだ。聖職者だからといって万能ではない。
しかし……と、ジャンマルコは頭を抱えた。上になんと報告すればいい。
(そもそも報告してもいいもんなのか? 教会の汚点だぞ)
もし証拠を完璧に揃えて提出したところで、いよいよ事件ごと闇に葬られかねない。
(なら、遺族は……あの生贄の少女はどうなる。泣き寝入りじゃねぇか)
葛藤するジャンマルコを見て、リリアンは申し訳なさそうに口を開いた。
「アスタロト殿に頼めば、きっと事件ごとなかったことにもして貰える。けれど、これはなかったことにしてはいけないと思うんだ。うちでも何人か被害が出ている。大切な人を失った人たちが恨む先を、勝手に奪うわけにはいかない」
「ああ、よく解る。おれも同じ考えだ」
「だからと言って、アレクに犠牲を強いるのも違うだろう。彼は優しいから、冤罪と知っても『皆が救われるなら』と受け入れてしまうかもしれない。だから……」
不自然な沈黙にジャンマルコが怪訝そうな顔をすると、ハッとしたようにリリアンが言葉を続けた。
「アスタロト殿に頼んで、アレクに取り憑いて貰ったことにしたんだ。悪魔憑きとなれば、教会も安易には手が出せないと思ってな。私の『罪』はそこだ。捕まえるなら、アレクの釈放の後にして貰えるか」
「罪と言われてもな……。だいたい悪魔の存在を、まず教会が認めるかも怪しいところだぞ」
「ここにいるじゃありませんか」
「……いるんだよなー」
始終呑気な悪魔に、ジャンマルコの視線が冷ややかな半眼になった。
「悪魔憑きなら確かに問題外だ。裁判にもなりやしねぇ」
「遺族の留飲は下がるだろうか」
「諦める他ねぇだろ。悪魔の仕業っつたら、もうどうにもなんねぇよ。かといって、司祭長は無理だ。たぶん教会が罪を認めねぇ。お前には悪いが」
「そうだろうとは思っていた。君のせいじゃない」
「だが、お前の父親は助かりそうだ。あ、今のは……糞の方じゃねぇぞ」
「ふふ、解っている。私にとって父親はアレクひとりだ」
「ちなみに、悪魔憑きは狂言なんだよな? まさか別の悪魔が本当に憑いてたりしないよな」
なんせ、ここに本物の悪魔がいる。しかも悪魔大公だ。
これにはアスタロトが軽やかに答えた。
「あの男には悪魔は憑いてませんよ」
「よかったぜ。悪魔祓いはおれの専門じゃねぇからな」
「その代わりに、天使が憑いていましたが」
「は?」
今日何度目の「は?」になるか解らないなと、ジャンマルコは現実逃避に走りそうになった。できれば今すぐ走りたかった。
「どういう意味だ」
「どうもこうも、わたくしもしばらく悩まされたのですよ」
「私も初め聞いた時は驚いたよ。どうやらアレクには、アスタロト殿の旧知の友が憑いていたようだ。すごい偶然だよな」
「いや感心するところか!? 友と言ったら悪魔じゃねーか! やっぱり悪魔憑きなのか?」
「旧知と言っただろう。アスタロト殿がまだ天使だった頃の友だ」
「わたくし、元は天使でしたからね。ご存じなのでは?」
「存じねー!」
「聖職者なのに?」
「神父なのにですか?」
「だから聖職者は万能じゃねぇんだよ! 厚い信頼を寄せんな! どういうことだ! 結局、アレクシス殿には何が起こってんだよ!!」
「では、わたくしがお話ししましょう」
アスタロトが恭しく語りだす。
そう、あれは正体不明の結界に阻まれてひと月が経とうとしていた頃のこと。リリアンに頼まれ、ちょくちょくアレクシスの様子を見舞っていたアスタロトは、その日、ようやく見知った気配を感じ取ったのだった。
「ラファエル! いるのでしょう、ラファエル!」
逃げられる前に素早く名を呼んで留めれば、空間を歪めて現れたのは予想通りの顔だった。
三大天使のひとりであるラファエルが、気まずそうにアスタロトの前に立ち尽くしている。一緒にいた人間が呆気に取られていたが、今は無視だ。
「やはりあなたでしたか。わたくしに並ぶ天使となると限られてきますからね。まあ、ミカエル殿とかよりはマシでした」
ルシファーと反りが合わないミカエルは、自分にも厳しかった。八つ当たり的な意味で。
「……久しぶりだね、アスタロトくん」
「ええ、天界戦争ぶりですね」
「それって『久しぶり』で片付くものなの!?」
「人間は黙ってなさい」
我に返るのが早すぎやしないか。三大天使を傍に置いていたことといい、大物すぎやしないかこの人間。そう、アレクシスを改めて「図太い」と評価する。
それよりも——。
「なぜ今まで姿を見せなかったのです」
これまで何度誰何したことか。いるのなら初めから姿を見せてほしかった。
「それは、きみが急に来るから驚いて……。心の準備が必要だったんだよ」
「普通、ひと月もいります?」
「いるよ! きみと争ってからどれほどの年月が流れたと思ってるの! それに昔、ぼくたち友達だったでしょ……」
「別に今でも友だと思ってますが、あなたは違うのですか?」
「ぼ、ぼくもだよ!」
ラファエルとは天界にいた頃、よく話した仲だ。
天界が二つに分かれた時、反乱軍筆頭のルシファーに声を掛けられた自分とは反対に、ラファエルは正規軍筆頭のミカエル殿に声を掛けられ、自分たちは敵味方に分かれて闘う事態となった。
しかし、別に彼らが憎かった訳ではない。ルシファーも友だった。そして自分はその友に頼られた。ただそれだけだ。順番が違ったのなら、今も天使として天界で過ごしていたかもしれない。
要は、過ごす場所が天界か地獄かの違いで、友だった者は今でも友だと思っている。たとえ剣を向けられようとも。こちらも剣を向けたのだから、お相子である。
「あなたほどの天使が、なぜその人間を護っているのです? 結界を張ったのもあなたでしょう」
「今は解いてるよ! 最初に会った時はほんとうにごめん! 驚いちゃって……」
「それはもう聞きました。ああ、本当に解かれてますね。これからもお願いしますよ。火バサミを使って伝書鳩になるのはもうこりごりです」
「ええ!? きみにそんな真似させられるのって、まさかルシファーくん?」
「人間ですよ。そこの人間の娘です」
「自慢の娘だよ」
「そしてこれが『親ばか』というものです」
ラファエルは口を覆って驚いていた。そうですよね。驚きますよね。実際、この大悪魔を使い走りする人間がいるのですよ。
「それは……すごい子だね」
「怖いもの知らずと言うのです。あと、その人間に憑いた経緯を教えなさい。ルシファー絡みですか? ならばミカエル殿が来そうなものですが」
「あ、違うんだ。この子のお姉さんに頼まれたんだ」
『この子』と呼ばれたことがそんなに驚きなのだろうか。いつも図太い男が目を見開いて固まっていた。わたくしたちのように長い年月を生きる者にとっては、人間なんて幼子同然だ。驚く方がおかしい。
しかし実は、この時のアレクシスは「この子」ではなく「お姉さん」の部分に驚いていたのだ。
「そのお姉さんが、この子の守護天使でね。ある日いきなり、弟を助けてほしいってぼくを頼ってきたんだよ」
「よりにもよって三大天使に頼み事をするなんて、さすが同じ血が流れているだけありますね。まあ、うちのリリアンの方が百倍図太いですけどね」
「待て。いつからリリーが君のものになった」
「言葉の綾です。自分でも言っていて鳥肌が立ちました」
「リリアンって? この子がよく『リリー』って呼んでる子?」
「そうです。今、彼女とは訳あって協力関係にあります」
「外の悪魔たちと関係があるの?」
「大いに! それこそルシファーの思い付きのせいです。でなければ、わたくしは今ここにいません」
「そっか。ルシファーくんがきみと再会させてくれたんだね」
「そんな歪曲した捉え方をするの、あなたくらいですよ」
相変わらずおっとりしてお人好しな天使だ。だから元人間の守護天使も彼を頼ったのだろう。そういえば、人間界で彼が人間を治癒したという話も耳にしたことがある。全く、本当に天界にいた頃から変わらない。
「それで? あなたはいつまでここにいるのです?」
「アスタロトくん、ぼくが邪魔なの?」
「違います。肌に合わないでしょう。天界の澄んだ空気に慣れたあなたには」
「ぼくの心配をしてくれたの? ありがとう。一応頼まれたからには、外の悪魔がいなくなるまでかなって。人間の悪意はぼくにはどうしようもないけれど、悪魔を寄せ付けないくらいのことはできるから」
「そうですか。なるべく急いで片付け……説得して帰らせているのですがね」
「きみの働きを見てたよ。すごいなぁって。半分以上の悪魔を消しちゃってたよね」
「……それ、ルシファーに会う機会があっても黙っていて貰えます?」
「? うん、わかったよ」
言い訳させてほしい。最初はちゃんと説得から入るのだ。だのに、どいつこいつも舐め腐ってくれまして。ええ。確かにあいつらはわたくしの配下ではありません。それでも同じ悪魔と思い優しく諭していれば……ああ! 上司の顔が見たい! 知ってる! ルシファーですね! 配下は上司に似るんですね!
ちっとも言うことを聞かないものだから、今のところ全員強制送還させてもらっている。わたくし、悪くない。
それよりも、残りをただの人間が腕力だけで強制送還している方が恐ろしい。初めて見る悪魔に対して、「よし、斬ろう」となるのもおかしい。そして実際に斬って捨てては数を着実に減らしている。そういう約束だからといっても、やはりおかしい。
ラファエルに同意を求めるようにリリアンのことを話せば——。
「彼女、すっごくお父さんが大事なんだね」
「そうなんだよ。僕も負けないくらい娘が大事だけどね」
「……わたくしだけ孤独を感じるのですが」
常識人がほしい。切実に。
とりあえず、悪魔たちが全員いなくなるまでの期間はラファエルが人間のことを護ってくれるらしく、帰ってそのことをリリアンに伝えると、彼女は父親の姉(=叔母)の存在に驚きつつも無事を喜び、最後に自分に向かって言った。
『友達に会えてよかったな』
その時、自分がどんな顔をしたのかは覚えていない。ただ「この娘とラファエルは確実に気が合うな」とぼんやりと思った。
「……ということがありまして。あなたはどう思います?」
話し終えてから神父の男にそう投げかけると、彼は両手で顔を覆っていた。
「……おれはちっぽけな人間だ」
「急にどうしたんだ、マルコ殿。私より背が高いじゃないか」
「何事にも動じない鋼の心臓がほしい。こいつみたいに」
「私の心臓は柔らかいぞ」
「やめてください。やっと仲間を見つけたところなんです。あなたはそのままでいてください」
「なんだかよく解らないが、二人が仲良くなってくれて嬉しいよ」
「違う」
「違います」
「本当に嬉しいな」
ニコニコするリリアンを指の隙間から見たジャンマルコは、深いため息をついた。
(どうしろってんだ……)
三大天使がアレクシスの傍にいたことは、正直アスタロトの存在より驚きだった。教会が知ったら上層部の全員がひっくり返るほどの威力だ。
神を戴く教会にとって、同じ神の配下である天使は天敵といってもいい。教会が信じるかは別だが、もし天使が護っている人間がいると知ったら、アレクシスの命は今度こそ危ない。本人にその気がなくとも、彼を崇めだす人間が現れるからだ。
「おい、ぜってー今の話を外ですんじゃねぇぞ」
「今のって、アスタロト殿が昔の友達に会えてよかったな、という話か?」
「あ、お前なら大丈夫そう」
とてつもなくどうでもいい。きっと誰も信じないだろう。
そこで身構えていた力を抜く。何やらドッと疲れてきた。
「ひとまずアレクシス殿は大丈夫そうだな。あと問題は悪魔か」
「わたくしですか?」
「違ぇ、外にいる奴らだ。あと何匹いんだよ」
それにはリリアンが答えた。
「今日一匹仕留めたから、あと四匹だな」
「もう終いじゃねーか。どうやって見つけてるんだ?」
「悲鳴がする方に行けばだいたいいる」
「いきなり原始的だな!」
「今日はたまたま目撃情報を得ていてな。そこに向かっていたら君たちを見つけたんだ。まさかこうして話すことになるとは夢にも思わなかったよ」
ジャンマルコは初めて会った時のことを思い出す。そういえば、ずっとそわそわしていたのはそういう訳だったのか。
「そういやあの時、暗くなったらどうのって言ってたな」
「ああ。あの悪魔は夜が深くなるほど力を増すみたいでな。あれの三倍くらいの大きさになる」
「そうだったのか。それで夜の外出が禁止されているのか」
「ああ、そうして貰った。人を護りながら斬るのが大変でな」
「そうして貰った?」
「もちろんアスタロト殿を通じてだぞ。教会にあの御触書を作って貰ったんだ」
「お前が裏工作してたのかよ……! 待て、大変? まさか夜にも出かけてるのか?」
「もちろん。巡回というのはそういうものだろ? 今は悪魔もそうだが、治安も前より悪くなっているからな。悪魔を狩るよりならず者を捕縛した回数の方が多い位だ」
「危ねーだろうが!!」
「悪魔がか? 勝てたぞ」
「人間もだ!!」
「勝てたぞ」
「くそ! 話が通じねぇ……!」
頭を掻きむしるジャンマルコを見て、アスタロトはうんうんと頷いている。
「なんだか、ようやく真っ当な人間に会えた心地です」
「なんで悪魔の方が常識人なんだよ!」
「他に聞きたいことはないか? だいぶ話せることは話したが。なければ私は巡回に戻ろうと思う」
「おれの話聞いてた!?ねぇ!?」
「聞いている。心配してくれるのはありがたいが、私には男爵の仕事を全うする義務がある。街の治安維持は私の役目だ。いずれ帰って来るアレクの顔に泥は塗れない」
絶対に譲らない姿勢のリリアンに、ジャンマルコの方が折れた。
「待て、おれもついて行く。……あと!」
墓参りが先だ!
そう吠えたジャンマルコに、リリアンは最初なんのことだとポカンとし、思い出してからは瞬く間に笑顔になった。
「私も、母に君を紹介したい」
その夜から、リリアンの巡回にはジャンマルコもついて回るようになる。
彼の言い分は「神父として悪魔を見逃せない」というものだったが、ならず者からもリリアンを護ろうとしている姿を見れば、誰もが彼の心の機微に気づいただろう。
だが残念ながら、その姿を目にできたのは、これから連行されていく者たちだけだった。




